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今回は、目醒め・目覚めの【完全保存版】
を皆様にお伝えします。手加減一切なし。

もちろんここでの「目醒め」とは、朝、目が覚めた等の一般的な意味ではありません。精神的に大きく変化する「何か」です。

霊能力が開花したっ!なんてケースなら分かりやすいですが、「今この時代に起こる目醒め」は、どうもそうでは無いです。

最初に簡単に、そして一般的な表現で結論を申し上げます。

目醒め・目覚めとは、「自分を犠牲にせず、他を気づかい・親切にできる」

これだけなんですね。

え?そんな程度?!と思うでしょうか。そんな程度なんです。

そんな程度をごくごく自然に行える。この状態が、私が定義するところの目醒めです。

その上でスピリチュアルなレベルでお話し申し上げると、以下も私の定義ですが、既に何度かどこかでお伝えしましたね。第8チャクラと第0チャクラ、そのどちらか、あるいは両方が「存在」していること。

第1〜第7チャクラは個人のチャクラで、その人自身のエネルギーをあらわします。

ところが、第0・第8チャクラは個人を超越したチャクラで、全体的な意識とリンクする。

第8は宇宙であり未来の
第0は地球であり過去の
集合性無意識そのものです。

この両チャクラ(のどちらか)が開くと、より直感で生きるようになります。

個人としての思考・判断よりも、宇宙の意思や地球の意思で動いてしまう。自分を超えた全体的な意識の意思で思い、動くこと。これを直感と言います。

直感は利他的なもの。短絡的な思考と直感の違い、表面的には同じように見えますが、短絡的な思考は利己的、直感は利他的です。

つまり直感で判断・行動すると、「あ、ちょっと損したかも」と後々思うでしょう。しかし全体的に見ると良い判断で、

第8チャクラの意思は
宇宙的で未来的=理想的

第0チャクラの意思は
地球的で過去的=現実的

になるわけですね。

自分は犠牲になるかというとそんなことは無く、全体が良くなり、

その中で貢献した私も良くなります。利他とは自分以外を利するのでは無く、自分を含む全体を利するのです。

だから「自利利他」なんですが、自分と他を区別はせず、全体としてまるっと捉えている。「自分の損得を考えない」と思考すると自己犠牲的になります。

第0・第8チャクラが開くと自分も得するし、他も得する行動や判断をするので。

それを意識し考えて行うのでは無く、直感で自然にやるようになるのが、【目醒め・目覚め】の状態ですね。

そうすると

第0・第8チャクラ
開きたいな〜
開いているのかな〜?
と思う人もいるでしょう。

「僕は高野山で弘法大師に開いてもらったんです」

とか言うとドン引きされそうなので、一般的な言葉で申し上げると、先ほども申し上げた「自利利他」です。

この自利利他はどうすれば実現できるのかと、自分と他を区別していいので、考えてみます。

近江商人の経営哲学「三方よし」を意識するのもいいでしょう。

三方よしとは、商売において売り手と買い手が満足するのは当然のこと。加えて社会に貢献できてこそ、よい商売だとする考え方です。

【目醒め・目覚め】は全体意識に目醒める
ことなので、

社会貢献を意識するのは【目醒め・目覚め】につながるんですね。

自分の得もしっかり考える。

その内に自然にできるようになるでしょう。そのときは第0・第8チャクラが開いています。

神道推しの私が、これを言うのは珍しいかもしれませんが、

こと【目醒め・目覚め】に関しては、キリスト教にズバリその答えが書かれているし、仏教でその方法がズバリ伝わっています。

新約聖書の「ルカによる福音書」第7章を引用しましょう。

〜ルカによる福音書:第7章36節〜38節より〜

さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席につかれた。

この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持ってきて、

後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。

〜引用はここまで〜

罪深い女はここで、第0チャクラが開く【目醒め・目覚め】が起こっています。

どこがポイントか分かりますか?

イエスの足元にひざまずいてその足をキレイにしていますね。こういう心境になったとき、「第0チャクラ」が開きます。

仏教ではある動作で、方法論化されています。【土下座】です。「五体投地」なる土下座以上の土下座がある。

第0チャクラは足元の数十センチ下にあるので、地面の下にあるんですね。だから、誰かの第0チャクラにアクセスするには【土下座】くらいしないと届きません。

私もスピリチュアルなことにしっかりはまった人間ですから、イエスにも弘法大師にも「精神と時の部屋」のような空間で会ってその存在を感じています。

そういう修行があるんです。チャネリングする人ならごくありふれたことで大したことじゃないとご承知でしょう。

2008年にイエスと、2010年に弘法大師と空想の世界で会いました。

イエスに関しては「なんでこの人は
ひざまづくんだろう?」がまず気になった。

さらに、イエスのエネルギーは下から上に放射されるので、

これも不思議でした。それまで高次元意識といえば「上」にあるエネルギーと実感していたので、

「この方は逆だなあ」と。

これで第0チャクラの存在に気づくことが
できました。なるほど、地面の「下」に覚醒スイッチがあるんだと。そして罪深い女のエピソードを思い出したわけですね。

あれかと。

罪深い人が足もとで泣く、つまり罪を自覚して懺悔する時、魂が成長する仕組みになっています。

すでにYouTubeでも解説しましたね。

【六根清浄】神仏に通ずるシンプルな言霊↓↓

ちなみにイエスのエネルギーはワインレッド色で、「ワインはキリストの血」と言われる所以は、「最後の晩餐」だけが理由じゃないのかもと思ったものです。

その後、高野山にて弘法大師と出会い、第0チャクラを開いてもらうのですが、イエスと同じく下から上に放射されるエネルギーで、「あ、似ているっ」と思ったものです。

弘法大師は唐の留学時代に、どうもキリスト教の一派と遭遇したようですね。でもイエスよりも、もっと鋭いエネルギーだった。

こうした遭遇により教えてもらったことを
踏まえて申し上げます。

【目醒める】とは何か?

エネルギワークだけじゃ目醒めの状態はつくれない。ある心境になることが肝心です。その心境がこの話しです。

〜〜〜
この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持ってきて、

後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。
〜〜〜

以上、私からの「完全なる回答」でした!

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