読書記録|宮沢孝幸『ウイルス学者の責任』
読了日:2022年3月
京都大学医生物学研究所附属感染症モデル研究センター准教授の宮沢孝幸氏による、新型コロナウイルス感染症、及び”ワクチン”と言いつつも”ワクチン”の定義に収まっていない新型コロナウイルス感染症に対するmRNA(メッセンジャーRNA)製剤についての総括(発刊時点)。
ウイルス学者はこの騒動をどのように見ているのか。
専門的な知見から語っていく。
過剰な感染対策とmRNA製剤、この二つを使い、ウイルスから逃げ惑う人々が得たものは何だろうか?
今でこそ、mRNA製剤の薬害が少しずつ明るみにでて、因果関係を認められるケースも増えてきてはいるが、当時はその懸念を示すことすらタブーとされて、発言を潰されてきた。
そもそも、このmRNAという技術を用いたワクチンとは呼べない新薬を世間一般で普及させたことはなく、治験と同時進行で接種が半ば強制的に接種が行われたものである。
当然、接種後の被験者の中長期のデータはない。
mRNA製剤を接種することによって、一体どんなことが体内で起きるのか、それを知ってる者はいない。
自分の体の中にもウイルスや菌があり、日頃私たちはそれらと共存をしている。
それ以外にも、新型コロナウイルスだけではなく、空気中に漂っていたり、物に付着してる様々なウイルスや菌に私たちが気がつないうちに、そして僅かずつ曝露していて(この状態が「無症状」または「不顕性感染」である)、それにより免疫が作られていく。
この”僅かずつ”というのが生きていくためにとても重要であるにも関わらず、人々は極端にウイルスや菌を避けるがゆえに免疫を作る機会を減らし、逆にウイルスや菌に冒されやすい体を自ら作っていることになるのだ。
結局は、自然に任せるのが一番リスクが少ない、ということが言えるのではないか。
つまり、共存が最適解だと思う。
人類を含む生き物の体は本当によく出来ており、その体内のシステム全てはまさに神業という以外にないほど完璧だ。
私たちが意識をせずとも体内の水分は一定量で保たれ、体温も時間帯による波がありつつ毎日ほぼ同じ温度で推移。
例に挙げだせばキリがないが、とにかくホメオスタシスの塊である。
科学は神業を超えない。