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金沢スイミングインストラクター殺人事件(現地取材)
序章
時効成立して15年の歳月が流れ、本年9月30日で事件発生から三十年の節目となる。その三十年目に当事件を題材とした「とら男」が公開され、主演も当事件を担当した西村虎男元石川県警警部が本人役で務めるという異例ずくめの展開をみせた。
掛け値なしスルメのように噛めば噛むほど味の出る傑作である。
その風味に魅せられて何度も劇場に足を運んだという猛者も多いと聞く
今後、神奈川と大分でも公開される予定であるが、村山和也と西村虎男は
化石の様な事件を題材としたこの作品にいかなる覚悟の下に臨んだのか。そこをどうかじっくりと腰を据え、そして見届けて欲しい。この事件だからこそ、世に問えるものが確かにある。かくいう私もそれを強く感じたから追い続けてきたのだ。
三十年という時が経過して、奇しくも被害者の安實千穂さんが存命なら五十歳、論語でいう「知天命(テンメイヲシル)」年齢に達する。その節目にこの作品が公開された意義は大きいと考える。
村山和也監督も「不惑(マヨワズ)」という年齢に達したからこそ、この作品を世に問うことができたとも思えるし、故人の生きた証を遺すという執念と故郷への思いとこの事件を未解決に終わらされてしまった無念と被害者とその遺族への責任という十字架を背負ってきた西村虎男も齢七十の坂を越えたのだから、もうここらでそれを下ろし、「従心所欲」つまりこころの欲するところに従ってもよいのではないか。
いずれにせよ、このふたりの邂逅については、作中における「とら男」と「かや子」の出会いの様に、「メタセコイヤ」が繋いだ縁の如くなにかに導かれるようにという言葉が相応しく、もしかするとそれは故人が望んだものなのかもしれない。
そして私もこのお二人との出会いによって、この事件にひとつのけじめをつけるべく金沢行きを決意するに至ったのである。
事件概要など
事件概要
事件発生日:1992年9月30日
事件名:女性コーチ殺人事件
被害者 安實 千穂(事件当時20歳)
※血液型RH+A型
※県立松任高校卒業後金沢スイミングクラブ三十苅教場に
コーチとして勤務していた
遺体発見場所:三十苅教場職員駐車場
※事件現場:石川県農業試験場果樹実証圃(リンゴ園)内
※死亡推定時刻:9月30日 20:00頃
※死因:ベルト様の紐状の凶器(幅4㎝)による絞殺(窒息死)
時系列
9月30日
18:45 千穂さん退社(その後駐車場で待機)
※千穂さんはポケベルは所持していなかった
19:15 いつも(線路側)とは逆(山方向)へ車を走らせる
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※同僚「女性」コーチによる証言
※このあと、あっぷるぐりむの高尾店(現在閉店)で
犯人と合流したと思われる(とら男さんの考察による)
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19:30 有松交差点で左折したとの目撃情報
※運転していたのは男性
20:00頃 事件発生
20:40頃 大額三丁目交差点を左折との目撃情報
※運転席側男性 助手席は倒されていた
※ナンバープレートの四桁の数字が一致
※目撃した女性によると合計数が凶数であるとのこと
※同時刻頃同僚コーチ(男性:1 女性:1)後片付け等を終える
20:50頃 千穂さんの車はこの頃までに駐車場に戻される
20:55 同僚男性コーチが職員駐車場を出る際に目撃
※当日別の場長と会食の予定があった
※腹が空いていたためたこ焼きを買いその場で食べた
※遠目で千穂さんの車を確認したのみ
21:00頃 同時間帯に現場付近に別のカップルがいたらしい
※現場近くの農道に千穂さんの車のタイヤ痕あり
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※農道を鶴来方向に抜けたのではなく方向転換したとの見立て
※従って産業道路をつかい職員駐車場へ戻ったと推察される
21:35 同僚女性コーチ(駐車位置:1)が職員駐車場で目撃
※車内の異変には気づかず
※これ以降、職員駐車場を出入りした同僚はいない
23時頃 門限を過ぎても帰宅しない為、母が同僚に電話する
※同僚の女性コーチはいつもと同じくとっくに帰宅したと証言
※母が父のポケベルに帰宅するように連絡後、千穂さんの姉
(三姉妹の一番上)と捜しに出る。
※父は友人たちと雀荘にいた
※従って母は教場には連絡をしていない
10月1日
0:50頃 職員駐車場で千穂さんの遺体を母と姉が発見
※縁石に突っ込むように斜めに駐車されていた
※入庫の際、左前方を同僚の車の左側面に「接触」していた
※線路側から進入したと考えられている
※シフトレバーはDの位置でキーも刺さったまま
※エンジンは止まっていた
※カーステレオは音量を絞られている状態
※ステレオの切り方が解らなかったのかどうかは不明
※千穂さんは助手席のシートで眠っているように見えた
※「風邪をひくよ」と母が揺り起こそうとした
※千穂さんは息をしておらず、体温の温もりも感じられず
0:53 職員駐車場向かいカラオケスナックのママが通報
事件発覚後の流れ
性的暴行の痕跡はなかったが下着がずらされ
犯人の唾液(血液型は+Bないし+AB型とされる)も検出された。
当初は変質者の犯行との見解もあり、
着衣の下腹部辺りを刃物で切り裂かれていたことも
それを後押しするものであった。
被害者の靴の片方が車内からみつからず、
着衣にも泥が付着しており、別の場所で殺害された
ものとして殺害現場を特定する際に、被害者の髪と口内から
「生きた化石」と呼ばれるメタセコイヤの葉がみつかった
ことから被害者の自宅付近にある果樹実証圃
凶器すら特定に至っていなかったが、特捜班長として
捜査本部に復帰した西村虎男警部(当時)によって
被害者の着衣であるオーバーオールの肩紐であることが
特定されるも2007年に公訴時効が成立した。
後述するが、当初の見込み捜査が初動捜査のミスとして
当件を未解決に終わらせた主な要因として挙げられる。
捜査員のべ20000人、捜査対象者は6000人とされる。
とら男来たる
いよいよとら男氏とお会いできる日がやってきた。慌てた。
当方、記者証を首から下げているような人種ではないので、道中はラフな格好のままである。悩んだが素のままの自分をみてもらい、それで判断していただくのもよかろう。そう考えることにした。
約束の時間にとら男さん颯爽と現れる。
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店のマスターに「記事をみたよ すっかり有名人だね」と声をかけられる。はにかむ笑顔は優しい。
がっちりと握手を交わすと「すごい行動力だね」と笑う。
少しだけ緊張が解けた。
席に着くなり、私が卓上に広げていた大学ノート、システム手帳と
「千穂ちゃん ごめん!」に目をやり、「私の本まであるね」とまた笑う。
そしておもむろに
「地図を書こうか」という。事前に安實家の墓所はどこにあるかを私が尋ねていたからだ。
ノートを渡すとサラサラと慣れた手つきで付近の地図を書き始めた。
これが刑事の仕事かと目を見張った。
そして墓参する際の注意点をニ、三伺ったのちご遺族に対する思いに話は及んだ。
「田舎爺がベスト男優賞?」
で初めて語られたあの見込み捜査の件である。
どこから漏れたものかわからぬが、巷でも憶測が憶測を呼び「ご遺族のひとり」が疑われるという事態を招いた。その責任を痛感し、ご遺族が着せられた濡れ衣をなんとかはらさんと覚悟を決めギリギリの線まで事実を明かしたものが、とら男さんの著作「千穂ちゃん ごめん!」なのである。
そして、これだけを未解決で終わらせて否、終わら「されて」しまった背景についても話をして頂けた。特捜班長として再びこの事件に携わった際、当初は尻拭いと腹を括ったものの捜査記録に目を通すうちに己の眼を疑うかのようなミスを幾つもみつけた。
そのひとつが「凶器」についてで、資料には「わからない」とあった。
「そんな馬鹿な話があるかと」
捜査記録を徹底的に洗いなおした結果、
「千穂ちゃんのオーバーオールの肩紐と完全に一致した」
肩紐の幅は4㎝だったが資料には3.5㎝とされていたのである。
極めつきは当時、アリバイありとして捜査対象から外された男がいた。
とら男さんはそのアリバイが完全なものではないことに気づき、
「このアリバイには穴がある」
との考えに至った。例えば、Aを17時 Bを22時とする。A、B両方の時間にそこにいたと証明できたとしても、AからBの間ずっとそこにいたとは限らない。
当時の捜査担当者からも話を聴くに及び、裏取りをしたかどうか含め
「そのあたりちゃんと調べたのかと」
担当者を問い詰めたのだがそれもやっていなかった。
とら男さんはその男について徹底的に調べた。有松交差点での目撃情報に注目した。運転席の男は某俳優似の人物とあったが、まさにその通りであった。血液型も捜査情報と一致したが、それを後押しするだけの
「確証がどうしてもほしかった」ので、その男を呼んでポリグラフにかけたいと願い出た。
「無実ならそれが解る」
結果、測定不能となったがとら男さんには確かな手応えがあった。
供述内容にも「おかしな点」があることに気づき、犯行後に顕著に表れる「変化の兆候」もみられた。とら男さんの言葉によると
「それを境に性格とか行動や言動等も一変するんだよ」
とのことで、この男もそうだったという。
継続捜査を申し出たところ、とら男さんは移動となった。
上層部としては今更ことを荒立てるような真似をするなとでも言いたかったのだろうが、皮肉なことにその及び腰な姿勢が疑念を呼び、あろうことか遺族が疑われる結果となり、その火消しもとら男さんが引き受けることになる。
その時期を振り返りながら、とら男さんは
「六、七割の確率で」
その男が犯人だろうと今でも考えているという。
そこまで話すと再び詳細な地図を書き始めた。教場を中心に乙丸駅や目撃地点、そして左下に現場付近。その中に一か所だけ私の知らない(把握していない)ポイントが含まれていた。まずは目撃情報について信用度が高いものとそうでないものについて話して頂いた。次の章で説明する。
刑事の慧眼
信用に足りるのは19:15の職員駐車場からいつもと逆方向
![](https://assets.st-note.com/img/1663771589491-nDVwLVKFQF.jpg?width=1200)
に向かったという同僚女性コーチによるものと、20:40分頃大額三丁目交差点を左折後も暫く追尾したところ、黒のミラージュファビオを運転していたのは男性の様であったが助手席は倒れていたということに気づいたというもの。
この二つの目撃情報に関しては精度が高いととら男さんは考えており、そこに疑いをはさむ余地はないが、実際に捜査を担当されたとら男さんがもつ情報と世間的には正確なものとして事件考察本の類に掲載されている時系列や情報なるものとの相違点がいくつもあることに気付いた。
例えば、19:30頃の有松交差点での目撃情報は黒のミラージュファビオを男性が運転していたが助手席はよくみえなかったとのことであり、これは男女の姿とされることが多い。
21:35頃の同僚女性コーチ(1番に駐車していた)による証言を説明する際事実は翌日に千穂さんの車との接触痕に気づいたということから、実際は接触していたというのが正しいのであって、千穂さんの車が戻ったとされる20:50分以降、職員駐車場での目撃情報はそれと20:55頃にそこを出る際、
遠目に千穂さんの車に気づいたという男性コーチによるものの二つだけであり、その後退社した事務担当の職員に至っては千穂さんとは別の駐車場を利用していたということで、目撃のしようがない。
つまり他にもいくつか挙げられていた同僚による目撃情報は間違いなのである。
これまで私含めた考察者が常識としていた事件本やネット記事による情報にはないものとして扱っていたが、現実はそうではなかった。
否そもそもが、それを確かめに現地(ここ)に迄きているのではないか
例えば、20時50分頃に駐車場付近で目撃された
「何かを探すかのように1kmほど移動した」
という不審な行動をとったとされた男性に関する情報も
「急用でタクシーを探していた」
だけであると本人から親告があったのだが、いつの間にか
若い男性だったとか身長180㎝くらいはあったといった尾ひれがつき当の本人とはかけ離れたものになっていたというはなしもとら男さんから伺った。
若い男性つながりの情報をもうひとつ事件の約二週間前の9月17日に
千穂さんが職員駐車場で「若い男性と車内で親しげに話していた」
という目撃情報に至っては
通行人による「黒い車の車内に男女がいた」程度のものに過ぎないと知り、正直困惑した。
とら男さんの話をここまできいてきて
どうして我々に届くまでの間に事後情報どころではない脚色されたものに
書き換えられてしまうのだろうかと云う疑問を抱くと共に、まるで「伝言ゲーム」の様な事態が現実として起こりうることを知った。
豊田の事件における「変質者ロード」も相当怪しいが、
私自身もその間違っているかもしれない二次情報を基に考察をしていて、そのことに自らは気付けずにいたという、いってみれば素人による事件考察の限界をまざまざと見せつけられたような気持ちになり、己の限界というものをいやというほど知らされた気分にもなった。
ここでも「刑事の仕事」との差を思い知ることになり、
「確かに、まだまだ足りなかったな」
と自らを戒める機会ともなった。
ここでひとつカミングアウトする。
実はある証拠品については、私もその判断がつかずにいた。
千穂さんの髪や衣服に付着していた「生成り」の毛糸についてだ。
子供用のニットキャップのてっぺんにある球状の「梵天」などによく使用されるとのことで、おそらくは教え子のひとりとじゃれあった際にでもそうなったのではあるまいかと、自分なりの答えを用意してはいたのだが、この件についてとら男さんからの答え合わせとして実際に伺った話は、流石と納得するだけのものがあった。
そこまできて私もあることに気づき
「当時、犯人はそういう環境の下にあったということだったのですか」
と尋ねたらとら男さん、あのシーンの様にしっかりと私を見つめて頷いた。
そして私の把握していなかったポイントについても「何」をとりにいくために「そこ」に行く必要性があったかという疑問について話してくれたのだが、そこには正確な情報と長年の経験に培われた刑事の勘とあらゆる根拠に基づいての考察がなされていてぐうの音も出ず納得の一言しかなかった。
但し、このことについては答え合わせしてもらえなければ気づける筈もなく、そこについては誰もが十中八九間違った回答をするだろうし、実際に巷に溢れるこの事件の考察の殆どがそれを結論としている。
当然のことで私が以前唱えたような同級生説なども正解である可能性は限りなく低いものにすぎなかった。
「事件の核心」そこをとら男さんは見逃さなかった。
これが刑事の眼かと、正直身震いしそうになった。と同時に犯人に対しては「こんな理由で」千穂さんの人生を終わらせてしまったのだとしたら
あさましの一言である。心底呆れた。「驚き呆れて涙も出ないほど」酷いはなしだ。
とら男さんの見立て通り、こんな理由でひとひとりを殺めたのだとしたら
千穂さんの無念を想うと到底やりきれない気持ちにもなるが、それと同時に
ここでも素人の限界なるものをまざまざと思い知らされた。
「ここに来なければ気づけないことだらけだった」
とら男さんと過ごした時間は4時間にも及んでいた。
豊田の事件についても話ができたし、収穫は大きかった。
同じ中部地方の北と南で起きた事件であるし、若い女性が被害者であることや犯人が謎の行動をしている点含めこの二つの事件は案外似ている。
余談になるが、ここで事件特集でよくコメンテーターとしてあがる某元刑事氏について話が及ぶと
「あの表彰回数はないよ 信じられないね」
とら男さん一笑に付した。
ここでも本物の貫録というものをみてとれた。
名残惜しくもあったが、なにせ故郷に錦を飾る晴れ舞台を控えている。心ばかりのお礼にと土産を手渡し、その場の払い(とはいえコーヒー一杯だけ)は私がもったのだが、それでは到底足りない恩と義理が出来た。
事件の現場へ
なにはともあれ、職員駐車場に向かうことにした。
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事前にいくつかとら男さんに質問をさせて頂いており、当時の駐車番号のままであることは確認済みだった。Googlemapで何度も目にしたのと同じ風景が私の目の前にある。被害者である安實千穂さんの駐車番号は「2番」であり、その前まできて目を閉じそして手を合わせ、一礼をしてそこをあとにした。向かいのマンションの下のテナントは当時とあまり変わりはないのだろうか?
![](https://assets.st-note.com/img/1663773511981-7GhpExISjq.jpg?width=1200)
目を閉じたままで冷たくなっていた千穂さんを発見した母と姉が駆け込んだというカラオケスナックは現在はカラオケボックスに業態変更しているようだった。
覚悟はしていたのだが、教場跡地を目の当たりにして言葉を失った
![](https://assets.st-note.com/img/1663783611986-40wqfjz4Ks.jpg?width=1200)
「とら男」のネタバレにつながるので詳細は書かないが、撮影開始とときを同じくして教場が解体されたことにもなにか因縁めいたものを感じずにはいられない。そういうものを信じない主義だが、これは偶然ではなく必然だったそう思う自分もまたいるのである。
豊田の事件の取材でも開始当初にはあったものが、次々と姿を変え或いは完全に消えてしまったのをいくつも目にしてきた私だからよりそう思えてくるのかもしれないが
事件の風化とはそういうものだとはわかっていても、それでも猶、胸が痛むのだ。そういう場所だからこそ、風に揺れる向日葵が只々哀しく生命というもののはかなさを改めて知らされた気がした
とら男氏によれば、待ち合わせ場所はあっぷるぐりむというファミレスの
高尾店であったということだが、ここも現在では月極駐車場へと姿を変えている。豊田でもそうだったが感傷に浸っている場合ではない
時間は限られているのであって、少しでも多くの情報を得ねばここにきた
意味がなくなる
![](https://assets.st-note.com/img/1663774529112-ms4wNwEHEQ.jpg?width=1200)
職員駐車場から距離にして1.5kmほど北東に位置する。
これも因果なものではす向かいにはとら男氏と同じ苗字の歯科医院が
できていた。
19:30の有松交差点での目撃情報が正確なものであるとすれば、
ここから
①そのまま有松の交差点までは北上し左折
②8号線を経て倉光交差点から174号線安吉松任線へ
③そして188号線三反田松任線を抜け矢頃島交差点まで辿り着いた
以上がとら男さんの推測する犯人の移動経路である。
深夜に再びこの地を訪れ、そのルート通りに車を走らせながら、
その間、千穂さんと犯人の間ではどんなやりとりが繰り広げられていたのか
そのことばかりが頭をよぎる。決して良い空気であったとは到底思えず、
キツいやりとりのひとつやふたつもあったのかもしれない。
それでも自身の欲望のみが成し遂げられる様、その気にさせることばかりに集中していたのではないか
「身勝手すぎる全てが」
そう思うとまた胸が苦しくなってきた
そして現場に着くと、それは私の中で確信に変わった。
![](https://assets.st-note.com/img/1663777233160-zprA2EG5RK.jpg?width=1200)
どうやら私の想像していた犯人像とは180度逆の人物であったらしい
私の考察では性経験の少ない人物が、「彼女ができた」と思い込み
周囲にそれとなく漏らしていた為、引っ込みがつかず焦りと彼女を独り占めしたいという気持ちが暴走して相応しくない場所で行為に及ぼうとした結果、彼女との亀裂が生じ、哀しい結果を招いた
そう考えていた
良心を信じたいというのはやはり幻想なのだろうか
実際はマキアベリや韓非子の云う様に己の欲望だけで容易く人の命を奪うものなのかもしれない。改めて
「現場に来てみて初めてわかることがある」
その思いはより強固なものとなった。
当日の犯人と同じく、農道で方向転換をしてきた道を戻る
![](https://assets.st-note.com/img/1663777571652-LaQKerGQj4.jpg?width=1200)
それだけで胸糞が悪いし
気が滅入って、宿までが遠く感じられた。
犯人も職員駐車場までどういう思いであったのであろう
それ以上に長く感じた時間はなかったのかもしれぬ。
その夜は飲まずにはいられなかった。
「とら男」鑑賞記には書かなかったこと
![](https://assets.st-note.com/img/1663830340213-r54EI2hZTe.jpg?width=1200)
左から 村山監督 とら男さん 南さん 中谷内助教授
とら男鑑賞後、囲み取材を経て村山和也監督と
「千穂ちゃんごめん!」を読んだあとに同じ思いを抱いた件について話す機会があったのだが、ここではもう少しだけ突っ込んだ内容で打ち明けばなしをしようと思う。
要は素人が玄人に喧嘩を売るような意図はまるでないが、
「とら男さんの考察内容が情報その他に裏打ちされたもの」
であることは承知の上で、それでも「これと全く同じ」ものを
「そのまま出す訳にはいかない」
という結論に至った旨を話し、不完全なものであることも重々承知しているが「敢えて」以前からの考察のみ記事に書くことにしたと伝えた。
私の場合、友人に指摘された通り「丸々引用する」ことには気が引けるだけでなく、著作権的にも様々な問題が生じかねない訳でその取り扱いには細心の注意を払った結果でもあるのだが、村山監督曰く
「とら男さんの考察全てが正しいと考えるのもそれも
また危険なのであって、ここでは別の選択肢があってもよい」
と考えていたとのことだった。
私の「全ての人の心にかや子が宿ってほしい」
という考えもこれと近い。つまり十人十色の結論があれば、その中に必ず正解に辿り着くものがあり、それは犯人自身が一番わかっているはずのものであるからその選択肢が多ければ、多いほど
犯人にとっては重圧になる
と考えてのことである。
時効の恩恵によって逃げ得が許される時代だったとしても余りにも虫が良すぎやしまいか
それは全てを背負ってきたとら男さんだからこそいえる
「それくらいはお前が引き受けろ」
という言葉が皆の思いを代弁してくれているのではないか
逆もまた真なりと云うが、中谷内先生が仰る通り
「終わりにできない」苦しみは犯人が生きている限り影のようにつきまとうものなのであって、見込み捜査の弊害として
「当時、職場でもあの人が犯人だとの噂でもちきりだった」
「とら男さんに会うまで自分もその噂を信じていた」
「黒のファビオとかそういうことまで覚えている」
ことにより、更に遺族を苦しめ追い討ちまでかける羽目になったということは、中谷内先生が事件発生当時を振り返った衝撃の告白からも伺える。人の噂も75日で済むとは限らないのだ。
千穂さんだけでなく、犯人の知らないところで苦しんだひとは一杯いるのだからそれをせめてもの罪滅ぼしにしたら如何か
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千穂さんの眠るところで
記事をかいて半年、私の人生においても怒涛の日々が過ぎていった。
それがYouTube動画の元記事のひとつになり
その事件を担当した元刑事に姿勢を褒めて頂き
その事件を題材とした映画の監督にも分身といって頂き
かや子役を演じた俳優に「この仕事をやっていてよかった」とまで
いって頂けたこと、そのこと全て感謝の気持ちの一言しかない
だが、これは特別な日々であって常とは思わない。
私もかや子やとら男と同じく日常に帰るときが近づいている。
その為に、千穂さんの墓所を訪れたのである
これはこの事件に間接的にでも携わった者としての責任の心算
これをひとつの節目とする
それでもまたいつかこんな日も来るだろう
その日の為にこれからも書き続けていく
それはまさしく千穂さんの墓前で私が誓ったことでもある
![](https://assets.st-note.com/img/1663782878003-2vMeX6REnq.jpg?width=1200)
決して貴女の死を無駄にはしないし、生きた証を忘れさせはしない
報われなかった魂の為に私たちができることはなにか
それを知るための日々でもあったとそう思えて仕方ない
終章
この旅の最後に、再び現場へと足を運んだ。
昼間の現場は只の長閑な農村の風景でもある。
広い空と色鮮やかな緑の絨毯の続く場所
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![](https://assets.st-note.com/img/1663790529950-fKloPgsT9d.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1663790652114-XxB6ngcrMH.jpg?width=1200)
その前に、村山監督が少年だった頃に野球に興じた球場を訪れた
![](https://assets.st-note.com/img/1663788311911-125bx6het4.jpg?width=1200)
現場とは本当に目と鼻の先であり、その衝撃も察するに余りある
言葉通り最も多感で「人生で一番幸せな時期」に一番身近な場所で
その事件は起きた。
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それだからこそ「あの事件はどうなったのであろう」と気になり、結果、手にしたのが「千穂ちゃん ごめん!」であったのだから運命の悪戯では済まされない何かを感じてしまい最早「必然」としか言いようのない事実がある。
村山監督が主催したTwitterのスペースにゲストとして招かれた際に「石川で起きた未解決事件」について私からも質問させて頂いた際に「これ以外に特別な思いはない」と訊き、それが「かや子」の一連の行動のモチーフにもなった訳だからこの形以外に千穂さんの無念を世に伝える術はなかったのだろうそう確信した。
村山監督は見た目以上に、アツいひとであり
根は案外体育会系で曲がったことが許せないタイプでときとして言葉の端々にそれが顔を覗かせるときがある。
実はかや子の意外な一面として作中にもちゃんと描かれている。
そんな二面性含めかや子は監督の分身なのである。かく云う私もそれは同じ、でなけりゃ金沢行きの覚悟などもてない。
そのアツい思いを継ぐものとして「とら男」には「かや子」がいるように現実世界でも「西村虎男」には「村山和也」がいる。
この様にバトンを受け取る存在は警察組織にも必要なのでありそれはつまりとら男さんがいうところの「ヒーローとなる刑事の登場」が待たれるところではある。
そんな西村虎男と村山和也そして「とら男」に関わった全ての人々
それぞれの思いが詰まった作品であるからして、どうか形としてこれを遺す方法はないものかと思っている
金沢公開初日に監督に「ソフト化」の予定について伺った際には前向きであった姿勢がその後、トーンが日を追うことに下がってゆく様を目の当たりにする日々が続き心から口惜しいと感じた。
この国ではどうも「臭いものには蓋をする」という悪しき慣習が根付いてしまった様でそれは実に悲しむべきことでもある。
安實千穂という人生が理不尽な理由で突然幕を下ろされた
それだけで意義は十二分にあるのだし、
嘗ての日本人には他人の死を自分の身内のそれであるかの如く悲しみを分け合う美徳があった筈ではないのか
それもまたマキアベリや韓非子の言葉を思い出して所詮は他人事と片付けろと云われたとしても
はいそうですかとは到底申し上げる気持ちにはなれない
それも私が書き続ける理由のひとつでもある。
この事件が起きたのが1992年ということで、被害者の
安實千穂さんが存命ならば50歳、村山監督が40歳と申し上げたが、
私の追いかけているもう一つの事件である豊田女子高生殺人事件の
被害者である清水愛美さんが存命であれば30歳になっていた筈で、
そう考えるとなんとも感慨深い。
こういった節目にあたる年であること含め当事件はとら男氏の本厄の年に起きたことも何か因縁めいたものを感じる。
因みにとら男氏の刑事人生もまた42年であるし、渋谷での封切からお盆を挟み当地金沢での公開というのも偶然といえば偶然なのだろうが、これもまた必然であったと考えて差し支えあるまい。
少なくとも金沢では、この事件についてなにかを考えるという気運は高まってきている。そう感じることはTwitterを眺めているだけでも幾つもあった。
様々な障害を乗り越えて
金沢で公開できたことについていえば間違いなく意味も意義もあった。
これが全ての未解決事件に対してもそうであってほしいと心から願っている。
時効の壁は最早ないが、殺人事件における民事訴訟において
損害或いは加害者が誰かを知ったときから5年以内に改正もされたが、
事件発生から20年経過してしまうと問答無用で時効が成立してしまう。
これには首を傾げざるを得ない。
殺人における刑事訴訟の公訴時効が撤廃された裏でこんな矛盾が
生じたままになっていることを指摘する声もあまり耳には入らない。
だが、これは由々しきことであると言わざるを得ない。
それでも所謂、足立区女性教員殺人事件において当時殺人事件における刑事15年及び民事20年の公訴時効が成立していたにも関わらず、東京地裁は「殺人」においては時効成立したものの28年間、死亡の事実が犯人により隠匿され確認できない状態であったことから慰謝料として330万円の支払いを命じた。
だがこれを不服として遺族が控訴、東京高裁において
上記地裁判決を破棄し、新たに「死体隠匿」も「殺人」における一連の行為と認定し4255万円の支払いをを命じたという特例(被告側の控訴棄却により確定)もあるにはあるのだが、願わくば殺人事件においては民事の時効も目に見える形で同じく撤廃されるよう祈りつつこの記事の締めくくりとしたい。
そして事件の発生日であり、同時に千穂さんの命日でもある9月30日を目前にして、なんとかこの記事を書きあげることができた。
段落を丸々消してしまったり、操作を失敗して数千文字がお釈迦になることもあったが、その度に千穂さんに
「もっといいものを目指しなさい」
と言われていると考えることにして自分を奮い立たせてきた。
これからも命ある限り、私にできることはこれだけだから書き続けてゆこうと思う。
それが千穂さんとの約束でもあるのだから。