20代最後に脳梗塞の手前の状態(TIA)になった話その2 救急車、ER、そして入院することに
20代最後の1か月、会社のトイレで半身麻痺になり倒れ、救急車で運ばれ、入院することとなった際の体験記。前回の記事はこちら↓
病名は「一過性脳虚血発作」だった
担ぎ込まれた救急車の中で、まず救急隊員の方に名前を聞かれた。フルネームを答えた。次に住所を聞かれた。かなりゆっくりとした速度で答えているのが自分でも分かったが、「よし、正しく伝えられているぞ」と少し気を確かにした。救急車には仲の良い同僚(Aとする)が同乗してくれた。とても心配そうな顔をしていた。車は大きなサイレンを鳴らしながら移動する。
5分~10分くらい走り、最寄りの大学病院に着いた。ERに運び込まれて、検査が始まった。色々な人が次から次へと来て、私の四肢に何かを貼ったり巻いたりして、めくるめくスピードで検査が進められた。MRIだったかCTだったか、スキャニング検査を受けるために、ラメ入りのペディキュアがすごい勢いで落とされた。タトゥーは入っていないかも確認された。下着は取られ、紙オムツに替えられた。
理解が追いつかないままひととおりの検査が終了した。一緒に来てくれた同僚Aに聞くと、2時間くらいは経ったという。上司も様子を見に来てくれた。みんな「大丈夫?」と聞くので、別に痛いところもなかった私は「大丈夫です~。」と答えていた。手足にはまだ少し違和感が残っていたものの、思考はできていたし、普通のスピードで話せるようになっていた。
それから医師の方が来て、病名を教えてくれた。一過性脳虚血発作だと言う。この症状が現れてから、2,3日以内に脳梗塞が発生する可能性があるとのことだった。家族に病状を話してくれるとのことで、実家にいる母に電話した。「もしもしお母さん?今日会社で倒れて救急車で運ばれて。今病院にいて、先生が説明してくれるから変わるね。」と、ゆっくり説明しながら、携帯電話を医師に渡した。脳梗塞の一つ手前の状態だと説明していた。当然は母は驚いたが、私の声が気丈だったので、パニックになるほどではなかったそうだ。母は仕事先に掛け合い、できるだけ早く行くと言ってくれた。私は無理しなくていいよと言ったと思う。
病名を聞いた会社の人たちはかなり心配してくれたし、同僚Aは泣きそうな顔になっていた。私はと言うと、「脳梗塞」というワードのショックが大きく、「私の人生、こんな感じで、ここで終わるのかな。」と思ったりした。対峙するのが、深く考えるのが怖くて、すぐにあまり考えないよう気持ちを切り替えた。体も動かせるし、今この瞬間は大丈夫、という気持ちもあった。
入院とお見舞い1人目
原因はまだ不明とのことで、分かるまで入院することになった。部屋を準備してくれるまで間があったので、その日一緒に昼食を取った同僚(Bとする)に「入院しました」とメッセージと自撮り写真を送った。
病室の準備ができたので、横になった状態のままERから病室へ運ばれた。余裕の出てきた私は、自分が運ばれている様子の動画を撮った。なかなか撮れない画が撮れたと思う。後日友人に見せると「ブレてなくていいね!」と褒めてもらえた。
病室は個室だった。テレビも見放題の、いい部屋だった。上司には先に帰ってもらったが、同僚Aには残ってもらった。まだ独りきりになるのは怖かった。
同僚Bはまだ会社にいるのでお見舞いに来てくれるといい、必要なものを聞いてくれた。ちょうど生理中だったので、ナプキンと生理用下着をお願いした。紙オムツなので今晩は大丈夫だろうが、明日も同じというわけにはいくまい、と思ったのだった。また化粧落としや歯ブラシセットなど必要最低限のものは、すでに上司が買っていてくれた。
同僚Bが来て、病名と現状、原因が分からないことを伝えた。二人は夜遅くまで残って一緒に話してくれ、だいぶ気持ちが楽になった。初めてのことが多すぎて疲れていたこともあり、その日はまずまず眠ることができた。続きます。