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免許合宿で「半地下」に収容される
◆
どうせ運転免許を取るなら、ちまちま教習所に通うのではなく、合宿で一気に済ませてしまいたい。
大学一年生の頃、私はそう考えてた。
まるでバイトにでも行くかの様に、長期間、嫌々教習所に通っている人間をたくさん見てきたからだ。
また、「合宿」という言葉に魅力的な響きを感じていたのもある。当時「帰宅部高校生→コロナ禍大学生」という引き篭り界のスターダムを駆け上がっていた私にとって、免許合宿なる行事は、「自動車を運転する権利」と「一定期間友人と寝食を共にする充実感」を同時に得ることができる一石二鳥この上ないイベントに思えたのだ。
私はすぐに中学時代からの友人であるKを誘い、いろいろな教習所からパンフレットを取り寄せた。
「免許取るのって意外と金かかるんだな、」
「夏休み中は結構埋まっちゃってるなあ、もうどこでもいいから空いてること探そう」
集まった当初は「これで身分確認された時、健康保険証ではなくスマートに免許証を提示するかっこいいオトナになれる!!」等はしゃいでいた私たちであったが、地元のフードコートで無料の水を飲みながら、多くの人が行なっている運転免許の取得にも少なくないお金がかかること、空き状況的にもはや旅行感覚で教習所の場所を選んでいる余裕なんてないことなどを知り、順調にテンションを下げていった。
そして何よりも問題だったのは、免許合宿の旅程が、「二週間」と思ったより長かったことだ。
先ほど「合宿とはかけがえのない友人と非日常を味わえる魅力的なイベントでーす!キラキラ!」みたいなことを言った気がするが、「非日常」なんて無敵状態が継続するのは精々一週間までだ。
どうせ、綺麗好きでマイペースで一人の時間を大事にしたい私たち(主に私)は、いくら付き合いが長かろうとそのうちパーソナルスペースが確保出来ない環境にストレスを感じはじめ、険悪なムードになっていく。そんな未来に対する確信が暗黙の了解として私たちを取り巻いていた。
そんな時だった。偶然、一人一部屋のアパートを用意してもらえる教習所を発見した。当然値段は少しばかり高くなってしまうが、私たちの狙っていた夏休み期間にも空きがある。これだ!と思い、私たちはすぐにそのコースを予約した。
ここまでダラダラと書いたことを一言でまとめると、私たちは免許合宿に行くことになった。
◆
8月の真っ只中、私たちは普段行かないような県にある、こぢんまりとした教習所に到着した。
私は辺りを見回して、少し懐かしさを感じた。自分と同じような年代の青年たちが、皆同じ目的のために講義や実習に取り組んでいる。その様子は、コロナ前の高校時代を思い起こさせ、数ヶ月前まで当たり前に享受していた生活の尊さに、胸が高鳴る思いだった。
まずは受付のようなところに集合し、必要書類の記入や身体検査を行なった。
その後、同じタイミングで合宿を始めた教習生たち(男子3人組と女子2人組)とともに、合宿所を案内してもらえることになった。
「まずは男子寮、次にアパートに行きます!」
まるでツアーガイドのように、係のおばさんは私たちを先導していく。
ちなみに男子寮というのは、私たちが予約したアパートと異なり、風呂トイレが共同で、部屋も狭いスペースを複数人で使うような施設だった。どうやら男子は男子寮、女子はアパートというのがこの教習所の通例らしかった。……私のように合宿に来てまで「洗面所に誰かがいるとかマジストレスだわ〜」とかほざいている温室野郎を除けば。
「はい、こちらが男子寮になります!」
(良かった〜〜!!)
先に案内された男子寮の外観を見て、私は胸を撫で下ろした。
教習所の敷地の端っこ、駐車場の脇の階段をやや下ったところに「それ」はあった。駐車場の真下に謎の空間があり、その奥に洞窟ような格好で男子寮の入り口が存在しているのである。どうやら教習所周辺の地面の傾斜の都合上、駐車場の下のコンクリートをくり抜くようにして寮を作ったらしい。
地下ではないけれど、地平が上にある。その様子は韓国のブラックコメディ映画である『パラサイト』の冒頭、主人公の家族が住んでいる「半地下」の家によく似ていた。
係員の案内で中に入ってみると、室内がやや薄暗いことに気づいた。上に駐車場が覆い被さっているため、窓がなく自然光が入らないのだ。また全体的に湿度が高く、カビが生えやすそうな印象を受けた。
「では、〇〇さんたちは3人部屋になりますので、こちらの鍵をお使いください」
隣にいた男子トリオが半地下の一室に収容された。私はその様子に憐憫さえ覚えた。だが同時に、圧倒的な勝利の喜びが全身を駆け巡った。私たちは勝ったんだ!多少のコストを引き受けてでもアパートを選んだ私たちの選択は、間違っていなかったんだ!
やがて男子トリオの案内を終えた係のおばさんが資料を見ながら私とKの方に近づいてくる。
「ではあなたたち二人は……」
あっ、アパートなんですね、じゃあ案内します!という言葉を期待し、私は待った。
そうなんですアパートなんですよね〜、ちょっと贅沢かもしれないけど、男子は必ず男子寮って決まりでもないですもんね〜、ほらイマドキ性別による違いとか無くして行こうってトレンドじゃないですか、そういう時流にも乗っていこうかな、なーんて!、みたいなことを表情に滲ませながらヘラヘラした顔で待った。
「お二人は〇〇号室になります、鍵はこちらをお使いください」
「そうなんです、アパートです……もん……ね………え?」
ヘラヘラしていた私は、数秒遅れで事態の異変に気付いた。
あれ、なんで今俺たち男子寮の鍵渡されてるんだろう。
え? なんでなんで?
見合わせたKの顔は、能面のように硬直していた。
きっと何かの手違いに違いない。そう思いこみ、私たちは必死に説明しようとした。
「え? あの、僕たちアパートで予約したんですけど……」
「ほら、これ予約確認メールです!」
「はい?確かにこっちの資料にはお二人は男子寮だと書いてありますが…」
「そんなぁ、確かに予約したんです。追加料金も払って!」
「ただ、こちらにはそう言った記録はありませんので…」
メール履歴なども活用しながら説得を試みたが、おばさんは「資料に書いてないから」の一点張りで頑なに認めてくれない。数分間話がまとまらず押し問答が続いた。
その間、一緒にいた男子トリオからは「なんなんコイツらだるいんだけど……」という嫌悪の視線が、女子ペアからは「なに必死になっちゃってんの、キモ!」という軽蔑の視線が私たちをチクチクと刺していった。……実際はそんなことはなかっただろうが、私はもう何も信じることができなくなっていた。
まずい、非常にまずい。ただ手違いを説明しているだけなのに、私たちがその場にいる全員の共通敵となっていく空気感が出来上がりつつあった。
「ここは一度引こう」。瞬時にアイコンタクトを取り、私たちはそう判断した。ここは一度納得したふりをして場を収めたほうがいいだろう。こんなマニュアル通りの対応しか出来ない末端のおばさんにとやかく言っても埒が開かない。改めてもっと上の人間に直訴しよう。……思考回路が完全にクレーマーのそれになっていることに、その時は気づく余裕もなかった。
何よりも、これからの二週間を共にこの教習所で過ごすことになる他の教習生の時間を、これ以上奪いたくなかった。
「……納得していただけましたでしょうか?」
「「はい、取り乱してすいませんでした!」」
私たちはなるべく爽やかな笑みで虚偽の申告をすると、一度割り振られた部屋に退却した。
そして荷解きをほとんどせずに、受付に駆け込んだ。クレーマー特有の謎の行動力である。
その時の私たちは、まるで裁判にでも行くかのような表情をしていたことだろう。ちなみに最初の教習まで時間がなかったため、昼食は抜いた。裁判には犠牲が付き物である。
「すいません、本日からこちらに来ているものですが、宿泊所についていくつか尋ねたいことがございまして……」
非常に深刻な問題が発生しています!という雰囲気を存分に醸し出しながら、私たちは受付のお姉さんに話しかける。
「……なるほど、では責任者を呼んできますので、少々お待ちください」
事態を把握したお姉さんは、後ろの部屋に下がっていった。
そうだ、この展開が欲しかった。先ほどのまるで融通が効かない「マニュアルおばさん」などではなく、もっと親身かつ合理的にトラブルに対処してくれる責任者が、私たちのアパート行きのためには必要なのだ。マニュアルなのは、免許だけでいいのだ (by AT限定免許保持者)。
「お待たせいたしました……」
数分後、やけに不機嫌そうな声と共に、「責任者」が現れた。
先ほどの「マニュアルおばさん」だった。
敗訴!! それはその二文字が私たちの目の前に突きつけられたことに等しかった。
どうして、あなたが……!? 驚きと恥ずかしさ、気まずさで、リアルに空いた口が塞がらなかった。
序盤で戦った敵が、物語の終盤でラスボスとして立ちはだかるまさかの展開に、私たちは膝から崩れ落ちそうになった。
「先ほど話はついたかと思いますが、まだ何がございましたでしょうか?」
「いえ、もう……いいんです。」
僕たちが……悪いんです。
私たちはもう、疲れていた。早起きして東京から移動して、昼飯を抜いて、散々言い合いをして、挙げ句の果てにこの始末である。もう、あんまりだ。この際私たちさえ折れれば、全てが穏便に終わるんじゃないか。そう思った。過酷な取り調べに疲れた無実の人間が、罪を認めてしまう気持ちが分かった気がした。
「もう、終わったんです……」
絶望に押し潰されそうになりながら、私たちは最初の講習に向かうのだった。
しかしその後も諦めきれず、数日間にわたって交渉を続けてみた。今、「続けてみた!」とかYouTubeのタイトルみたいな軽いノリで言ってはみたが、言い換えればそれは、これから大変お世話になるであろう教習所の大人たちからの好感度を、着々とすり減らしていく悲しい作業に他ならなかった。
そして苦行の結果、「代理店の表記の仕方に語弊があった」という事実が発覚する。本来サイトには、「アパートを予約しても、部屋の空き状況によっては男子寮になることもある」という表記をするよう、教習所側は代理店に依頼していた。しかし、何かの手違いでその旨の表記がなされていなかった。そのため私たちは部屋割りの仕組みを理解しないままアパートを予約し、今に至る。らしい。
さらになんでかまったく分からないが、それを踏まえた上で、……ってことは教習所側も君たちも被害者だね!被害者どうし手を取り合って平和な世界を作っていこうね!という、紙面の都合上短い尺で強引に完結させにいった漫画みたいな結論に落ち着いてしまったのだ。
そこまできて、私は呆れると共に、不思議と「これで良かったんじゃないか……」と思うようになった。
それは別に、男子寮も悪くなかったとか、教習所側にもどうしようもない部分があったとか、そういう理由からではない。
確かに私たちは理不尽な目に遭った。だが、この一連の出来事を、責任者としてマニュアルおばさんが再登場した時の衝撃を、私は決して忘れないだろう。そう確信した時、ふと、そんな幸であろうと不幸であろうと「決して忘れない」出来事の回数こそが、人生における「濃度」のようなものに繋がってくるのではないか、と感じたのである。
私は合宿から帰ってから、あちらこちらでこの話を擦り倒すだろう。Kとは思い出話として数年後も話題にし、そのうちエッセイにすらしてしまうかもしれない。世の中には、免許合宿から帰ると「向こうで出会ったおんにゃのコとあんなことやこんなことを//……」みたいな出来事を、鬼の首を取ったように吹聴して回る稀有な男性もいる。まったくベクトルこそ違えど、私もそれに匹敵するくらいのを「決して忘れない」出来事を、期せずして手に入れることができたのではないだろうか。(※そんなわけない。自分のポジティブさに涙が出そうになる。) その代償としてということなら、半地下で生活するくらい、大したことではないのではないか。そう思えたのである。
これまでダラダラと書いたことを一言でまとめると、私はついに観念した。
ちなみに念のため、「それなら僕たち、アパートに移っても……」と聞くと「あっごめん、そもそも今アパートに空き部屋がないや!」とナチュラルにトドメを刺された。
こうして私たちは、半地下の住人となった。
その後、『パラサイト』終盤並みの大雨に見舞われ、さらにその中で初の路上教習を敢行するという、まさしく死のドライブを体験することになるのだが、それはまた別の機会に。