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旅する銭湯、はすぬま温泉(大田区)の話
この物語はフィクションで実在の人物(特にお客さま)とは全く関係ありません。私があまりに銭湯、サウナが好きなので勝手に書いたお話です。5分で読めます。
銭湯は実在しますが個人の感想に尽きます。お店の方に依頼された訳でもありません。お店の方にお叱り、ご指摘を受ければすぐに訂正、削除します。
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タイトル:『好き、という事』
わたし(28)
フリーランスデザイナーの場合
*
「“はすぬま”?」
「蒲田の隣」
「私はこの後渋谷の方に行くけど、東京の銭湯にも“温泉”あるんだよ」
「銭湯かぁ…」
「気分転換してきなよ」
「でも銭湯って、何持って行けばいいの?」
私は夕方から日課の“銭湯”にいくという友人を呼びだして、ひたすら愚痴っていた。彼女の小さなバッグは、今から湯に浸かる持ち物が入っているようには見えない。彼女は、私の目を見て言う。
「何もいらない」
―何もいらない
日曜日の昼下がり。スタバの桜味のピンクの飲み物が、彼女の“ほくろ”のある口元に変わる季節を告げる。
***
蓮沼駅は、言われるがままに身体一つでやってきたけれど、それこそ何もない。Google先生によると、駅から歩いて2分。線路を渡って、左。いや、右?住宅街を抜けてみつけた、煙突から湯気がもくもく。
―入っていいのかな?
靴箱に靴をあずけて、そろりとロビーに入ると、右手には鮮やかなステンドグラス。ずっとインスタで見ていた羨ましかったあの、ステンドグラス。ずっと行きたかった場所。
床には鯉まで泳いでる。呆気にとられおどおどしている私に、優しい声がした。
「はじめてですか?」
「はい」
『サウナも入るとスッキリするよ』、そう友人の彼女に言われたのを思い出して、サウナに入りたいことも伝えた。
お店の人は慣れた手つきで、大小タオル、小さなサウナマット、サウナへの鍵を渡してくれた。サウナマットはサウナに入る時にお尻に引くもので、サウナの鍵はサウナに入るときに使うもの。
懇切丁寧、全部教えてくれた。
「一番右のドライヤーは持ち込み専用なので、お金を入れる時に気を付けてくださいね」
最後まで、優しかった。
***
キン、シャラン、タン、シャラン、スン、スン。
脱衣所に入ると、水琴窟の音が優しく耳をなでる。
―気のせいかな?
赤い暖簾をくぐって、振り返ると、天井のそばの壁には更に大きな美しく光が漏れる大きなステンドグラスが構えている。大正時代を思い起こさせる、電飾。少しまるみを帯びた、木製のロッカー。
そこは大正ロマン、道後温泉。いつの間にかタイムスリップしてしまったみたい。
“もっと早く来ておけばよかった”と“やっと来れた”が、抜ける天井を突き抜けるように共鳴して、水琴音がステンドグラスさえも鳴らす。
脱衣所にはおむつ台も備えられていて、家族連れも多い。子供たちの賑やかな声、挨拶しあう地元の人たち。沢山の人たちに愛されているのがよく伝わる。
浴槽入り口のそばの飲料水の蛇口に、メイク落としが丁寧に置いてあったので、私の顔に載っているものは全て落とした。
***
浴室は、もっと道後温泉。目の前に飛び込んでくる正面に描かれた圧巻の滝のペンキ絵と、男湯との仕切る壁にかかる、まぁるい日本風絵画。行ったことは無いけれど。だって散々調べたんだもの。ブルーライト越しで、何度も何度も見ていたから。
―いまわたし。道後温泉。きてる
カタコトになりそうな自分の気持ちの高ぶりと一緒に、浴室はモクモク湯気が立ち込める。広々とした、“源泉掛け流しの水風呂”から続く広々とした、三つの大きな浴槽。
一番奥は、立派な鯉の湯口が目立つ天然温泉。その突き当りの両脇にちょこんと独立したカランを発見。私はそこへ桶だけ持って目指した。ここを整いスポットと名付けよう。ここの椅子は備え付け。
***
備え付けのボディーソープでしっかり身体を洗ったら、まずは、真ん中の炭酸泉。一番賑わっていて、少し空いたかなと思うとまたすぐに誰かがチャプン。段差で半身浴しながら、楽しそうにお喋りに弾む姿が羨ましい。
―今日は何があったのかな
お喋りの邪魔をしたくなくて、ガスが抜けてしまうのが勿体なくて、私はそっと居場所を探す。段差を降りて、お喋りの邪魔にならないように、でも首までつかりたくて温度計の側に寄ってみると温度は37度、私だってここから出たくない。永遠に浸かっていられるもの。
丁度空いた壁に背中をぺったりつけて、右手のまぁるい日本風絵画に目を向ける。左から数えると5つ。四十の塔があったり。雪が降って居たり。季節がどんどん過ぎていくみたい。
炭酸泉に別れを告げて、一番奥の熱めの立派で威勢のいい鯉が彫られた湯口とご対面。こちらは段差が広めで、浅い段差の方の湯船の端に腰かける。まぁるい絵画の5つ目は桜かな?梅かな?この絵を描いた人のサインがしっかり刻まれてる。その自信に満ち溢れたサインと絵画が私の心臓を揺らす。
―私の季節は動かない、このままでいいの?
***
借りたサウナの鍵をひっかけて、戸をひくとまた別世界。迫る熱気。籠る温度。借りたサウナマットもあるけれど、既にサウナストーブを囲うように引かれた黄色いサウナマットのは、レッドカーペットみたいで、“ここが良いよ”と導いてくれるよう。私は1段目のサウナストーブの目の前に借りた小さなサウナマットを広げる。お尻を二重保護して、背中を壁に預けて足を放り投げる。誰もいない私だけの空間。
―贅沢に使わせていただきます
目につくのは、3を指す12分時計と84度を示す温度計だけ。
『“何分入ってなきゃいけない”っていう決まりはなくて、出たいときに出れば良い』
彼女の言葉を思い出す。じんわり額から汗がひと筋。火照りと身体の湿り気が、多分“サウナを出る”の合図。同時に、私は“どんよりする方の湿り気”に包まれた自分の部屋を思い出した。思い出したくないのに。
***
“松山までのフライトをお探しですか?”
Jetstarが、いらない情報をまた教えてくれた。メルマガを登録して、ずっと松山行きのセールを待っていたから。
―今はもう、探してないのにな
『片道5,000円で行けるんだよ!』
『いっつも休めないじゃん、仕事』
『ごめん、でも今度は行けると思うから』
『俺だって忙しいのにさ』
『調整してみるから』
『“好きな事”、仕事にできるっていいよなぁ』
『…だから…リフレッシュもかねてさ。行こうよ、道後温泉』
何度も、何度も、繰り返されたやり取り。一緒に飲みたかった、蛇口をひねったら出るポンジュース。私の脳みそは再生停止ボタンの機能を備えていない。
ぺったり私の家の冷たいフローリングに、顔をつけていてもiPhoneは松山行きのお知らせ以外、今のところ震える気配を見せない。またじんわり、ひと筋床に伝う水分。もう身体はカラカラ。
―どうしてれば、よかった?
***
『大体サウナは5分くらい。でも無理はしないでね』
頭に走る、彼女の言葉。12分時計はもう、“9”を指していた。ずっとぐちゃぐちゃだった心に、カラカラの身体。表面だけは大洪水。ひっちゃかめっちゃかで、ぐちゃぐちゃ。多分顔面崩壊。誰もやってこないサウナを後にするのが、ただ、ただ惜しい。
―無理ってどれくらいの事を言うんだろう?
20mくらい先にある、さっき見つけた、私が任命した整いスポットのカランが空いてるかをガラス戸から確認。
―よし、いまだ
休憩場所を定めて、一旦退室。
ぶしゃぁ。ざぁぁ。
サウナの真横にある立ちシャワーは勢いよく私を流してくれる。どんなにひどい顔をしてたって、勢いのある水流のお陰で、私の腫れた目は目立たない。立ちシャワーの目の間に広がる、黄色味がかった源泉掛け流しの水風呂。
“海の色は空の色”というけれど、この色はきっと本物の温泉の色。水風呂の浴槽の角は角がない。まるみをおびた優しい湯船の段差をゆっくり降りる。水風呂の恐怖は、すぐに23度の贅沢に変わる。足を漬けてゆっくり身体を鎮めると、肩まで入れる事がすぐに判明。目一杯手足を広げる。左手にある湯口はライオン。一生懸命、口から温泉を運んでる姿が愛らしい。
―私は一生懸命、すぎたかな
***
勝手に任命された私の整いスポット、隅のカランは仕切りのお陰で、背中を預けられる。目を閉じると、思い出す光景。私を纏う、欲しくない湿り気と、苦みと、声を上げたくなる衝動を、今日だけは鯉のそばに置いて行って行かせてもらうことにする。
―これからはちゃんとするから、今日だけは
揺らめく意識。白い湯気と一緒に立ち昇っていくのがはっきりと私には見える。消えていく。消えていく。湯気と一緒に。心を、身体を、私は整える。
『サウナ、水風呂、ちゃんと休憩してね。自分に優しくしてあげてね』
自分に優しくできるから、多分彼女は誰にでも優しい。
***
「写真撮っても良いですか?」
「ロビー内はかまいませんよ」
私は、借りたもの一式を受付で返して、尋ねた。インスタ用に収めたくなる沢山の映えスポット。大正ロマンにあふれたロビー。
『元気です』って全世界に発信しなくちゃいけないから、心配かけたくないから、充実してる毎日を撮らなくちゃ。
受付前の床の鯉は、中々顔を出さない。色んな鯉が出てくるから、ちょっとでも、いい柄の鯉を待ち構える。折角だから、いろどりが良いのがいい。ずっと床とらめっこしている私に、また優しい声が注がれる。
「銭湯は、商売繁盛、縁起が良い鯉が描かれる事が多いんですよ」
お店の人が、銭湯のこだわりや歴史を丁寧に教えてくれる。やっぱり脱衣所で流れていたのは“水琴窟”。
『日本の文化を沢山取り入れた』と語ってくださる熱弁に、耳と心が余計に火照る。インスタ用にただ単に撮っていた自分の幼さが恥ずかしくなった。
この銭湯には沢山の想いが詰まっている。いきいきとして、弾む声に、私は聞かずにはいられなかった。
「何で“道後温泉”をモチーフにしたんですか?」
お店の人が力を込めて言った。
「好きだからですよ。“東京にも温泉があるんだ”っていうのを伝えたくて」
―好きだから
こんなにまっすぐで、全うな答え方を今まで聞いたことがあったかな。何の疑いの余地もない、揺るぎない熱い想い。余りに正しい真っ白な答えに、折角化粧水で整えた顔が崩れそうになった。
「あ、2匹出た」
それでも私は、iPhoneを構えてしまう。
「みなさんレアキャラ待って、ずっと見てますよ」
やっぱり最後まで優しかった。
***
私はロビーを後にして、受け取った靴箱の鍵から靴を探す。
あっという間の旅行は、やっぱり行く前が一番楽しい。“また来よう”と思えたなら、その旅は一生物になる。ここなら、何度だって来れる、私がずっと行きたかった道後温泉。
『銭湯、教えてくれてありがとう』
私は彼女に、鯉が一匹も映っていない、“映え”のない写真と一緒にLINEを送った。すぐに既読になって、うさぎが親指を立てるスタンプの返信をもらう。
そしてこれからもし、誰かに私のことを聞かれたら『好きだからやってる』って答える事を、決めた。
『好きだから』
絶対に言うんだって。
おしまい
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【銭湯データ※公式サイトより※】
はすぬま温泉
https://www.1010.or.jp/map/item/item-cnt-448
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■住所
東京都大田区西蒲田6-16-11
東急池上線「蓮沼」駅下車、徒歩2分
■営業時間
15~25時
■定休日
毎週火曜定休
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最後まで読んで頂いて、有難うございました。心からお礼申し上げます。
感想頂けたらとても嬉しいです。
【他のお話も是非宜しくお願いします】
第一湯目
薫る銭湯、金春湯(品川区)の話
第二湯目
色気のある銭湯、改良湯(渋谷区)の話
第四湯目
空が広い銭湯、宮城湯(品川区)の話
第五湯目
奏でる銭湯、妙法湯(豊島区)の話
独立した短編なので順を追わずでも、どのお話からでも読めます。
記載されている情報は記事公開時のものです。
銭湯の湯、水風呂、サウナの温度は多少の誤差がある可能性があります。銭湯のマナーやサウナの入り方は銭湯それそれぞれなので、お店に関する正確な情報は個人でお確かめください。
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