「松井元哉 第113回医師国家試験 不合格発表閲覧之地」に関する一考察⑷
この記事を制作している最中に、例の石碑に関して決定的な出来事が起こった。
テレビ番組「ナニコレ珍百景」の中で例の石碑が取り上げられ、松井さんご本人が登場。事の次第が明らかになった。
これによって、「なぜ松井さんは石碑を建てたのか?」という問いは、完全な決着がついてしまった。あまりに寝耳に水の出来事だったので、この考察をどう締めたものか迷った。
しかし、さしものテレビ局も、触れていない疑問がまだ一つある。
考察最終回となるこの記事では、これまでの記事と真相を照らし合わせたのち、最後の謎を考察しようと思う。
明かされた真相
まずもって、例の石碑が建つに至った理由は、松井さんが以下のとおり語ってくれた。
奈良県の医学部生だった松井さんは、自転車で東京から北海道まで卒業旅行に出かける。その途中、例の場所にて不合格発表をネットで閲覧。戒めのために、土地所有者に許可を取り、建てた。
この真相に対し、自分の考察はどうだったか。
⑴の記事は、松井さんが岩手にゆかりのある人物という前提だったため、当てはまらない。
一方⑵の記事では、松井さんが卒業旅行として車に乗って岩手を訪れていたと考察した。実際は、東京から自転車で北海道に向かうという壮大な旅だったが、「岩手にゆかりがないのに来るとしたら卒業旅行だろう」という予想は当たっていたことになる。
【追記】
松井さんに対する朝日新聞の取材によれば、松井さんは一関から平泉中尊寺に向かっていたとのこと。平泉を観光するために、最短ルートを通っていたということは合っていたようだ。
次に、建てた理由。これについては「自己への戒め」という、完全に内的な動機だった。そのため、「石碑を建てる何かしらの機会が松井さんにあって、不合格の記録を残すことにした」という仮説は外れてしまった。
したがって自分の考察は、「卒業旅行で岩手を訪れたという点は合っていたが、岩手はあくまで経由地だった」という結果となった。
だが、これだけで終わるには味気ない。
テレビ局すら触れなかった、最後の謎。「松井さんはなぜ、よりによって石碑という手段を選んだか」を最後に考察し、この記事を締めくくろう。
一関市室根地区と室根石
前回の記事では、不合格という内容の石碑であっても、石材店は制作を請けおうだろうということ。そして、一関市は岩手県きっての石の産地であり、石材店や採石業者が幅を利かせているということを挙げた。
そのため、テレビで真相が明かされるまでの間自分は、一関と石にかかわる事柄をもう少し掘り下げていた。
その結果、「一関という土地は松井さんにとって、石碑を建てることへのハードルを下げる土地だったのではないか」という考えに至った。
そもそも一関市が、特産である御影石に「室根石」というブランド名を付けてアピールしているとは、前回の記事で触れた。
調べてみると、アピールの本気度はなかなかのものらしい。室根石の加工販売を行っている企業が年に一度、「春のむろね石まつり」というイベントを開催している。
今年で26回を数えるそうで、もはやこの地区の恒例行事をいってもいいだろう。「室根石展示場」という場所にて、主に石製品の展示販売・石にまつわる体験プログラム・石窯で焼いたピザの販売が行われているそうだ。
(イベントのチラシや写真も掲載したいところですが、著作権に触れるので控えます。ネット検索すれば見つかります。)

今年はすでに終わってしまったが、このイベントには何か興味深いものを感じた。下に地図を示す。

これは、例の石碑(左の点)から室根石展示場(右の点)までのルートだ。何を表すかというと、例の石碑がある県道168号から少し進んだ国道284号沿いに、展示場はある。
そして、前々回の記事で考察した、「松井さんが平泉➡一関➡気仙沼(もしくはその逆)というルートをたどったのではないか」という結論を思い返してほしい。
展示場は、まさにこのルート上にあるのだ。仮に松井さんが自転車でこのルートをたどっていたとしたら、当然この展示場を通っている。少なくとも、室根石というものの存在自体は見えていたはずだ。
この展示場に、「松井さんが石碑という手段を選んだ理由」に対するヒントがあるのでは?
行ってきました
というわけで6月下旬、実際に室根石展示場にお邪魔しました。

砂利敷きの広場に、ありとあらゆる石製品が並んでいる。重機の類いもそのままで、いわば石の産直といった感じがする。
右奥の建物は、この展示場の管理業者が経営するそば屋さんだった。これは妄想の域を出ないが、松井さんは自転車旅行の最中にここで食事をとり、室根石というものの存在を知ったかもしれない。
石灯籠・置物・庭石・沓掛石と、庭に映えそうな石製品はもちろん、小さなブロックやはねだし品とおぼしき物は、安くて1000円程度で販売されていた。


2枚目の画像なんかは、まさしく例の石碑と同等程度の大きさで、価格は9900円とある。おそらくは、破格だろう。
これを踏まえると、テレビ番組で明かされた真相の中に、気になる情報があったのを思い出した。
なんでも、「石碑代は約10万円」とのこと。一方、前回の記事で石碑の値段について調べた結果は、こうだった。
色々な石材店のホームページをざっと調べてみた限り、石碑自体の値段はたいてい10万円を超えてくる。建てるには、よほどの踏ん切りがいるはずだ。
もちろん、「約10万円」という表現にどれほどの幅を持たせているのかは、推し量れない。ただ、自分はこう思った。
――石碑自体が約10万円なら妥当だが、設置代合わせて約10万円となると、非常に安いのでは?
石材業者は石碑を建てるとなれば、石代だけでなく、刻印や設置にかかる人件費・現場までの交通費・重機使用の経費・さらに儲けとなる分を加えて料金を出すはずだ。そうなると、石碑自体の金額はかなり抑える必要がある。
しかし、石碑自体でも10万円を越えるらしい。格安の石材でもない限り、全て込み込みで約10万円というのはさすがに……?

ある!!!!!!!!!!!!!!!!!
もちろん、ここで販売されている石材を買ったとは言い切れない。
それでも一関は、石碑にもできるような石材が格安で購入できる土地だということが、今回の訪問で判明した。
一関という土地は、松井さんにとって石碑を建てるための、金銭的なハードルを下げる場所。「この位の値段なら、ちょっと頑張れば石碑だって建てられそう」と思わせたのではないだろうか。
【追記】
朝日新聞の記事によれば、松井さんは今年に入ってから、地元の業者に石碑の作成を依頼していた。やはり、地元の業者を頼ったという点は合っている。
逆に、的中しなかった予想もある。自分は松井さん自らが土地所有者に石碑設置の交渉をしたものと思っていたが、そうではなかった。松井さんの思いを汲んだ地元業者が、設置場所のセッティングまでしてくれたそうだ。
依頼者の要望になるべく答えるのが業者の仕事とは書いていたが、ここまでとは。脱帽の一言です。
次に料金だが、約10万円だったのは間違いないとして、親友の男性が費用の半額をもってくれたとのこと。ただこの点は、「いずれにしろ払ったんだろう」とだけ結論づけ、深くは探らなかった。
最後の謎とはあくまで、何がどれだけかかって約10万円になったかであり、これについて考察しているのはこの記事だけではないだろうか。
終わりに
ちなみに、松井さんは石碑を建てるにあたって土地所有者にしっかり許可をとっていたとのこと。
許可をとるにしても、まずは法務局で所有者を調査しなければならない。松井さんも、そうしたはずだ。(というか、そうしないと100%わからない)
手順としては、次の2通りが考えられる。
①一関の法務局に電話し、石碑を建てたい土地の地番を照会。
➡地番をもとに、ネットの「登記情報識別サービス」にて登記簿を申請。
➡登記簿に載っている持ち主の連絡先を調べ、交渉。
②一関の法務局へ赴き、自分で地番を調べて登記簿を取得。
➡持ち主へ交渉。
①の方法ならば、奈良県にいながらにして土地所有者調査から、石材業者の手配までできる。しかしこの方法では、約10万円で石碑の建立などできただろうか。
対して、②の方法は調査・交渉したその足で石材店を訪問し、安い石の選定から設置のやりとりまでできる。
松井さんがとったのは、②の方法ではないだろうか。さすがに、松井さんも設置にあたって一回は現地調査をする必要があるに違いない。
【追記】
これについても、どうやら地元業者がセッティングしてくれたそうだ。調査もタダではないだろうに、何から何まで松井さんをお世話してくれたのだろう。
googleストリートビューを見ると、石碑が建ったのは今年に入ってからのようだ。そして松井さんは、不合格の翌年に晴れて合格し、医師になったという。
医師になったあとで、改めて一関を訪れ、石碑を建てる段取りを踏んでいったと考えるのが自然だ。
以上で、「松井元哉 第113回医師国家試験 不合格発表閲覧之地」をめぐる考察を終えたい。
真相は明かされ、松井さんは医師になる夢を掴んだ。石碑を取り巻く謎は、ここで一応の解決を見たと言っていい。
そして、どうやら例の石碑、PokemonGOのジムとして承認されたようだ。プレイヤーはぜひ立ち寄って、一緒に一関の名物も堪能してほしい。
次回予告
せっかくnoteの記事の書き方を覚えたので、また何か記事にします。
以下のうち、どれかをやろうと思います。ご期待ください。
①岩手県が企画した「水門・防潮堤カード」をぜんぶ揃える
②岩手の沿岸をめぐり、もっとも海水がおいしい浜辺を決める
③「ウマ娘」の岩手出身キャラ・ユキノビジンの地元を特定する