「松井元哉 第113回医師国家試験 不合格発表閲覧之地」に関する一考察⑴
はじめに
まず、「松井元哉 第113回医師国家試験 不合格発表閲覧之地」とは何なのか。
岩手県一関市川崎地区に、このような場所がある。

もともとここは、少し前にtwitterで話題になっていた場所だ。
松井元哉なる人物は誰なのか? なぜ試験に落ちたと知った場所を残したのか? 謎が謎を呼んでいる。
実際に現地を訪れて写真を撮り、twitterで報告する人もいた。そして自分も、この度たまたま近くを通る機会があったので、写真に収めた。

碑の裏には何も彫られていないので、「松井元哉なる人物が、試験に落ちたと知った場所」以外の情報はうかがえなかった。
どうやら材質は石で、お墓のようにつるつるとした加工は施されていない。厚さは2~3センチ程度。雑草に覆われていて見にくいが、コンクリートでできた丈夫な台座もある。
経年劣化や汚れはまるでない。それもそのはずで、第113回医師試験の合格者発表が行われたのは平成31年3月18日。この後に建てられたのは間違いない。
ちなみに「医学界新聞」平成31年4月8日付の記事によると、この時の合格率89.0%は、2年ぶりに9割を下回ったという。
ただ、狭き門とまでは言えない。不合格となってしまった松井さんのショックはいかばかりか。
松井さんの名誉のために説明しておくと、医師試験の中には「禁忌肢問題」という問題が数問ある。「この問題において、この選択肢を選んでしまったら問答無用で不合格」というものだ。この禁忌を踏んでしまうと、総合点数がどんなに良くても不合格になってしまう。
松井さんも、うっかりこれに陥ってしまったのかもしれない。
今回の考察では、松井さんの詳細な人物像には触れないことにする。名前を石碑で公表しているとはいえ、プライバシーに踏み込んではいけない。
そこで、この記事では、「なぜ松井さんはこの石碑を建てたのか」という疑問を追及してみたい。
仮説
松井さんがこの場所で不合格を知ったというのが事実であることは、前提としたい。
では、なぜこの場所に石碑が建ったのか。仮説として、三つが考えられる。
①松井さん自身が、何らかの目的を持って建てた。
②松井さんの周囲の人間が、何らかの目的を持って建てた。
③何らかの理由で、松井さんにこの石碑を建てる機会があった。
①については、松井さん自身が建てようと思ったという理由になるだけなので、説明のしようがない。自戒なのか、好奇の目を集めるためなのか、それは松井さんのみぞ知るところだ。
②については誰ともつかない個人の考えの問題なので、これも考察のしようがない。
したがって、仮説③についての考察を行うこととしたい。
なぜ、ここで不合格を知ったのか?

これは、石碑周囲の場所を写した画像だ。見てのとおり、草木が生い茂る田舎の街道で、歩道などない。
東へ行けば川崎地区の街並みが広がり、西へ行けば北上川と山肌に挟まれた細い街道が続き、中尊寺で有名な平泉町に至る。ここは川崎地区の中心街と、寂しい街道のちょうど境目にあたるといえるだろう。
こんな場所で合格発表を見たというのは、いったいどんな状況だろうか?
まずもって、医師試験の合格発表は現在ネット上で行われている。この場所は問題なく携帯電話の電波が通っているので、スマホ等なら閲覧は可能だ。
つまり、「本当にここで不合格だとわかるのか?」というそもそもの疑問は解消される。
次に、どんな状況でこの道に行き着き、不合格を閲覧したのかという疑問だ。ここはいわゆる田舎道で、徒歩だったという線は考えにくい。
確かに石碑の周囲には、川沿いに建つ民家が何軒もある。だが、仮に松井さんがこの石碑の近くのお宅に住んでいて、この場所が散歩できる範囲内にあったとしても、徒歩ではここに来ないだろう。
なぜなら、この道路を進んでいったところで、人里にたどり着くのはおよそ10キロ先。野生動物と出くわす可能性も十二分にあり、危険だ。北上川で渓流釣りかなにかをするにしても、川へりは竹林と崖に阻まれ、降りることは容易でない。
わざわざこの道を徒歩で通るメリットは、まずないと考えられる。
ゆえに、石碑があるからといって、松井さんがこの近くの街に住んでいることにはならない。東北地方は車社会で、都市圏と比べ行動範囲ははるかに広い。
では、自転車なら? サイクリングルートとしては良い道かもしれない。だが、運動中に突如この場所で自転車を降りて、合格発表を見るというのは不自然だ。
では、どのような手段でここを通ったのか?
ズバリ、車だろう。車社会において、この道は車で通るのが最も現実的だ。
そして松井さんは当時、車の運転に不慣れな若者であり、車の助手席か後部座席に乗っていたのではないだろうか。その理由は以下に記したい。
小括
厚生労働省の発表(平成31年3月18日付)によれば、第113回医師試験を受験したのは全国で10,474人。そのうち新卒者は9,456人とある。実に9割が学生だ。ゆえに、松井さんが学生である可能性も、9割とみていいだろう。
前述したように、合格発表は3月18日。学校の卒業式を済ませた学生たちが、郷里へ戻ってきた頃合いだ。そしてこの時期、東北地方に住んでいる学生は、今後の通勤に備えて車の運転を練習しなければならない。
とはいえ石碑の場所から先へ進んでしまうと、待避所の少ない、引き返しようのない道が待っている。そのうえ、歩行者がいないとあって、ベテランドライバーは結構な速度で飛ばしている。この道ばっかりは、運転の練習には向かない。
ただ、周辺住民、ひいてはこの街から東側に住む人間にとって、この道は平泉への最短ルート。重要なライフラインなのだ。利用する人々は多い。
したがって、松井さんがこの場所で不合格を知った流れとして、以下がもっとも妥当と考える。
「松井さんの親が何らかの用事で平泉方面へ行くため、車を運転。学校を卒業し郷里に戻ってきたばかりの松井さんも同乗しており、スマホ等で合格発表を見る。そして不合格を知った瞬間に、この地点を通っていた」
今回の考察はひとまずここまでとして、次回は「なぜ石碑を建てるという手段に至ったのか」を考えていきたい。