禾を口で食う
表参道で用事があった。あまり頻繁に行く街ではないので、昼食をどこでとろうか迷っていた。
1人だからどこでもいいか、と思いながらも周辺の店を調べていくうちに、どうせならと、美味しい物が食べたくなる。さすがは三大欲求のうちのひとつ。すぐに胃と舌は頭の中を支配してしまった。
いい感じの定食屋を見つけた。ここにしよう。
夜は居酒屋のようだったが、いわゆる居酒屋ランチというよりも、「夜はみなさんお酒を飲みに来ますが、夜も定食食べれます」のスタイルのお店みたいだ。
ビルの地下への階段を降りる。地下だが、階段は吹き抜けで、店の中まで外の光が入っていて、明るい店だった。
人気店のようで、列ができている。順番待ちの紙に「ヤナギダ」と名前を書き、店の前の椅子に座って待つ。
そういえば、あの『順番待ちの紙』って、なんて言う名称なんだろう?
高校3年の頃、初めてラーメン屋でバイトをはじめた。1週間が過ぎた頃、1人で餃子を焼くのを任された。私は、焦がした餃子をお客様に出してしまった。正直、「うん、俺なら食える」と思ってしまったから出したのだが、もちろんお客様からクレームが入り、すぐさま厨房で副店長に怒鳴られ、半べそと脇汗をかいて帰った。
次の日「おばあちゃんが体調をくずして看病をしなければならない」という見え透いた嘘をつき、そのラーメン屋を辞めた。
それ以来、飲食店で働けない体になってしまった私は、あの『順番待ちの紙』の名前を知る機会に恵まれなかった。
暇なので、待ちながらスマホで「順番待ち 紙」で検索すると『ウェイティングリスト』という名称だという事がすぐにわかった。
「あぁ」
と、あまりしっくりこない声が出た。何をあの紙の名前に期待していたんだ自分は、と思い、また順番待ちの暇が訪れる。
ただ、割と順番を待つのは嫌いじゃない。必然的に、ボーッとできる時間を与えられるのは、なんなら少し贅沢だとすら感じる。
その日は秋晴れで気候も良かったので、吹き抜けからの光を浴びて待つ時間は、永遠でもいいと思えるくらい、気持ちが良かった。
「1名でお待ちの、ヤナギダ様!」
元気の良い男性店員さんに名前を呼ばれ、自分がお腹を空かせていた事を思い出した。
カウンターの席に通される。メニューを見ると、ご飯がおかわり自由な事に気づいた。
「おかわり自由」
食べ盛りの男子にとってこんな気持ちの良い言葉はない。「おかわり自由」と聞いて、まだテンションの上がる30歳の自分を、少し褒めてあげた。
しかも、白米、雑穀米、季節の炊き込みご飯、の3種類から選べると言うじゃないか。
「炊き込みご飯」
こんな気持ちの良い言葉は、この世に二つとない。
彩り野菜と魚、そして揚げ出し豆腐、大根おろしがついた定食を注文した。もちろん、ご飯は季節の栗ご飯にした。
注文を待つ間、店内を見回すと、斜め前の席に、昼からおつまみとビールを飲みながら、小説を読んでいる60代くらいの女性がいる事に気がづいた。
「最高かよ…」
気づいたら口に出して呟いていた。
「おつまみとビールと小説」
こんな気持ちの良い三拍子、この世に三つとない。最高に贅沢な時間を過ごしているように見えるこの女性を羨んだ。
自分も歳を取ったらこんな休日を過ごしたい。そう思った。
ビールは頼まなかったが、定食を待つ間、私も星野源さんの新しいエッセイを読む事にした。読みながら、星野源さんに対しても「こんな歳の取り方をしたい」と思った。そうしたら、星野源さんも本の中で、ある先輩に対して「こんな人になりたい」と思っている事を綴っていた。
「俺も、"こんな人になりたい"と、誰かに思われたい」
そんな恥ずかしい事を考えていた時に定食が来た。割り箸を割り、心の中で「いただきます」と言うや否や、気づいたら栗ご飯をかきこんでいた。
美味い!
栗ご飯も、おかずも、漬物も、小鉢も、お味噌汁も、すべて味付けも素材の味も、めちゃくちゃ美味くてびっくりした。
「こんな料理を作れる人になりたい」
自分が「二度と飲食店で働きたくない」と思っていた事を忘れて素直にそう思った。
和食が好きだ。
お米を食べる度、お味噌汁をすする度、季節を口に感じる度に、心からそう思う。
和食の定義とかはどうにも知らないが、とにかく、日常味わえる、一汁一菜とか一汁三菜とかいうご飯が大好きだ。月並みに「日本人に生まれてよかった」なんて思ってしまう。
最後の晩餐はなにがいいか聞かれて、大喜利なしに答えるならば「お味噌汁」と躊躇なく答える。死ぬ前がどんな状態であれ、お味噌汁をひとすすりでもいいから口に入れて、ホッとしてから死にたい。
大好きなCMがいくつかあるが、永谷園の『あさげ』を超えるCMは中々ない。ちゃぶ台で、白飯と、あさげをかき込む男性。忙しない朝食に見えるが、幸福極まりないようにも見える。
おそらく、あのCMを超えるのは永谷園の『お茶漬け』のCMだけだ。
それは、やはり、日本人のDNAに刻まれた和食への愛が溢れ出てくるからだろう。
最後の晩餐といえど、まるでこれから1日が始まるかのように、お味噌汁をすすりたい。
結局、栗ご飯3杯、雑穀米1杯をおかわりしてしまった。
「ごちそうさまでした」
今度はしっかりと口に出して、店員さんにお会計を済ませた。自然と、「また来ます」と言っていた。
外に出ると、小雨が降っていたが、傘をささずに歩き出した。
帰りに、新しい靴を買って帰った。気分が良い。
その日の夜は、奥さんと家の近所の定食屋に入った。
メニューを見て、カレーか、野菜炒めで迷ったが、野菜炒め定食を注文した。
注文した後、厨房からほのかにカレーの匂いがただよってきた。「カレーにすればよかった」と後悔した。
来た野菜炒めと米と味噌汁を口に入れ、「カレーにすればよかった」と思った。
カレーはすごい。
あと、ラーメンもたまらなく美味しいし大好きだ。朝のパン屋とかほんとにワクワクする。最近甘いものも好き。ケーキとか毎日食べたい。ドーナツも。ハンバーグもハンバーガーもポテトだって。
あぁ、ただの食欲の秋だった。
読んでくれて、ありがとうございます。
食欲の秋、読書の秋も書いたので、運動しなきゃな。
そうだ、新しい靴を買ったんだから、それで、と、思ったけど、革靴でした。