シュガー&ピーマン
ピーマンが食べられない。口に入れると、えずいてしまうほど苦手だ。ヤツとは子どもの頃から犬猿の仲。いち人間、いち野菜として、幾度となく手を取り合おうとしてきたが中々うまくいかない。ヒューマンとピーマン、少しのズレがこんなにも相手を受け入れられなくなるものだろうか。
一つ勘違いして欲しくないのは、俺はピーマンが「苦いから」食べられないというわけではないということだ。
俺はゴーヤチャンプルーが大好きだ。ゴーヤの苦味を愛してさえいる。だから苦味にはなんの抵抗もない。ピーマンの嫌いなところは苦味ではなく「臭い」なのだ。ここをはっきりしないと、大体の輩は
「え、まだピーマン食えないの?」
と、言ってくる。
お前にも一つや二つ苦手な食べ物はあるだろうに、『ピーマン嫌い』のやつにだけ「まだ」と付けてバカにしてくるのだ『ピーマン好き』の奴らは。いつも『ピーマン嫌い』に対して、子ども扱いしてくる。実体験だから異論は認めない。
子どもが嫌いな食べ物の代表格としてピーマンが不動の1位だから、一般的にピーマンは大人になったら食べられるもの、と思われているようだ。否、その発想こそが幼稚である。単純に苦いものが食べられなかった君たちの子ども時代とは違って、こちとら苦いものは子どもの頃から大好きなのだ。
じゃあ何故俺は食べられないのか。それは先程伝えた通り、ピーマンの「臭い」が苦手なのである。舌は受け入れられるが鼻が受け入れられない様なのだ。嫌いな臭いは容易に克服できるものではない。理解できた方は二度と俺に「まだピーマン苦手なの?」などと軽口を叩かないで頂きたい。
パクチーのにおいが苦手な人に対して、「まだパクチー苦手なの?」とは絶対に言わないはずだ。ガソリンスタンドのにおいが嫌いな人と、好きな人がいるだろう。ガソリンの臭いが苦手な人に「お前まだガソリンスタンド苦手なの?」とは絶対に言わないはずだ。
ただ早速、ここで自分の意見を覆さなければならない。私、柳田如那、最近ピーマンを食べられるようになりました。決して食わず嫌いだったわけではない。昔から時々チャレンジしてはいたのだ。けれども臭くてたまらなかった。それが何故だか、最近急に大丈夫になったのだ。
三軒茶屋の、とある居酒屋で食べた生ピーマン。パリパリで、みずみずしくて、「大丈夫」というよりむしろ、美味しかった。
これには自分でもビックリしている。食べれた時の感想は「臭くない!」だった。
いやいや、そんなバカな。そこの居酒屋のピーマンがたまたま美味しかっただけだろうと思い、スーパーで買った普通のピーマンを調理して食べてみたが、これが全然イケる。
これは俺の味覚、嗅覚が変わったのか?それとも農家の方々の努力でピーマンの野郎がまるで別物のように美味しくなったのか?まぁ間違いなく自分が変わったのだろう。
ピーマンが食べれる、嫌いなものがひとつなくなるという喜びと同時に、なにか悲しさみたいなモノも込み上げてきた。侘しさともいうのだろうか。
人間は7年ほどで全ての細胞が生まれ変わるという話を聞いた事がある。つまり、7年前の自分とは身体は全く別人とも言えるという。その考えと同じように、ピーマンを食べれなかった頃の自分と、今の自分は全く違う人間なんだな、と、なんとも言えない思いになった。これを侘び寂びとでも言うのだろうか。生ピーマンの「パリっ」と言う音で、諸行無常の響きを感じるとは思いもしなかった。
ともあれ、これでピーマンと仲良しになったわけだ。悪い事など殆どない。まぁ、仲良くなったと言っても、頻繁に会いたいと思うほど仲良くなったわけではない。サシではご飯には行かないだろう。偶然、道路の反対側で見かけてもわざわざ声をかけには行かないし、電車の車両が一緒になったとしても向こうが気付いていなかったら、席を離れるか車両を移動するだろう。
そうだな、SNSで相互フォローしたくらいの、それくらいの仲だ。それでも俺にとっては大きな進歩だ。ピーマンの投稿が目に入ったら自然とイイネしてしまうし、ちょっと気分がよければDMも送ってしまう。
そう考えたら、向こうは俺の事をどう思ってるんだろう。俺からイイネすることはあってもピーマンからイイネされたことはない。なんだかモヤモヤしてきた。もしかして仲良くなって嬉しいと思ってるのは俺だけで、ピーマンは別になんとも思ってないんじゃないのか?そもそも、ピーマンと俺とじゃフォロワーの数も圧倒的に向こうのほうが上だし、俺の投稿なんて見ちゃいないのかもしれない。なんだかとても惨めな気分になってきた。このnoteだって、ピーマンが見てくれてる前提でここまで書いてきた。けど、きっとこんなの読んでくれていない。
あれ?なんでこんなに、俺はピーマンのことを意識してしまっているんだ?嫌いだった時からの反動だろうか、今はピーマンの凄さを認めてしまっている。なんだろうこの…この気持ち。こんな気持ちになるくらいなら、ピーマンを好きになんてならなきゃよかった。もうピーマンを嫌いな自分には戻れないのに。ん?待って。待って待って。今、私なんて言った?好き?うそうそ。好きなんかじゃない。だって、だって別にあんな奴、あんな中身なんて何もなくて、青臭くて、あんな、あんな奴のこと、私が好きになるわけがない。
いや…、青臭いのは私か。自分の気持ちに素直になれなくて…。道で見かけても声をかけないなんて嘘。ただ、声をかけるのが怖くて、勇気が出ないだけ。本当はいつもピーマンが通るかもしれない道を選んで歩いているの。
実はこのnoteをピーマンが読んでくれていて、気にかけてくれて、向こうから連絡が来るんじゃないかなんて、そんな甘いことをまだ考えてしまっている。ほんと甘いなー私って。甘い甘い、あまちゃんだ。ピーマンみたいに、私も、苦くなりたい。
あれ、おかしいな、文字が霞んで、見えない、なに、これ…?なんで泣いてるの私?うそ…なんで…しょっぱい、しょっぱいよぉ。塩で揉んだら臭みは取れるっていうけど…これじゃあ、書きたいこと書けないよ。臭くたっていい…塩で揉まなくても、別に…ううん、そうじゃなくて、本当に伝えたいこと、あるのに。
そうだ…。どうせ読んでない。どうせ誰も読んでないんだから、勇気を出して、正直に言っちゃおう。
「ピーマン、好きだよ」
それを口にした時、私は少しだけ、大人になれた気がした。
読んでくれて、ありがとうございます。
みなさんは子どもの頃より、好きなものが増えましたか?嫌いなものが増えましたか?
どっちでもないものが増えてきたら、それはそれで、嫌だなぁ。