見出し画像

「 創造 」  小林洸


4年小林洸です。

タイトルは「創造」。
自分にとってサッカーってなんだろう。と考えた時に、努力する大切さを教えてくれたり、最高の仲間との出会いを生んでくれたり、書ききれないくらい、本当に色んなことを生み出してくれたと思い、このタイトルにしました。

こういう機会はなかなか無いので、これまでのサッカー人生を振り返りながら、関わってくれた人への感謝を伝えていきたいと思います。
最後まで読んでいただけたら幸いです。

《東益津少年団》
幼少期の時から遊ぶことはサッカーで、自然な流れで東益津少年団に入団しました。
ただただサッカーが本当に楽しくてやりはじめてからはどんどん上達し、毎試合ハットトリックするような活躍ぶりでした。今じゃ想像できないかもしれないけど、10番でキャプテンマークを巻いてるような少年で、少年団での総得点228点という記録も残っていました。

梅原コーチと鈴木コーチの、個の技術をとことん磨く練習。とにかく試合をしたいあの頃の自分は、正直本当にめんどくさかったです。でも今振り返ると大事なことだったし、愛を持って指導してくれたなと感じます。
お二人のおかげで、レベルアップし、トレセンにも選ばれたり、より高いレベルへの道標を作ってくれたなと思います。ありがとうございました。

《清水エスパルスSS藤枝》
最初は清水エスパルスのジュニアユースのセレクションを受けました。一次審査、二次審査を突破しましたが、最終審査で落ちてしまいました。毎日のように合格通知が来てないか、ポストを確認してたのは懐かしいです。
落ちてしまった自分は地域のエスパルスのチームに所属しました。

中学時代は、とにかく走る。
毎週火曜日の練習に行くのが本当に憂鬱でした。運動量キャラになったのは、ここが始まりだったんだなと気付かされます。
この頃もチームでキャプテンを任され、頼りないキャプテンだったかもしれないけど、うまくまとめようと頑張ってたと思います。
元チームメイトのみんな、ついてきてくれて、そして支えてくれてありがとう!!

その中でも、江端コーチと又川コーチには、サッカーの戦術だったり、ポジショニングの基本だったり、サッカーにおいて知らないといけないことを学べたと感じます。
江端コーチのどんな時でも勝ちに行く姿勢。勝つことの喜びを教えてくれました。
又川コーチの個人的な厳しいアドバイスは、自分をより強くしてくれたと感じます。
ありがとうございました。

《藤枝明誠高等学校》
藤枝明誠の遠野大弥選手(川崎フロンターレ所属)や、藤本一輝選手(FC町田ゼルビア所属)の代が高校サッカー選手権で全国大会に出ているのを見ていて、憧れを持ち、自分も出たいと純粋に思い、藤枝明誠高等学校への入学を決めました。

全国から集まって、1学年約100人いる大所帯の中、2年生の最後までは7つあるカテゴリーの中、6つ目にいました。約2年間、同期が出ているトップでの試合をスタンドで応援していました。

そんな苦しい日々の中、高校1年のときの、当時3年生だった"ジャンボ"ことりょうじくんには、1番お世話になりました。
トップチームで9番をつけて活躍していたりょうじくんが、何者でもない自分のことを弟のように接してくれて、トップチームの人たちとの自主練に誘ってくれました。そんなレベルの高い中でできた自主練は自分を間違いなく成長させてくれたし、努力することが当たり前になったし、気付いたらそれが基準になっていたと思います。本当に感謝しかないです。これからも応援しています。

高校3年生になり、チームの主力に少しずつなっていきました。そんな中でも、謎に干されたり、厳しい罵声を浴びさせられたり、辛いことはたくさんありました。
まっさんのことを理不尽と思うことも多々ありましたが、心から嫌いになることはなかったし、そこには愛があり、選手を息子のように扱っているのを感じていたからかもしれないです。どんな時にもまっさんについて行って良かったなと思います。今も大好きだし、自分のサッカー人生を大きく変えてくれた恩師です。
体には気をつけて、無理しない程度に、藤枝明誠をより大きくしてほしいなと思います。

約100人の同期のみんな、選手権で優勝できたのは、間違いなくみんなのおかげです。自分は目に見える活躍はできなかったし、何度も助けられてばかりでした。そして、スタンドで応援してくれていたみんな、藤枝明誠の応援は日本一だと思います。試合中辛い時、スタンドを見て何度も助けられました。選手権静岡県大会優勝というのは、全員の財産だと思います。最高の仲間です。ありがとう。

《神奈川大学》
1年目は、同期の天川(4年/市立船橋高)と大知(4年/日本文理高)と一緒に社会人チームでプレーしました。1年生ながら多くの試合に絡ませてもらい、試合を経験できたのはとても大きかったなと感じます。
当時の社会人チームの監督、将一さん。普段は、おちゃらけていて、友達にみたいに接してくれるけれど、サッカーの時は別人のように、熱くて、勝利に貪欲で、色んなアドバイスをしてくれて、尊敬できる指導者の1人です。
ありがとうございました。

2年目は、トップチームに上がり、県1部リーグでシーズンを戦いました。大輝(4年/川崎市立橘高)もブログに書いていたけれど、大学サッカーにおいて、大輝の存在は自分の中ではとても大きなものでした。
同期でポジションが同じなんて、残酷だと思う。笑
大輝は自分に持ってないものを全て持っていて、自主練の時にドリブルの仕方を聞くこともあったけど、真似なんてできなかった。そこから、自分しかないものはなんだろうと考えて、必死に自分の武器を磨いた。
大輝の存在があったからこそ、努力せざるを得ない環境を作ってくれた、お互い成長できたと思うし、今では当時のことも笑い話できるような最高な仲間。
絶対にプロになってほしい。大輝のユニフォーム着て応援いきたいから頼むぞ〜〜!!

そんなこんなで、大輝とのポジション争いは卒業まで続きました。そんな中、4年目の、山梨学院大学戦、早稲田大学戦、アミノバイタルカップ。自分がワントップで左サイドが大輝。右サイドが優也(4年/大分トリニータU-18)。両サイドに心強い同期がいてくれた試合は、全試合忘れません。のびのびプレーできたし、最高に楽しかった。今思うと幸せと共に寂しさも感じます。


JリーグやJFLのチームの練習参加に何回か行かせていただきました。プロの選手たちのレベルや覚悟を目の当たりにし、自分の儚さを感じました。正直、自分の実力はここまでだなと認めたくないけど、認めるしかできなかったです。すごく悔しいけど、悔いはないし、この先の人生でサッカーに対する熱量を他のことに転換していこうと思っていきました。

4年ホーム最終戦。慶應義塾大学との1戦。前半30分くらい、相手との接触で肩から落ちて、変な音がなった。最初は行けるかなと思ったけど、ジワジワ痛みがでてきて、結果的に肩鎖関節亜脱臼でした。思わぬ形で引退が決まってしまいました。試合が終わって、静岡から見にきてくれていた母親の元へ。母親が自分の顔を見た瞬間、流した涙につられ、自分も大号泣でした。せっかく見にきてくれた試合、サッカー人生ラスト2試合というところで、活躍した姿を見せたかった。
変な引退の仕方でごめんね。

神大サッカー部スタッフのみなさん
自分を神奈川大学サッカー部に迎え入れてくれてありがとうございます。神大に入って、ピッチ内外関係なく、人との関わりの大切さだったり、日常の過ごし方と重要さだったり、人間として成長することができました。
他の大学ではできない経験をさせてくれてありがとうございました。

きょうかちゃん、かすや、きょうへい!
欠かさず、冷たい水を用意してくれてありがとう。誰よりも仕事のできる3人で、アミノバイタル全国行けたのも3人のおかげです!これからも頑張ってください!
ありがとう!

後輩へ
なんか、カッコつけて、クールぶっちゃう自分がいて、よく怖そうとか言われて、そう思わせてごめんね。本当は後輩は大好きだし、可愛いと思うタイプです。そんな中でもたくさん関わってくれた後輩たちありがとう。
これからの神大の活躍は欠かさずチェックするし、試合は絶対見に行くから頑張ってね!

同部屋のせん、じろうありがとう。1人で起きれないこと多いし、頼りない先輩でごめん!部屋のことも率先してやってくれる2人で感謝しかないよ。最高の1年を最高の後輩と過ごせて良かったよ。来年以降の2人の活躍期待してるね!ありがとう。

同期のみんな
最高としか言いようがないです。個性あふれるメンバーでみんなといれば常に笑顔でいられました。
一生関わっていきたいです。これからのみんなの活躍を心から楽しみにしています!
4年間ありがとう。大好き!!

家族へ
16年間そばで支えてくれてありがとう。
中学までは毎週のように試合があって、送迎してくれて、週末は自分のサッカーのことばかりで、高校は毎日、誰よりも早く起きて、お弁当を作ってくれて。大学で寮に入って、母親の偉大さには気付かされたよ。弁当作って、仕事して、家の家事やって、母親何人いるんだろうと思うくらいすごいと思う。リスペクトしてるし、大好きな母親です。
父親は口数は少ないけれど、サッカーは大好きで、毎週YouTubeで見てくれるし、話せば、あの場面どうだったなーとか細かいところまで、話してくれて、サッカー好きなんだなて毎回感じます。
2人のおかげで何不自由なく、サッカーできたし、ここまでやりきれました。
プロサッカー選手を諦める話をした時は、心が痛くて、申し訳なさもあったけど、自分の決断をいつも全力で応援してくれてありがとう。
今まで自分に与えてきてくれたこと以上に恩返しできるかわからないけど、自分なりにたくさん恩返ししていくからね。ありがとう。そしてこれからもよろしくね!

じいじへ
ずっとずっと熱い応援してくれてありがとう。高校の時は、毎週のように、大学でも、遠いとこまで足運んできてくれて、じいじからもものすごく愛を感じるよ。
体調には気をつけて、長生きしてね。
定期的に電話するからね!

タイトルに戻るけど、サッカーを通して、人との関わり。新しい出会いの連続。幸せってどんなものなのか。たくさんのものを生み出してくれました。
サッカーは自分の中で何にも変えられないものだし、この先も一生大好きなものです。

小学1年から大学4年まで16年間やってきたサッカー人生の幕を閉じます。自分でこう書いてるのが、すごく悲しい気持ちも芽生えてきます。
でも、胸張って、新しい道へチャレンジします。
サッカーありがとう。サッカーをやってきて関わってくれた人たちありがとう。感謝しています!

自分のサッカーを振り返っていたら、長くなってしまいました。
最後まで読んでくれてありがとうございます。

小林  洸
4年  経済学部
東益津少年団→エスパルスSS藤枝→藤枝明誠高等学校

いいなと思ったら応援しよう!