「象徴」 佐藤瑠意
睦真→高之→真壁→真輝ときて
今回は僕の番です。
みんな感動するような良いブログなので僕も頑張ります。
僕も最初で最後のブログです。
題名は「象徴」です。
これは友さんがミーティングで話してくれた言葉であり、僕の今年1年間の目標でもありました。4年生はチームの象徴になる!
自己評価ではありますが象徴にはなれたのではないでしょうか??
そんな象徴(僕)は16年間続けてきたサッカーを通じてお世話になった方々に感謝の気持ちを僕のサッカー人生を振り返りながら伝えたいと思います。
書きたいことが多すぎて上手くまとまらず、文章もおかしいと思いますが一生懸命書いたので暖かい目で最後まで見ていただけたら幸いです。
僕がサッカーを始めたのは小学一年生の夏。
地元の大磯SSSの体験に誘われ楽しさのあまりにサッカーを始めたことを覚えています。
怖いおじさんコーチがいたのが少し懸念点でしたがそれよりも素直にサッカーが楽しかったです。
例年に比べて僕らの学年は人数が多く、土日の練習や試合が賑やかで楽しかったです。
4.5.6年生の3年間はチームのキャプテンを務めさせていただきました。今思うと本当に僕でよかったのでしょうか?
チームをまとめる役割を担えてたとは思えませんがこんな僕についてきてくれた大磯SSSのみんなには本当に感謝しています。
最高のメンバーで非常に充実した楽しい6年間でした!ありがとうございました。
中学に上がりベルマーレ小田原に入団しました。ここでは「小田ベル」と省略させていただきます。
小田ベルに入りサッカーへの取り組み方や考え方が変わりました。
まず最初に感じたのは小田ベルが僕の想像していたものより辛く、厳しい場所であるということでした。
小田ベルでは駅伝部かな?と思うほど走らされた記憶が鮮明に残っています。
まずグラウンドに着くと監督やコーチと握手をして挨拶をする儀式がありました。その時コーチの顔を見てご機嫌かどうかを伺い、不機嫌の場合はとても辛いフィジカルメニューが待っているのでした。
その他にも
忘れ物をして。遅刻をして。駅のホームでボールを蹴り。
数々の連帯責任での罰を受けてきました。
とても辛く厳しい日々のトレーニングでしたが身体的に精神的にも成長できた3年間でした。
この日々の辛さは僕にとっての大事な思い出です。
この時期に辛すぎてトレーニングに何度か仮病を利用して休んだ記憶があります。
終いには小田ベルをやめようとまで考えました。
その時に監督、スタッフだけでなく
両親や小学校の頃の担任の先生まで僕の話を聞きに来てくれました。
あの時、サッカーを辞めていたら間違いなく今の自分はありませんでした。
本当にありがとうございました。
高校は小田原にある相洋高校に進学しました。
相洋では自身としては悔しさが残る3年間でした。
コロナ禍で思うようにサッカーも出来ずに僕は何もせずに3年目を終えてしまいました。
やっとの思いで開催された選手権も応援は声出し厳禁の保護者も入れない。
規制の厳しい中での開催でした。
結果はベスト16で敗退。
僕が守備をサボって負けました…
隣でキャプテンがみんなに謝りながら泣いていたのを鮮明に覚えています。
僕が守備をサボって負けたのにキャプテンが隣で泣いて謝っていた。
100人以上いる部員の先頭に立って必死になってくれたキャプテンでした。
コロナで練習が無くなった中、1番努力していたのはキャプテンでした。
もちろん僕は練習がなかった時期は何もしていませんでした。
僕は自分の責任感の無さ、不甲斐なさに家に帰って泣いたのを覚えています。
大学では後悔がないように全力でサッカーをしよう。
そんな思いを胸に神奈川大学サッカー部に入部しました。
僕は親元を初めて離れ寮生活という壁にぶつかりました。
1年目。最初の部屋は泰輔くん(24年卒)と天川(4年/市立船橋高)でした。
最初は天川が彼女かと思うほど毎日のようにラブラブして一緒にいました。
そんな僕と天川でしたが、寮生活に少し慣れてきた僕は日々の生活の中でだらしない部分が出てしまい、天川にストレスをかけてしまい嫌われてしまいました。
僕は人と共同生活をすることの難しさを初めて知りました。
今は天川との仲も戻り、日々楽しませてもらっています。
飲みの場には必要不可欠なデカい奴です。
1年目は日常生活も安定していなかったこともあり、サッカーでも良い結果は出ませんでした。
もちろん出場機会もどんどん減っていきました。
新人戦にも1秒も出れなかった。
食への意識も低く、セントラルキッチンで作ってもらった重箱もほとんど天川が食べてくれていました。
何をしに大学にきたのか?
毎日考えるようになっていました。
気がつくと2年目を迎えていました。
僕は社会人チームで、小田ベルで同期であった平山(4年/北越高)と睦真(4年/横浜商科大高)はトップチームにいました。
「悔しかったです」
アイリーグで一緒にプレーしていた選手はどんどん結果を残していきました。
後から入部してくる後輩たちはみんな上手で気づいたら社会人チームのスタメンの大半は1年生で構成されていたのを思い出します。
僕はどんどん試合にも絡まなくなり、色んな誘惑に負けて、グラウンドからいなくなった時期もありました。
そのとき、心配の言葉をかけてくれた部員もいましたが厳しい言葉をかけてくれたのは祐満(4年/滝川第二高)でした。
みんなが感じていたことを彼が代表して僕に伝えてくれていたんだと思います。
彼には何度も助けられました。
同じ学部に祐満が居なかったら間違いなく僕は卒業できてなかったと思います。
本当に感謝してます。
そんな出来事もあった中、僕は冬のオフを迎え7キロ程太りました。
「お前サッカー辞めるの?」と真顔で聞いてきた大輝(4年/川崎市立橘高)の顔を今でも鮮明に覚えています。
その太った体で2年生としての最後の公式戦である社会人選手権に出場しました。
専修大学の社会人チームとの試合でした。
当時左サイドバックをやっていた僕は前半の35分
相手の切り返しについて行こうと踏ん張った瞬間ピキッという音がしました。
肉離れでした。
僕は歩けなくなりピッチに倒れたのですが、僕のサイドからクロスを上げられて失点しました。
最悪な思い出です。
まず、そもそもまっちゃんは何故僕を左サイドバックで起用したのでしょうか?
今も不思議で仕方ありません。
楽しい思い出もありました!
ウタくん(24年卒)と高之(4年/菅高校)と原付でディズニーに行ったことは最高の思い出です。(2度といきませんが)
2年目の同部屋のウタくんと武笠(3年/西武台高)には非常に楽しませてもらいました。
ウタくんが毎日武笠の食料を食べて生活していたのは最高に面白かったです。
僕に敬意を持って接してこない後輩は武笠だけでした。
けど、最初の後輩は君で良かったと思います。
鳴川部屋で学んだ鳴川式での生活、今後は今同部屋の岩本(3年/大津高)と庄子(1年/旭川実業高)に受け継ぎたいと思います。
ありがとうございました。
3年になり、カフェでの活動が僕を大きく変えてくれました。
自信のなかった自分に対して、サッカー以外での生きる道を見つけた気がしました。
初代店長の柏木くん(24年卒)には本当に感謝しています。
彼の元で働けた時間は僕にとって大事なものです。
最高のカフェを提供して頂きありがとうございます。
これからも神大喫茶を大切にしていきたいと思います。
そして後輩達に引き継いでより良いものにしていってもらいたいです。
渡辺店長!期待してます!
サッカーでの思い出と言ったらなんといっても鳩サブレスタジアムでの平日練習です。
グラウンドがツルツル過ぎて何人もの人が転んでいました。
しかし雰囲気は週末の試合に向けて真剣モードでした。
そんな中、その雰囲気をぶち壊した先輩2人がいました。
上原くん(24年卒)と柏木店長でした。
2人がグラウンドで盛大に滑りオウンゴールをしてくれました。
笑いを堪えるので必死でした(笑)
そして遂に最終学年。
カフェでは店長を務め、トップチームへ昇格もしました。
みなさん覚えていますでしょうか??
実は関東リーグに一度だけスタメンで出場したことを…
その頃、社会人リーグは勝ち点剥奪。
なかなか勝つことのできない状態で苦しんでいました。
カフェで一緒に働くまっちゃんの顔色は日に日に悪くなっていました。
そんなまっちゃんの顔を見ているのがとても辛くて社会人チームに戻ろうと考えました。
社会人チームに戻り、尾崎(3年/市立長野高)という強力な助っ人も加わり、見事無事1部残留を決めることができました!
個人としては得点ランキングに名を残すこともできて良い年になりました。
(ジャンボを越すことは僕にはできませんでした。これは来年の10番であるライに託します)
4年目の公式戦の観客席には家族、友達、彼女、チームメイト、地域の方々がいました。
その人達にゴールを決めてハイタッチに行けたこと本当に僕にとって最高の瞬間でした。
僕にとっての財産です。
1人じゃない。沢山の人に支えられている。
そう感じられる瞬間でした!
そして幼少期から今まで、ゴールを決めた瞬間がどんな時よりも好きでした。
あの瞬間がもう味わえないと思うとなんか寂しい…
最後の練習試合。早稲田戦。
4年生として何か後輩達にいい置き土産ができた。
そんな試合でした。
人生で最もいい試合だったと思う。
(勝ってはないけど)
楽しかったです。
後輩
いつもこんな僕に話しかけてくれてありがとう。君たちとの日々は最高のものでした。
また、飲みでも誘えばすぐ行くので誘ってください。そして、神奈川大学サッカー部は自身を成長させることのできる最高の場所です。
是非一つでも多くのものを吸収してみんなもチームの「象徴」になってください!
これからの活躍を期待してます。
神大スタッフ
神奈川大学サッカー部は人生で僕を人として1番成長させてくれた場所でした。
スタッフの方々にサッカーを通じてお世話になれた事を心から嬉しく思います。
神大スタッフは心が情熱的に燃えているアツいスタッフばかりでした!
特にまっちゃんには4年間ピッチでもカフェでも大変お世話になりました。まっちゃんの神大への愛は最強でした!
川田さん!卒業後も必ずカレー食べ行きます!
ありがとうございました。
同期
自分の学年がこのメンバーで本当に良かった!みんなのお陰でとても充実した4年間を送れました。本当にありがとう!みんなと過ごした4年間は僕にとっての宝物です。みんなとは、また学年会でいっぱい話すと思うのでこれくらいにしときます。社会人になってもみんなで集まりましょう!
家族
16年間サッカーをさせてくれた両親には本当に感謝をしてもしきれません。
16年間の間でたくさん悩ませてしまうこと、心配されてしまうこともあったでしょう。
親父はあまり人に関心を持たないのに僕のサッカーに対しては真剣に向き合ってくれていました。アルコールが入ると人に迷惑をかけることがありますが、そんな一面も含めて最高の父親です。
母は社交的で知らない人にでもすぐに話しかけるような人ですが、僕にも少しその要素が含まれてたみたいで今ではとても助かっています。僕が今まで元気にサッカーを続けることができたのは間違い無くお母さんのサポートのお陰です。ありがとう!
僕が16年間サッカーを続ける上で兄弟にはとても我慢をさせてきたと思います。何一つ文句の言わないとても良い子すぎる顔がそっくりな兄弟でした。レア、ルマ、これからは美味しいものたくさんご馳走するからいつでも連絡くれ!
そして、最後に感謝をしたいのは祖父です。
1番最初の孫だったのでとても可愛いがってくれました。僕の進路やサッカーのことにもとても真摯に向き合ってくれて送迎にまでも協力してくれました。残念ながら大学での活躍は見せることは出来なかったけど、空の上から見守っててくれていたと思います。
本当にありがとうございました。
これからも応援よろしくお願いします!
僕はこれまで沢山の人に支えられて16年間サッカーを続けてこれました。
周りの人に恵まれました。
本当にありがとうございました。
16年間のサッカー人生はここで終止符を打ちますが、これからも佐藤瑠意をよろしくお願い致します。
ありがとうございました。