【COTEN RADIO ショート まとめ】老子・荘子編2
今回は老荘思想の第2回目になります!
前回の記事はこちら
はじめに
コテンラジオの老子・荘子編の2回目では、老子の思想を中心に「自然に帰る」というテーマを掘り下げます。内容は高度に抽象的でありながら「知識や道徳を“作為”と捉え、それらを排除した“無為自然”こそが理想だ」という、いわば逆張りともいえる独特の考え方が浮かび上がります。
前回は「道(タオ)」という概念全般に触れましたが、今回は具体的に老子が説く「人為の否定と自然への回帰」について、そのロジックを詳しく見ていきます。
1. 老子の基本主張は「人為を捨てて自然に帰れ」
老子の思想を一言でまとめると、「人があえて作り上げたもの(知識・欲望・道徳・法律など)を徹底的に排除し、万物の法則である“自然”に従うべきだ」というものです。ここで言う「自然(しぜん)」は、いわゆる山や川といった“自然環境”とは少し違い、「自ずとそうなる」「万物を貫く法則」という意味合いが強いのが特徴です。
1-1. 儒家の秩序化 vs. 老子の自然回帰
春秋戦国時代の諸子百家の中で、孔子(儒家)は「乱れた世の中を取り戻すため、仁・義・礼・知・信などの徳や礼儀を重視すべき」と説きました。これは、人間の努力によって無秩序を制御しようとする“秩序化”の発想です。
一方、老子は真逆の立場をとります。彼にとっては、むしろ人間が後から付け加えた道徳や知識こそが混乱の原因であり、「余計な作為は自然から逸脱させるだけだ」というのです。
1-2. 「人為」とは何か
老子が否定する「人為(じんい)」には、知識・欲望・道徳・技術・法律・文明など、ほとんどあらゆる“人間が生み出したもの”が含まれます。彼はそれらをすべて「本来ひとつであるはずの世界を分割し、対立を生み出すもの」と捉えました。
知識:対象を「善悪」「美醜」などに分類する行為そのものが、万物をありのまま見ることを妨げている。
道徳:人為的に定められた“善”や“悪”が、かえって争いの原因になる。
欲望:知らなければ欲しがらない。知識を増やしてしまうからこそ、さらに大きな欲望が生まれる。
こうした“作為”を排除し、「無知無欲」の状態に近づくほど、人は自然(本来の法則)に従って生きられるというのが老子の主張です。
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