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芦原妃名子さんのニュースに思うこと

子どもの頃に、大好きな物語が映画になって、わくわくしながら映画館に観にいったら、全く別物になっていた。よかったねーと周りが言っているのに、なんだか悲しくて、ちょっと泣きそうになった。違うもん、と思った。本とは違うもん。

映画は大人気で、テレビ放送も何度もあって、これはこれでいいのかもしれないと思ったりもした。でもやっぱりしっくりこなくて、違うもん、としつこく思った。

一人暮らしを始めて、何度も観たその映画が、突然心にささって、どういうわけか、わんわん泣いた。たぶん、別の物語として、受け入れることができたのだろう。
その映画は、いつの間にか、心の支えになった。
大人になった今、原作も何度も読む。
映画も観る。
「魔女の宅急便」のことである。

野田秀樹の芝居「半神」がすごすぎて、萩尾望都の原作を買って読んだら、16ページしかなくてびっくりした。登場人物は名前も全然違うし、タイトルと設定しか同じじゃないよね、と学生の頃は思ったけれども、大人になって、あの16ページに詰め込まれた萩尾望都のものすごい哲学が、野田秀樹の芝居にはくっきりとあるように感じて、野田秀樹はこの16ページを何度も何度も何度も読んだのだろうと思った。

「海街ダイアリー」は、先に映画を観た。映画の原作だーと漫画を手に取ってみたら、何度も読みたい本当に素敵な作品だった。映画が漫画を教えてくれた。ありがとうと思った。

でも「ミステリと言う勿れ」のドラマ化は、かなり引きずった。なんでこんなことに、としつこく思った。
といっても、ディズニーのアレンジなんて、ラプンツェル、髪の毛長い、ぐらいの設定しか残ってない程大胆だし、世の中に出回ってるアリスは、ルイス・キャロルの原作を本当に読んだひとは、どれぐらいいるんだみたいになってる。

別物ですよ。わかってますよ。
原作通りに、もう一字一句すべて同じに、とかいかないことは、わかってる。わかってますよ。
原作のPVだと思えばよい、と友達が言ってくれたので、なるほど、このドラマ化を機に、大好きな作家さんの素晴らしさを、みんなが知ってくれたらいい、それだけのためのドラマ化だと思えばよい、とも思っている。思おうとしている。原作のよさは、何ひとつ変わらない。

でもこれは、ただのいちファンの心境であって、作り手の心は違うと思う。

あわあわしたところから、大切に大切にこの世界に取り出して、形をつくり、言葉を与えて、今まさに育てている真っ只中の幼い子が、通りすがりのひとの目に止まり、悪いようにはしないから、と大都会に連れていかれて、切り刻まれて別物になって、消費されるために陳列されているのを見たら、魂がえぐられるみたいに辛くて、発狂しそうになるだろうなと思うのだった。
あんなひとに、預けなければよかったと自分を呪うかもしれない。ごめんねごめんね、と切り刻まれたその子に思うかもしれない。

大都会に連れていかれた先で、スターになればそれでいいというわけでもなくて。
何度も何度も何度も読んで、愛して、この預かり子の素晴らしさをたくさんのひとに知って欲しいと思っているから、だからスターにしたいと思って、大切に大切に大切に育てて欲しい。
愛して欲しい。
わたしが愛するように、この子を愛して欲しい。
この子の本当の親のように、愛をもって慈しみ育んで欲しい。
スターになったら、いや、ならなくても、こんなふうに育ちましたか、ちょっとびっくりしました、でもこのかたちもまあ悪くはないのかもね、なんて話したりできたら嬉しい。
生みの親と育ての親、ぐらいの気持ちで話ができたら嬉しい。

わたしが親なら、きっとそう思う。

でももう、本当のお気持ちはわからない。
永遠に聞くことができない。

芦原妃名子さんのニュースが、とても辛かった。ご冥福をお祈り致します。

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