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サンタさんからさよならの手紙

うちに来るサンタさんは、毎年家族全員にプレゼントをくれる。子どもだけではない、おとなにも用意してくれるのだった。
寝る前に大きな袋を置いておくと、その中にあれやこれやといれておいてくれた。文房具とか、おもちゃとか、本とか、お菓子とか、お酒も。それをクリスマスの朝に、これは誰それ宛てじゃないか、それはわたしが欲しいとか、そんなことを賑やかにする。
欲しいものがもらえるとは限らなくて、すべてはサンタさんの采配次第で、なんでこんなものと思うようなものがあったり、その柄じゃない方の柄が欲しかったということもあるけれども、サンタさんはそういうおちゃめなうっかりさんなのであった。

サンタさんからさよならの手紙が届いたのは、ちょうど2020年コロナ禍の10月で、どこもかしこもマスクだらけで、旅行なんてとんでもない、空港を出入りするのも難しく、世界中不要不急の外出はしてはいけないはずであったのに、手紙によるとサンタさんはバカンスに出ているらしかった。バカンスもトナカイをつかっているのかもしれない。

消印はあった。どこか海外のものらしかった。切手にはタンザニアと書いてあるのが読めて、サンタさんはどうやらずいぶん遠くまで行っているようだった。郵便受けの手紙を見つけたのは、夕刊を取りに出た子どもだった。

達筆な筆記体の英語で、三枚にもわたった長い手紙だった。
手紙には、サンタさんは今世界中を旅していること、世界は大変なことになってしまったこと、それを憂いていることなどと一緒に、わたしたちへの別れの挨拶が書いてあった。
「もう、きみたちのところには行けないんだ。他に行かなくてはいけないところがたくさんあるんだ、わかるだろう」
それでもサンタさんは、わたしたちとのクリスマスの時間がほんとうに嬉しかったこと、時々プレゼントを間違えて申し訳なかったこと(でもサンタさんはホホホと笑っていた)、わたしたちの毎年の成長を楽しみにしていたこと、これからは互いに思い合い、すてきなクリスマスを過ごしてほしいこと、そんなことが書いてあった。

それから。
わたしたちの家族にいる一番小さい子どものことを案じてくれていた。わたしたちの、とサンタさんは言った。わたしたちのちいさいあの子に、どうか楽しいクリスマスをしてあげてほしい。君たちにわたしの、サンタの役目を担ってもらいたい。いつか、またきっと会える日がくる、その時まで。そんなふうに手紙は終わっていた。

一番小さい子どもはまだクリスマスをぼんやりとしか理解していなくて、英語を読めない上の子どもたちも、どういうこと、サンタさんもう来てくれないの、コロナが終わったらサンタさんまた来てくれるよね、とあれこれ問うのだったけれども、そうだね、いつかまた来てくれると思うけど、でも今年のクリスマスは、みんなでそっとお祝いしようね、と答えながら、わたしの方が泣けて泣けて仕方なかった。
わかっていたけど。いつかサンタさんが来なくなることはわかっていたけど。こんなふうに手紙が届くことも、なんとなくわかっていたけど。でももうクリスマスの、あの魔法のような朝はもう来なくて、そわそわと早起きして袋をのぞきに行く子どもたちを見ることがもうできなくて、子どもたちが袋を開けた瞬間の、わあという顔をわたしはもう見ることができなくて、それが悲しくて悲しくて仕方なかった。あれこそが、わたしのプレゼントであったと思った。

手紙を持ったまましくしくと泣いていたら、中くらいの子どもは「そっかあ」ぐらいであったのに、大きい方の子どもが一緒になって「サンタさんがもう来ない」と泣いてしまった。それで、いつかサンタさんに会えるといいね、それまでは小さいあの子のサンタさんになろうね、そんなことを大きい子とも中くらいの子とも言ったりしていたのだけれども、その小さいあの子は今ではもうずいぶん大きくなって、サンタさんの正体を知りたがっている。
大きくなった上の子どもたちから「サンタさんの正体を知ったら、サンタさんにならないといけないんだよ」と真剣に教えられて、「サンタさんになるのもいいね」といっちょ前に答えたりしている。

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