和歌の情景を想像してみること
藤原俊成の有名な和歌に
夕されば野辺の秋風身にしみて
鶉鳴くなり深草の里(千載和歌集)
があります。
初めてこの和歌を見て以来ずっと気に入っていて、俊成といえば「鶉鳴くなり深草の里」の和歌と思っています。
俊成の和歌で私が一番好きなものということではないですが覚えやすくて情景が浮かびやすいから気に入っているのです。
改めて今和歌を書き出してみてふと疑問が。
鶉ってどんな声で鳴くのか?
そもそも鶉ってどんな鳥だったかな?
さらっと流していました。情けないことに。
今はすぐにいろいろ検索できる時代なので鶉を検索すると画像も鳴き声も出てくると思います。
でもそれでは実はよくない。
どういう感じなのか想像してみることが実は大事。
鶉といえばうずらの卵。小さくてよく食材で提供されるあの卵。かわいいサイズですよね。
卵があのサイズということはうずらの身体の大きさもある程度想像がつく。
ダチョウがあの大きさで卵はあんな感じ。
にわとりがあの大きさで卵はあんな感じ。
この比較から類推するとうずら何となく大きさがある程度わかってきます。
こういう想像してみるということが実は研究には大切なこと。
こうではないかああではないか。
こうだから多分こうだろう。そうでないならばこうのはずだ。
この推論から実証していくことが研究。
実証出来ないことは正しくないと言えるわけです。
想像力が大事なことだというのはあらゆる分野で言えることだと思います。
31文字の中で表現される情景。鶉を知らなければその鳴き声を知らなければこの和歌の本質は味わえない。
俊成のこの和歌はそれらのことがわかる人に伝わる和歌。
そう令和の我々にはうずらの姿もその鳴き声も身近ではないという現状があるのです。
うずら=卵(食材)という感覚しかなければこの俊成の和歌をちゃんと理解したとは言えない。
今一歩踏み込んで和歌の世界に触れてみるのもいいのではないでしょうか。
そう思いながらうずらの鳴き声を検索して聴いてみるのも楽しいと思いますよ。