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目指すべきは、多数派よりも少数派。いちごの民になるために。

あるところに、2つの民族が住む集落「くだもの村」があった。

くだもの村には、「いちごの民」が5人、「メロンの民」が195人住んでいた。

「ねぇ、なんでそんなに小さいの?小さすぎない?」
「なんでそんな赤い色をしているの?ふつう緑でしょ?」
「なぜ表面が網目じゃなくてブツブツで毛が生えてるの?気持ち悪い」

メロンの民は、くる日も来る日もいちごの民に向かって、愛のない言葉を投げつけた。

くだもの村では、メロンの民がいうことが「常識」とされていた。

心優しいいちごの民だったが、メロンの民と一緒の集落で暮らすことに疲れてしまい、ついにはくだもの村を離れて「いちご村」をつくって生きていくことにした。



先日、キングコング西野さんがなにかの動画で、「お金持ちはどこにいるのか?」と話しているのを聞きまして、いわれてみるとたしかに「身近にはお金持ちといえるだけのひとがいないな」と気づきました。

「お金持ち」をどう定義するかによりますが、野村総合研究所のデータによると、日本においては「資産1億円以上」の世帯を「富裕層」と呼んでいるらしいです。

この「富裕層」の人たちを「お金持ち」と呼ぶとすると、「おれ、資産1億円以上あるよ」なんていう、そんな福沢諭吉連合艦隊の将軍的ポジションにいる知人、ぼくにはいません。

というより、割合にするとたったの「2.4%」なので、ぼくだけではなく、おそらくほとんどのひとの周りに「富裕層」といえるひとは存在しないはずなんですよね。

100人いたら2人は富裕層なので、意外と近くにいそうなものですが、たぶんこの 2.4% のひとは、それ以外の 97.6% のひとたちと一緒に暮らしているわけではなく、2.4%のひとたちで集まって生きているんじゃないかなと思っています。

冒頭でご紹介したストーリーに登場する「いちごの民」とおなじなんじゃないかと。


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