「なんのために勉強するのか?」今後ずっと忘れずにいたい答え。

「ベンキョウシナイデ コマルノハ ハヤトジャナイ。コマルノハ ハヤトノマワリニイル タイセツナヒトタチ」

喜多川泰さんの著書、「ソバニイルヨ」を読んだ。

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「なんのために勉強するのか?」

これまでこの問いに対して、ど真ん中ストライクな回答が僕の中にはなかった。

個人的に勉強はどちらかといえば好きな方だが、単純に知らないことを知るっていうのが楽しくてやってるだけで趣味みたいなものだ。

特にこれといった目的があってやっているわけではない。

でも、今回の本を読んで、勉強は周りの人を助けるためにしておく必要があるんだって気づいた。

たとえば先日、所属している朝活コミュニティーで、ぼく含め3人で早朝 zoom Meeting をしていた時のこと。

「起業を考えている」

メンバーの1人、仮にAさんとしよう。Aさんがそう話してくれた。

もうひとりのメンバーであるBさんは、社会起業家として様々な活動をしていて、積み重ねてきた経験からAさんの相談に乗ってあげることができていたのだが、起業経験もなく、起業について特別これといった知識もなかったぼくは、あほみたいな顔してぽかーんと口を開けてカメラに写っているだけ。

なんにも力になってあげることができなかった。

これがたとえば、ぼくに起業の経験があったり、過去に何か立ち上げた経験があれば、Aさんの力になってあげることができただろう。

勉強をすることで周りを助けることができるっていうのは、こういうことをいうのだと思う。

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もちろん、あらゆる分野に精通している必要はない。

学校の先生が、国語、数学、理科、社会といろんな分野に分かれているように、すべてに精通するのはちょっと無理がある。

特定の分野でいい。この分野では力を発揮できるって分野で必死で勉強すれば、きっと多くの人を助けられる。

自分が数学の先生で、数学について詳しくなるほど、おもしろく伝えられるようになるほど、数学で助けられる生徒が増えるように。

社会人が日々取り組む「仕事」というのは、この特定のカテゴリーで困っている誰かをサポートする活動のことをいうのだろう。

自分の得意な何かで誰かを助けてあげたり喜ばせたりすることで、その対価としてお金をもらうものなんだな、と気づいた。いま。

数学の先生は数学を通して、YouTuberはYouTubeを通して、アフィリエイターはアフィリエイトを通して、ヨガの先生はヨガを通して、まわりの人に驚きや喜びを与え、ときにサポートをする。

自分が勉強すればするほど助けられる人が増え、勉強をサボればサボるほど勉強していれば助けられたはずの多くの人たちを助けられなくなる。

勉強しないで困るのは自分じゃなくて、自分の周りにいる大切な人達。

自分の得意分野がわかっている人はその分野を徹底的に勉強すればいいし、得意分野がわからないならどうすれば得意分野がわかるようになるのか勉強すればいい。その経験は同じように困る人を将来的に助けることになるはずだ。

すでに周りにいたり、将来出会うであろう大切な人たちをたくさん笑顔にしてあげられるように勉強するんだってことを忘れないように生きていきたい。

逆に、勉強に必死になりすぎて、周りにいる大切な人たちに喜んでもらうっていうことが置いてけぼりにならないように気をつけたい。

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