「子どもと大人の違いとは?」今際の国のアリスに学ぶ、大人の役割。

「今際の国のアリス」のseason2 を見ました。最高でした。

登場人物の1人を演じるヤマピーのバッキバキに鍛え上げられた肉体を見て、今年は肉体改造をしようと思ったのですが、多分途中で辞めることになるので無理せずある程度の肉体をキープすることにします。

人生なんでも張り切っちゃうと、最終的にぜんぶうまくいかなくなるので、なんでも適度が大切なんです。筋トレが嫌とか、そんなんじゃないです。

さて。

「今際の国のアリス」はマンガが原作なんですが、マンガもめちゃくちゃおもしろくて、快活クラブでお腹壊すくらいにアイスを食べながら夢中になって読んだ覚えがあります。

今回は原作の名セリフから、「大人になったら”あげるポジション“にいることを常に心がけておいた方がいいかも」と思った話をしようと思います。

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「子供と大人の違いがわかるかい?」「もらう番とあげる番さ」

登場人物の1人であるキューマが、主人公のアリスに伝えた言葉があります。

「人はね、子供の頃にもらうんだ」
「たくさん、無条件にね」

「そしてそのもらった分を、今度は大人になって誰かにあげるのさ」
「たくさん、無条件にね」

「もらってこなかった人はあげられない」
「どれだけ見た目が成長しても、中身はいつまでも貰いたがっている子供のままだ」

・・・深い。

あ、ぼくずっともらうターン担当してるわ、と思いながらページ捲っていました。

もちろん実際にはそんなことない(と思いたい)んですけど、「あげる番」よりは「もらう番」の方がはるかに多い気がしていまして、

「もらう番」がインスタントラーメンつくるときの粉末スープと仮定するなら、「あげる番」は入っている七味ぐらいの分量比じゃないかなと・・・。

中身はいつまでも貰いたがっている子供のままなのかもしれません。

もちろん、もらう番があってもいいと思うんですが、もらう番ばかりだと、ながーい目で見た時、取り返しがつかないレベルで自分が損すると思います。

逆に「あげる番」が多いほど、人生どんどん面白くなるんじゃないかなと、そんな気がしました。

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たとえば・・・

まず、「あげる番」が多い人のまわりには、同じように「あげる番」が多い人が集まってきますよね

チップが文化として根付いている国では多くの人が店員さんにチップを渡すけど、そんな文化がない国ではチップを渡す機会がほとんどない、みたいな感じです。

ここだけを切り取ってどちらの国がいいかまでは決められないですが、基本的には前者の国の方が幸福度は高そうな気がします。周りに「あげる番」ができている大人が多いほど居心地がよさそうです。

また、振り返ってみると、「もらう番」が多いときって、おもしろくないなーと感じていることが多い気がするんですよね。

「もっと自由な時間が欲しい」とか、「もっとたくさん遊びたい」とか、「もっとお金欲しい」とか、何かを欲しがっている時って、思考回路が自分中心になりがち。

何かが欲しいというのは、不足前提になってます。満ち足りていないから欲しがっていて、「不満足」な状態なので、幸福度が下がってしまうのかもしれません。

逆に、「あげる」ができているというのは、自分は足りている状態にあるのが前提です。満足(足りている)な状態が無意識下で認識できて、幸福度が上がるじゃないかなと。

僕のブログを読んでくださる優しいあなたのことですから、誰かのために何かができて、その人がすごい喜んでくれたり笑顔になってくれて嬉しかった!、みたいな体験したことも多いと思います。

勉強教えてあげてすごい喜んでくれるとか、料理作ってあげて喜んでくれるとか、真夏にハイボール奢ってあげてすごい喜んでくれるとか。

美味しいものを自分で食べる喜びよりも、美味しいものを作って誰かに喜んでもらう喜びの方が比較にならないほど大きかったりするんですよね。

もらう番が多いと、こういう誰かに貢献して自分が嬉しい、みたいな体験が少なくなるわけで、そりゃあ「おもしろくないなぁ」という状態になるのは当たり前かもしれないですね。

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