見出し画像

【後編】旅路の果てにたどり着いた鳥居で学んだこと。人生はたのしい。

チェブラーシカに別れをつげたぼくたちは、港を散歩しつつ、近くの観光スポットを探しに。

ぶらぶらと歩いていると、立派な建物を発見。

「人道の港敦賀ムゼウム」という建物で、入館料を支払い、なかを見学することができた。

どうやら敦賀市は戦時中、ユダヤやポーランドからの難民を受け入れた港だったらしい。

「人道の港敦賀ムゼウム」は、当時の様子や難民を受け入れることになった経緯などを学ぶことができる資料館のようなところだった。

なかでも館内で紹介されていた「杉原千畝」さんについての話は印象深かった。

ナチスの迫害で行き場を失った人々を、当時外交官として勤めていた杉原千畝さんがビザを発行して助けてあげたとのこと。発行したビザの数は1ヶ月間で2139通。

当然印刷機などないので、すべて手書き。

多くのひとの命を救ったビザは、「命のビザ」とまで言われた。

日本政府から「ビザ発給をしてはならない」と命令を受けていたにもかかわらず、杉原千畝さんは命令に反してビザを発給したらしく、帰国後解職されてしまう。

戦時中だ。現代のように「ハラスメント」についての理解などほとんどなかかったどころか、むしろハラスメントだらけだったはず。

政府の命令に反するのは、相当勇気が必要な行為だったと思う。

杉原千畝さんのように、不当な圧力を受けたとしても自分の正しいと思ったことは貫ける人間でありたい。

ぐるぐると館内をまわりながら、「ほぁぁ…」「ほぇぇ…」「ふぉぉ...」と、「日本語知らねーのかおまえは」といわれても仕方のないようなことばを漏らし、キリッとして顔で写真に映る杉原千畝さんとは対照的なだらしのない顔をみる限り、道のりは少し遠いかもしれないけれど。



ほかにも敦賀がユダヤやポーランドからの難民を受け入れることで、どれだけ多くの人を救ってきたか、よく理解することができた。

・・・とてもよかった。

とてもよかったのだが、なんだかわからないモヤモヤした気持ちというか、違和感を感じているぼくに対して友人モーセがいった言葉が、いまも脳に焼き付いている。

「すごく勉強になるけど、こういうのは助けた側の国で紹介するより、助けてもらった側の国にある方がいいよね」

「ふぉぉ…」

またも、だらしのない顔から言語ではないなにかがもれた。

なるほどその通りだ。

歴史から教訓を伝えることはとても大事なのだが、助けた側で紹介するとどこか自慢っぽくきこえてしまう。

もちろんそんなつもりはないとは理解しているものの、「すごく価値のあることをしたから、自慢っぽくなっちゃうかもしれないけど紹介させてね…!!」くらいの期待値設定があると、ぼくのようなあまのじゃくでももっと素直に学べそうだなとも思った。

伝え方って大事だ。

とはいえ、大切なことをいろいろ教えてもらった。

ありがとう、「人道の港敦賀ムゼウム」



建物をでたぼくたちは、車に乗り込み、リサーチ系最大魔法、「Instagram」を使って観光地を検索。

「なにこれ!きれー!」

マツダの車の中で年甲斐もなく、キャッキャ言いながら見つけた観光スポットが、「白髭神社」だった。

ここから先は

1,470字 / 3画像

¥ 100

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?