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【日記】質の高い感動をたくさん味わうことで表現力は高まる。
本当の理解は、「体験」によって得られるものだと思っています。
というよりは、体験によってしか得られないものだと思っています。
本を読んだり、人から話を聞いたり、映像で見たりすることで、ある程度理解することはできますが、理解度は「体験」と比較すると、100分の1ぐらいなのではないかと・・・
たとえば、「オーロラの美しさ」は、写真や動画である程度想像できます。でも、本当の美しさは、オーロラを見たことがある人にしかわかりません。
肌を刺すような寒さのなか、いつ現れるかわからないオーロラを待って、やっと現れたオーロラを見る。
その過程も含めてはじめて、「オーロラの美しさ」がわかるように思います。
ほかにも、「甲子園で負ける悔しさ」や「勝ったときの喜び」は、実際に甲子園に出場したことがあるひとにしかわからないですよね。
間接的に見たり聞いたりする分には、今の時代、テクノロジーを活用すればそれほど難しいことではありません。
しかし、「体験する」となると、その母数は一気に減ります。「体験する」というのは、それぐらい貴重で、価値の高いものです。
テクノロジーが進化すればするほど、間接的に見たり聞いたりする機会が増えるので、「体験」の価値はガッと高まっていくと思います。
正しく表現するには、「体験」が必要
毎日文章を書いていると思うのですが、正しく表現をするには「体験」が必要不可欠だなーと感じています。
体験をしてみないと、表現が浅くなるというか、ちょっとふわっとしてますけど「本当のところ」がうまく伝えられないんですよね・・・
もちろん、ぼくの伝える力が不足している部分も大いにあるのですけれど、「体験」のない表現は、腐った魚で刺身を造ろうとしているようなものだと思っています。
おいしい刺身を造るには、そもそも新鮮な魚が必要じゃないですか。いくら腕のいい料理人でも、くさった魚ではおいしい刺身は造れないんですよね。
「新鮮な魚」と「料理の腕」が揃って初めて、「おいしい刺身」ができあがるわけです。
文章に限らず、なにかを表現するにあたっては、「体験」と「表現力」の両方が必要になります。
仕事においてもプライベートにおいても、表現の機会はたくさんあるはずです。
きちんと相手に自分の伝えたいことを伝えるためにも、たくさんの「体験」、もっといえば「体験」からくる「感動」が必要で、感動を味わえる機会を積極的に増やしていかないとなーと思いました。