辛いなら逃げても良い
やめるなら今という曲を聴いた
やめるのをやめるなら今、という意味が込められているらしい
それに違和感を感じたので書いてみた
学校でも仕事でも、辛いならやめても良いと思っている
その理由を書く
嫌々やっても身につかない
好きだからこそ工夫したり、打ち込めるのではないか
人間はみんなデコボコ
得意なことで社会に貢献すればよい
学生時代部活がホントに嫌だった
人間関係をうまくつくれなかった
もちろん補欠で、毎週毎週練習試合で
ガンバーガンバーというだけの日々
嫌で嫌でしょうがなかった
楽しくないから上手くなろうとも思わない
でも続けなきゃ、途中でやめるなんて弱い人間のすることだってやめられずにいた
ある日本当に嫌で行けなくなって辞めた
そしたら心がぱあっと明るくなって
とっても気持ちが楽になった
代わりにマラソンやスキーなどの競技に打ち込むことができて充実した学生生活を送れた
今までどうしてあんな辛い思いをして生きてきたんだろう
無駄な劣等感を植え付けるだけではないのか
学校、会社という狭い世界の中で思考が狭まっていたんだと思う
何を言いたいかというと、
嫌々やっても練習の質がわるいから上達しないし、成長もできない
好きなことで、得意なことで、社会に貢献すれば良い
そう思う
もっと言えば
あなたがいようといまいと明日は世界は回ってる
それなら自分が納得できる人生を送れればそれで良いのではないか?
辛いなら逃げても良い
世の中には楽しいことがいっぱいある
我慢して続ける意味はない。
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