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《司会、入ります!》スピンオフ/ This is me!


司会、入ります! ウェディング司会・松乃美咲 スピンオフ小説
《This is me! 〜ベテラン司会者は今日も歌う〜》

        ☆☆☆

「えっ! また変更ですか?」
 ちょっとしたことではもう動じなくなった御歳五十の福田幸子《ふくださちこ》も、これにはさすがに驚いた。
「変更っていうより、追加ですね」
 女性キャプテンの森山が、お団子に結いあげた襟足に手を当て、後れ毛を整えながら言う。
「結び、新郎のご挨拶が終わったら流す『送り出しの曲』ですが、最も盛りあがるジャストのタイミングで一礼したいとのことです」
「あの、それって私が『新郎新婦、そして御両家に、大きな拍手をお送りください!』とか言った直後のタイミングで……ってことですか?」
 そうです、と森山キャプテンが迷いなく頷く。
「当日変更で、こういうタイプの注文は僕も初めてですよ」
 音響担当の金手《かなで》がボソボソと呟いたら、「変更じゃなくて追加です」と、森山キャプテンがクールに訂正した。

 本日の披露宴の新郎新婦は、すこぶる美形カップルだ。
 見た目が美しいだけでなく、努力して洗練されたのが伝わってくる。
 実力で築きあげた美意識がそうさせるのか、打ち合わせ時から演出に対してこだわりが強く、二時間半という限られた披露宴時間の限界まで、趣向を凝らしたイベントを詰め込みたいとの要望があった。
 オープニングビデオにフォトムービー、自作プロフィールムービーにエンドロール。すでに映像は四本もあるのに、「新婦へのサプライズDVDを入れたい」と、後日新郎から内密のメールが届くほどの熱意には感心する。
 演出詳細は、最初から事細かに記載されていたわけではなかった。サプライズの際にはこれこれこのようなタイミングで照明を落とし、映像を流し……と考えを巡らせているうちに、ますますイメージが膨らんだのだろう。
 司会がこういうコメントを入れて、彼女にライトをバーンと当てて、僕が花束を渡して……と、日を追うごとに次々に要望の完成度が高くなり、ややこしさも倍増した。
 同年代なら誰もが共感してくれると思うが、五十歳にもなると記憶力がずいぶん低下する。慣れ親しんだ言葉や人の名前をど忘れすることなんて、日常茶飯事だ。
 よって、司会者として需要の高い三十代から四十半ばなら変更に次ぐ変更でも軽やかに対応できるだろうが、五十歳には正直、厳しい。できれば大きな変更は、前日までにしてほしい。
 それなのに新婦へのサプライズだけに留まらず、招待客へのサプライズはラッキードラジェでデザートにアーモンドを入れる……のはありきたりだから、器にシールを貼ってほしい、とか。当選は五名。ひとりずつ前に来てもらい、商品を手渡し、順番にインタビューをしてほしい、とか。次々に追加が入ってくる。
 そしてインタビューというワードから、またイメージが湧くらしい。今度は「司会者が会場を回って、来賓にマイクを向けてほしい。訊く人は、この人と、この人と…………」などなど、無限に注文が量産される。
 そのたびに幸子は進行表を修正し、「○月○日更新」と記載してはコーディネーターに添付メールを送信した。
 そのメール本数、約二十回。正確な数など、もう覚えていられない。とにかく、ここまで進行表制作に時間を費やした披露宴は、二十年の司会歴で初めてだった。
 これだけイベントを詰め込めば、時間的には限界だ。新郎新婦が定刻通りに入場できたとしても、五分のオーバーは最初から覚悟していた。
 つい二日前にも「来てくれた子供たち全員にお菓子を渡したい」との連絡が入り、十分オーバーは確実になった。「さすがにもうこれ以上の変更はないと思います」と、敏腕コーディネーターからも、やや疲れた様子で連絡が届いたばかりだった。それなのに……。
「最も盛りあがるジャストのタイミングって、ちなみに曲の頭から何秒後ですか?」
やるしかないと腹を括って訊ねたら。
「秒じゃなくて、一分十五秒後ですよ」
 と、金手が低い声でボソッと零した。

 正直、このタイミングで一分十五秒は長い。長すぎる。
 新郎の謝辞が終わったあと、森山キャプテンと介添えが、新郎新婦の衣装を整える。そして全員が並んだところで「正面を向き、お揃いでご一礼ください」などと声をかけつつ、両家両親と新郎新婦を横一列に並べるわけだ。
 ……要は、これだけ。曲の山場まで待っていたら間が保たない。
 新郎新婦とご両親も手持ち無沙汰で、棒立ちになるのは間違いない。
 余った時間をコメントで繋ぐことは、プロだから、どれだけでもできる。だがせっかく新郎が結びの挨拶で締めくくったあとに司会者が一分十五秒もダラダラとアナウンスを入れるのは、どう考えても余分だ。間延びもするし、ただでさえ限界に達している披露宴時間を無駄に伸ばしてしまう。
「ちょっと、その部分の音を聴かせてください」
 幸子は金手に頼み、「送り出し」部分の音楽を視聴させてもらった。
 イントロが流れた瞬間、「あっ」と声が弾んだ。「This is me」だ。
 映画「グレイテスト・ショーマン」の中で歌われる、大好きな楽曲!
 じつは幸子は若かりしころ、プロ歌手のバックコーラスを務めていた時期がある。
 その後、収入の安定を求めて司会の道へ入ったのだが、音楽好きはいまでも変わらない。とくにミュージカルなどのハーモニー系が大好きだ。
 声を出す仕事を長く続けているのも、そもそも人の声が好きだから。人間の声が、最も美しい芸術として命を吹き込まれる「歌」は、とくに。
「……I'm not scared to be seen、I make no apologies〜This is me!」
 幸子の頭の中で新郎新婦の美しい立ち姿と、困難に堂々と立ち向かうThis is meの映像が重なった。
「金手さん」
「……はい?」
「一分十五秒の頭、全部流す必要はありません。新郎の謝辞が終わったら、頭出し四十五秒から流してください」
「四十五秒からってことは、残り三十秒で御両家一礼に持っていくってことですか? そんなぴったり合わせられます?」
「森山キャプテンが、その三十秒で両家の支度と説明を終えてくれれば」
 終えられますか? と幸子は森山キャプテンを振り向いた。うーん……と困惑気味ながらも、やはり彼女はどこまでもクールだ。
「通常であれば問題ありません。でもドレスの裾がヒールやマイクスタンドに引っかかるかもしれません。よってジャストは約束できません。逆に、すんなり進んで三十秒より短くなるかもしれません」
 もちろんだ。披露宴は生モノ。フタを開けてみなければわからない。
 わかりましたと幸子は頷いた。
 ここからは二十年の経験がモノを言う。
 そして幸子の、人の声が奏でる至高のハーモニーを愛する心が、きっと成功をもたらしてくれる。

       ◇◇◇

「……の感謝をこめて、これが僕たちから皆様への、お礼の言葉とさせていただきます。本日は僕たちの結婚披露宴にお越しくださり、本当にありがとうございました。どうかこれからも、僕たち夫婦をよろしくお願いいたします」
 新郎の結びの挨拶が終わった。割れんばかりの拍手の中、幸子は握ったマイクをしっかりと構え、口を開いた──────が。
入るはずの音楽が、鳴らない。
 なんてこった、金手さん! 頭出し四十五秒に合わせるのに、手間取ったか!
 だが幸子は音楽を待たなかった。ここで空白を作ったら、いま盛りあがっている流れが止まる。だから一瞬の判断でコメントを差しこんだ。
「一緒にいる時間が楽しいとおっしゃる新郎。それは新婦も同じです《When the sharpest 》……」
 ……よし、流れてきた。音楽に乗った!
 金手の焦りが見えた気がして、幸子は心の中で微笑み返した。大丈夫。絶対に私が合わせてみせる。
 幸子は森山キャプテンと介添人の動きを見ながら話し続けた。もうここからは時計は見ない。合わせるのは秒針ではなく、いまこの空間を包む感動だ。
 自分の中に流れる音楽が、必ず最高の「This is me!」ヘ、あの三十秒後へ導いてくれる。
「いまこうして隣に立ち、微笑みをかわすこの時間も《I'm gonna send a flood gonna》、これからともに過ごす未来も《 am brave I am bruised》、すべて御両家の宝物です《I am who I'm meant to be 》……」
 ここで小さな山場、This is meの歌詞が一度だけ入る。メインの盛り上がりは、この次。
 一呼吸置いて音楽の力を借り、幸子は再びマイクを構える。
 何度も進行を訂正し、更新したのは、幸子だけではない。新郎新婦もだ。とくに新郎は忙しい仕事の合間を縫って新婦へのサプライズを計画し、コーディネーターと綿密な打ち合わせを繰り返した。
 なんとしても彼に、最高のお祝いを捧げたい。それほどまで新郎に愛されている新婦に、輝く感動を贈りたい。
 それが婚礼司会者である自分の、使命だ。
 新郎の前に屈み、衣装の裾を整えていた森山キャプテンが立ちあがる。ゆっくり下がれば三秒……などと頭では一切考えない。目指す頂点は、まだ少し先。
 本来は、いますぐ拍手を促したい。でも最高潮まで、あと九秒!
 幸子は信じた。積み重ねてきた経験と、音楽と一体になれる自分を。声の速度、間と強弱。全集中力をもって、この秒数で高みへ導く!
「皆様の祝福に包まれて、思い出いっぱいの一日となりました《And I'm marching on to the bea》」
 幸子の声と音楽が、いま会場でハーモニーを奏でている。
 いま全力で御両家のために、祝福の曲を歌っている!
「新郎新婦の門出です《I'm not scared to be seen》、本日一番の盛大な拍手を お送りください《make no apologies》!」
This is me!!!!

      ◇◇◇

 お開き後の送賓時、幸子はいつものように最後尾へ並び、新郎新婦と御両家へ挨拶した。
 本日はおめでとうございますと幸子が深く一礼すると、新郎の父が満面の笑みで両手を差しだし、握手を求めてくれた。
「あなたは名司会者だ!」
 涙の笑顔で絶賛され、幸子も照れながら微笑み返した。
 一生に一度の、こんなにも素晴らしい場に立ち合わせていただき、私も最高に幸せです、と。本当に楽しい時間でした、と。
 落ちついて返答はしたものの、心の中は震えていた。もちろん御両家に喜んでいただくという大きな仕事を成し遂げた喜びで。
 待っていた新郎新婦も、両手を広げて幸子を迎えてくれた。気持ちとしては、「もー、あんたたちのおかげで大変だったんだから〜!」と文句のひとつも言ってやりたいところだが。
「ラスト、バチッと決まりましたね! 福田さんのおかげで、すごい幸せになれそうです」
「福田さんが『お送りください!』って叫んだ直後に、THIS IS ME! って入ったあの瞬間、バーッて体が震えました!  まだ興奮が止まりません。福田幸子さんってハッピーさんだよねって、いまも彼と話してたんです」
「ハッピーさん、ですか」
 幸子は破顔した。そんな幸せなニックネームを授かったら、おばさん、なにも言えませんよと笑うしかない。
 あなたたちが幸せなら、おばさんも最高に幸せです。このうえなくハッピーです。
「どうぞ、末永くお幸せに」
「はいっ!」

 福田幸子、五十歳。通称・ハッピーさん。
 司会歴二十年のベテランおばさんは今日も若手の司会者に混じり、あちらこちらの披露宴会場で、コメントという名の歌を歌っている。

                      ♪おわり♪

《司会、入ります!/スピンオフ小説「晴れの日」へ続く》→  https://note.com/jin_kizuki/n/nd78387988b44
 

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