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雪と夕やみのせまり来るたそがれどきは日常の些末なものを何もかも覆い隠してくれる
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はじめに
早朝、ほんのすこし雪が舞ったが、予報では昼以降は雲がとれ陽ざしが見られるという。それを信じて車を始動。学習サポートのしごとへむかう。道をすすんでいくにつれ、空はうす暗くなり羽毛を散らすような雪がふたたび降りはじめた。南にすすんでいるはずなのに、ずいぶんちがう。あたりいちめん雪に覆われてしまった。いつもの風景と違う見慣れない世界。
きょうはそんな話。
日常を覆い隠す
ごく短時間であたりは降りしきる雪でさま変わり。車は南にずっと下るにもかかわらず雪ははげしくなるばかり。渋滞はなく20分ほどで到着。車の通る道以外はどこも真っ白。雪は溶けないまま物音なくたえず降りつづく。
家を出て30分ほどであたり一面真っ白に。なんとめずらしい。数分ほど支度の合間に雪をながめる。物音ひとつしない。これだけ降るとさまざまなものを覆い隠してくれる。しかもその姿がじつにみごと。ちょうどケーキの上のパウダーシュガーのよう。それがみるみる深く積もっていく。
夕暮れどきも
このようすはちょうど夕暮れせまる頃合いとすこしだけ似ている。夕やみせまる頃の外のようすはいつもとはどこかちがう。いわば「よそ行き」の風情。うすい夕やみが些末なものを上品に隠してくれてあいまいな姿に。どこか現実的でなく見とれてしまう。
雪や夕やみはありふれた日常を覆うことで、日ごろ見逃しがちなまわりの美しさを再認識させてくれる。
雪を見ながら
じつはふだんからごくありふれた風景や庭の一画でも、よく見わたせばうるわしい形状や性質を示すものがありそう。あまりに見慣れた風景のなかに見落としているにちがいない。ちがう目でみればじつは雪や夕やみにたよらずとも、そんな日常のなかの美をみつけだせるのでは。
絵をふたたび描こうと準備している。なにもとくべつな対象をみつけずとも描けないか。こうしてnoteの下書を推敲し、たまたま部屋の一画をみつめる。午前のサポートを終え、ひとたびの休憩時間。冬の低い角度で室内に午後の陽が射しはじめた。ベージュの折りたたまれたカーテンのひだに間接光の織りなす影が微妙なグラデーションをつくる。あのようすを描いてみようか。
絵になる対象
ほかにもなにも準備せずともたまたま手もとにあるオレンジを描いてもよさそう。よくよく観察するとはたして何色で塗り分けられるだろうか。手前と影になる奥のほうではあきらかにオレンジ色の補色まで混じりそう。しかもその周辺はまるく奥行きがあり、それぞれで色合いがことなる。こうして塗り分ければオレンジ1個でもさまざま観察できそう。
おわりに
いつのまにか絵を描く話になってしまった。早朝の雪の話だったはずだが。雪は学習サポートのしごとをしている数時間であっさり溶けてなくなった。のこる雪は山上のあたりのみ。春の足音が花々を通じて聞こえはじめた。そこから家に来るまでもどった夕暮れの頃には、すでにあたりは今朝の雪が嘘のように早春の澄んだ空がひろがった。
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