(ショートショート)途中下車して沿線を歩く
はじめに
定期をもっていると、ふつうは経路上ならば乗車駅と下車駅の間は途中下車できる。そうか、通勤定期が使えるじゃないかとカナさんは思った。
そう思うとどうして活用しなかったのだろう、もったいないなあとすこしばかり後悔した。
休日に
いつもなみに早く目が覚めてしまい休日の朝ごはんを食べた。せっかくの休みで天気もいいし、ゆっくり出かけるとするか。
郊外から街なかに向かい、ほぼ南北に伸びる路線。この街は総合職のカナさんにはふたつめの勤務地。最初の赴任地は車を運転して通勤した。今回、はじめて通勤定期を持てた。
見知らぬこの地へ来てほぼひと月になるが、途中駅で降りた経験がまだない。経路上には12の駅があり、それぞれ東西に出口がある。したがって選ぶには困らない。
とりあえず乗ってから決めるか。いちばん小さなリュックに身の回りのものを詰め込むと、定期となるICカードとコーヒーを入れたマイボトルが入っていることを確認して家を出た。
春風のそよぐ午前の柔らかな陽射し。出かけるには好適だ。ホームに出るとほどなく、銀色の下地にひとすじの赤い太めの線を横に塗った列車がすぅーとホームに入ってきた。
平日にいつもお世話になっているおなじみの車両がゆっくり停まる。休日の車内はがらんとしてどことなく違う。とりあえず、乗ろうっと。
お気に入りの場所に
数回、ビルが少しずつ増えてきてドアの開閉をくり返した。ふと、そろそろ降りるかと思った。数人の家族連れにつづいて駅を出ると、そのうちのひと家族としばらく同じ方向に歩いた。緑が濃くなっていく。
あっ、そうか。たしか大きな公園があったな。家族連れのあとに入っていく。カナさんが腕を横に広げてふたり分でも届かないほどの幹の木が両側につづく。おっと池があるじゃないか。
いつの間にか先ほどの家族は見当たらず、午前中の陽射しのなかにカナさんひとり。木漏れ日のちらちら射すいごこちのよさそうなベンチにすわり、もってきたコーヒーをふうふうしながらそれとなく周囲を見渡す。
ここは月に1,2回ペースで来よう。季節ごとに咲く花が見れるかな。そう思うと、さっそくスマホのアプリに公園の名前と位置を残した。こうしてお気に入りの場所を登録して増やしていくのもいい。
気の合った仲間といっしょに動き回るのも悪くないが、こうして勝手気ままにひとりでそぞろ歩くのはなにより。思いつきで歩き回ることで意外な発見がかならずある。
ああ、ここの道はそちらの道につながっていたのかと気づくのはほぼ必ず歩いているとき。それから煎り加減の絶妙なコーヒー豆店はこうして歩くうちにぐうぜん見つけたんだっけ。
気づいたこと
公園の反対側の出口のとおり向かいには小さな教会があった。その前庭には人だかり。もしかしてと見渡すとやはりそうだった。これから神前での儀式を迎えるふたりとそれを見守る人々。
へえ、ちょうどこれからなんだ。ほんのちょっとのあいだ通りの向かいから眺めたあと、公園の外周をまわっていこうと歩きはじめた。
なかなか静かで落ち着いた街だな。そう思いつつ明るい緑のケヤキ並木の道をゆっくりと歩いた。この街に暮らす人がいるし、さまざまなことが同時並行で起こっている。ひとときとして留まっていない。
人の生活はどこにでもある。皆、精一杯、自分なりに生きようとしている。こうしたそぞろ歩きをはじめてカナさんが気づいたことのひとつだ。