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やまださんの話

まだ藤澤がスクエニで予言者育成学園の運営をしていた頃、突然内閣府から会社に電話がかかってきた。
最初はその電話に出られず、自分は何かとんでもない地雷でも踏んだのだろうか、国家権力によって存在ごと消されてしまうのだろうかなどと勝手に盛り上がっていたのだが、次の機会で話ができて事情がわかった。

曰く、予言者育成学園の担当者にお礼を伝えたいとのことだった。
当時出題されていた予言テスト(問題)に、「地方創生ビジネスプランコンテストの大賞を予知する」というのがあって、1万数千人が参加していた。
このコンテストの認知獲得のため様々な努力をしても、なかなか望む成果を得られずにいたのに、予言者育成学園に(頼んでもいないのに無料で)認知が広げてもらえたと、内閣府の方は感謝してくださっていたのだ。
それはまったく想定外の出来事だったけど、とにかくそこから内閣府の方とご縁が生まれ、普段なかなかお会いできない人をご紹介いただく機会に恵まれた。

そんな中の一人として、僕はやまださんと知り合った。

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やまださんは、とにかく面白い人だった。

当時ブームの兆しを見せていた『マンホールカード』の仕掛け人という触れ込みで紹介してもらったのだが、とにかく恐ろしく自己紹介が長い人だった。
その話は、信じがたいことに彼の両親の出会いから始まる。
それから、彼がどう誕生したのか、どう育ってきたのか、何を目指しどんな仕事に就いてきたのか、どういう経緯でマンホールカードに携わるようになったのか……。
彼がマンホールカードへの熱い思いを語り終えるまでに、およそ20分。
僕は『情熱大陸』か『プロフェッショナル 仕事の流儀』を丸々一本観終えたような満腹感に包まれていた。
話が長いことには正直辟易したが、どんな些細なことも人懐っこい笑顔で楽しそうに話せるのは、まぎれもないやまださんの長所だった。
僕は一発で彼のファンになって、それから色んな話をする仲になった。
ゲームとカード。作ってるものは全然違ったけど、人を楽しませたいという根源的な願いは一緒だった。
僕たちは、まだこの世の中に存在しない、いつか作りたいと思うものの夢をよく語り合った。

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やまださんはマンホールカードを多くの人に知ってもらうために、毎日痩せるような思いでプロジェクトと向き合っていた。(全然痩せないけど)

マンホールカードはその後もどんどんブームが拡大し、現在では発行枚数が560万枚を超える大ヒットコンテンツとなった。
ただ、そうした実績とは裏腹に、彼の熱意はなかなかうまく動力に変換されず、いつも苦しそうにしていた。それは傍から見ていて、気の毒になるほどに。
詳しいことはあまり書かないが、彼が情熱を燃やせば燃やすほど、その熱は回りまわって彼を打ちのめす仕組みになってしまっていた。
ある頃から彼の愚痴を聞くのが僕の役割のようになっていて、僕も思いつく限りのアドバイスをしていたけど、その言葉が実際に彼を救ってあげたことはほとんどなかった。

知り合ってから2年近くが過ぎた頃だろうか。
やまださんはどこか晴れやかな、どこか寂しそうな顔で報告に来た。
仕事を辞める決心をした、と。
それは、彼がそれまで情熱を傾けてきたすべてのものと決別することを意味していた。
僕はうまい言葉が見つからず、彼の再就職先を探すのにしばらく奔走したりしていたけど、彼がどれほどの痛みを感じているのかは、嫌というほど理解できていた。
それは、同じ物づくりに人生を捧げてきた身として。

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僕はちょうどシナリオの会社を興したばかりで、経済的な自由の利かない時期だった。

やまださんの再就職活動は順調には進まず、色々と話し合っていた時、彼は突然ある夢の話を始めた。
彼が語る夢は、いつも壮大すぎて現実味が乏しいことが多いのだが、この日は少し違っていた。
それはいつになく具体的で、頭の中でイメージしやすい構想だった。
マンホールカードよりも多くの人に事業貢献が可能であり、かつ彼自身がより自由な発想で活躍ができる、まったく新しいコレクションカードの構想。
それはまだ全然粗削りだったけど、何よりも、もう一度だけ新しいチャレンジがしたいんだという強い想いが込められていた。
それで僕は、その熱意に惑わされてしまった面もあったんだろうと思うが、ついこう言ってしまった。

「それ、よかったらうちでやってみる?」

今から、一年ちょっと前のことだ。

もう一度言うけど、うちの会社はまだ設立間もなく、経済的な自由の利かない時期だった。
そんな状況の中で、やまださんは、うちの会社の一員になった。

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それからも色々とあって、粗削りだったやまださんの夢は錬磨され、「日本全国の観光地をコレクションカード化する」という具体案へと昇華した。
だが、正直に言えば、僕はかなり懐疑的に思っていた。
まったく実績のない新しいコレクションカードの話なんて、観光地側が耳を貸してくれるんだろうか。そう思っていた。

しかし、やまださんは時間をかけて多くの人に説明をし、実際に日本中の観光地を訪問させてもらいながら、少しずつ味方を増やしていった。
そして、ある頃からは毎日のように「〇〇がカードを発行してくれることになりました」と報告してくれるようになった。
それは誰でも知っているような超メジャーな観光地ばかりで、気づけばカードの種類は52種類にも及んでいた。
まさしくあれよあれよという間に、彼は本当に観光地カードの構想を実現してしまったのだ。
それは、僕のような内向的な人間から見れば、いったいどんな魔法を使ったんだと言いたくなるような奇跡的な出来事で、彼の仕事を横目で見ながら、僕はいつも興奮しっぱなしだった。

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観光地カードは、やまださんによって『LOGet!CARD』(ロゲットカード)と命名された。

◎ロゲットカード公式サイト loget-card.jp/index.html

旅の思い出(LOG)と手に入れる(Get!)を合わせた造語だそうだ。

「へえー、いいじゃん」
そんな間の抜けた感想を伝えただけで、僕はそれ以外何もしていない。
このロゲットカードは、やまださんの熱い想いと実行力、あと彼を献身的に支えたアシスタントの古林さんの二人の力で実現した。
それは本当に魔法使いが魔法を使ったみたいに、キラキラとした光に包まれながら生まれ落ちたもののように僕には見えていた。

そして今年の4月、本格的な観光シーズンを前に、ロゲットカードはそれぞれの観光地から配布スタートするスケジュールが組まれた。
すべてが驚くほど順調に進んでいた。ここまでは、本当に。

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だが、2020年は、誰にとっても悪い年になった。
特に興行、飲食、観光の業界にとっては、まさしく悪夢の如き一年だ。

僕は未熟者だから、意味のない愚痴を再三口にした。
けれど、隣にいるやまださんは、悲観的なことを一切言わなかった。
それは誰より彼自身が、いま観光地が感じている痛みの大きさを正確に把握していたからだったんだろうと思う。

コロナの影響が完全に終息する日なんて、永久に来ないのかもしれない。
それでも、この新しい環境に合わせた新しい日常が生まれ、また旅ができるようになる日が来る。必ず。
彼はそう信じて、その日が来るのをじっと待ち続けていた。

そして、ロゲットカードの正式配布開始日は、2020年7月3日(金)に決まった。

残念ながら、すべての観光地が一斉スタートというわけにはいかなかった。
いくつかの観光地はいまもオープンができず、可能な所から順次スタートというかたちになった。

これを100点満点のスタートだなんて、到底言えない。
だけど、一度止まってしまった時間が、リスタートする予感がする。
新しい日常の始まりと共にスタートが切れることに、僕はなんだかワクワクしている。

あと、ここまで七転八倒してきたやまださんには、こんなのがなんだか似合いのスタートだ。そう思っている。

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なので、ここまで読んでくれた方は、どうか僕と一緒にやまださんの挑戦を応援してもらえたらと思います。
ロゲットカードもやまださんもTwitterがあるので、よかったらフォローもお願いします。

◎ロゲットカード公式 https://twitter.com/LOGetCARD
◎やまださんのTwitter https://twitter.com/Hideto_Yamada

ロゲットカードは焦って集めるようなものではないので、どこか近くまで行ったときに、1枚でも手に取ってもらえれば幸いです。
今もまだ、コロナの脅威が去ったわけではありません。
お出かけの際には、感染症予防の徹底。また、くれぐれも健康に注意しながら、ということでお願いします。

さて、記事の〆にしようと、やまださんから今の想いを聞いてみました。
そしたら、それもいつも通りうんざりするような長話だったので、ここに載せるのはやめました。(笑)
彼の想いを聴きたい人は、ぜひYouTubeのほうで。

◎YouTube http://urx.blue/0Mwm

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今後もやまださんはがんばり続けると思うので、ロゲットカードともども、また藤澤ともども、皆様のご支援をお願いいたします。

2020/7/1
藤澤 仁

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