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プロ野球XYZ世代論 なぜ今の指導者世代に、現役選手は”しらけて”しまうのか?

こんにちは、ジンです。
今回はどうしてもこのテーマを言語化してみたかったので、このnoteを書いてみました。
今回のテーマは「プロ野球世代論」です。

というのも、私は山田玲司先生やみのミュージック・みのさんの「世代論・文化論」が大好きで、こと芸術方面におけるこのようなカルチャーに対してのの言語化は盛んなように思いますが、どうもプロ野球では研究や言語化が弱いような気がするのです。

今回はプロ野球における世代ごとのカルチャー論を一つの仮説として言語化して「今の指導者世代に、どことなく現役選手世代や若者ファンがしらけているように感じる」理由を言語化してみようかなと思い今回の記事を書こうかなと思います。

戦争を知る世代の野球観 戦後の日本人が”生き残るために勝つ”野球 「X世代」 1960年〜1970年代の野球 川上哲治、野村克也

「Z世代」の語源は、アメリカで世代を「XYZ」の三世代に分ける文化から来ています。今の現役選手世代が「Z世代」ならV9巨人の時代は間違いなく「X世代」と言えるでしょう。

まず日本人に”バントを広めた人”といえば1965年~1973年にかけて9年連続日本一V9巨人の監督川上哲治でしょう。

また、この時代に現役選手を経験した選手でいうと名将「野村克也」がいます。川上哲治は1920年生まれ、野村克也は1935年生まれです。

彼らは「第二次世界大戦」(1939年〜1945年)までをもろに経験した世代です。この世代のメンタリティはまず、本当の残酷、そして、戦後の本当の貧困を知っているので、非常にシリアスで乾いていて、その中に、教えられたものじゃない、真の道徳や哲学というものを持っている人物が多い世代と言えるでしょう。川上哲治は徴兵された世代、野村克也は戦時中は幼少期です。

この世代でいうと、例えば1928年生まれに漫画家「手塚治虫」がいて、私もブラックジャックや火の鳥などを愛読しているのですが、彼の漫画は非常にドライな残酷があり、その中で本当の道徳とはなにかというものを問いかける、非常に大人でシリアスな漫画家といえます。

また、ジョン・レノンの結婚相手で知られるオノ・ヨーコ(1933年生まれ)もこの世代と言えるでしょう。オノ・ヨーコは反戦主義で知られ、ジョンレノンも名曲「イマジン」を制作するなど、強い影響を耐えています。オノ・ヨーコの代表作には「白いチェス」があります。

オノ・ヨーコ「Play it by Trust(信頼して駒を進めよ)」

これは「白のみのチェス」で「同じ人類で何を争うことがある?」という強い反戦メッセージを表しています。

川上氏の話に戻すと、川上哲治は日本に「ドジャース戦法」を用いたことで知られています。

就任直後、戦力に乏しいロサンゼルス・ドジャースが毎年優勝争いをしている点に注目し、ドジャースのコーチのアル・キャンパニスが著した『ドジャースの戦法』をその教科書として、春季キャンプからその実践に入った。コーチ兼任となった別所毅彦が鬼軍曹的な役割を担い、選手たちに猛練習を課した。また、コーチとして招聘した牧野茂が中心となってサインプレーや守備のカバーリング[注釈 8]などを日本のプロ野球界で初めて導入していった。また、選手のプレーひとつひとつに、そのプレーの状況別の意味合いなどを踏まえながら細かい点数を付けて、チームを運営していく独自の「管理野球」を構築した。

川上哲治 wikipediaより引用

川上がバントを始めたのは「伝統」や「昔からやっているから」といった、今の監督がやる”非常に浅い動機”ではなく、他の球団に差をつけ「勝ち残るため」の戦術でしかないわけです。

これに習い、野村克也も90年代〜00年代にかけて川上哲治を模したスモールボールを展開するわけですが、野村克也にも同じく貧困から脱し、金を稼ぐための「勝つ」を動機にした戦術なわけです。

つまり何が言いたいかというと、彼らは非常に「勝ち」「生存競争」に対して非常にシビアな世代であり、バントをする動機は「他よりも頭一つ抜けるため」だったわけです。彼らは二番に最強の打者を置けば勝てると聞けば、必ず”勝つための戦術”を取るので、絶対に二番に強打者を置く、そういうメンタリティの世代と言えるでしょう。

日本が豊かになった”Y世代” 平和になり”日本の伝統を守るために思考を放棄した” 1980〜2000年代川上・野村チルドレン野球

私は1980年〜00年代の野球は地続きで繋がっている「Y世代の野球」と言えると思います。

この時代の日本は非常に豊かになり、いわゆる「みんながバカになってた」世代といえます。

漫画でいえば、バブル世代時期に始まるドラゴンボールに始まり芸人でいうと「とんねるず」でしょうか。90〜00年代のワンピースブームやヘキサゴン等の”フジテレビノリ”に至るまで一環として「バカが一番最強である」という価値観の蔓延した世代であるといえます(これらの時代が一番楽しかったという人も多いしょう)

00年代末期の麻酔コンテンツ

これらは、バブル〜崩壊、日本の経済衰退に対しての「現実を見ない」ということに対してのアプローチ、一種の「麻酔」であるとカルチャー界では一般的に分析されています。「無知でバカであれば、現実を知らなくて済む」という「みんながハッピーになればいいじゃん」という幻想をもった、漫画「タコピーの原罪」におけるタコピーのような「ハッピー星人世代」であるともいえます、

野球界でいうと、これらの時代にいわゆる「高校野球〜プロ野球の世代」を過ごした世代が「指導者の大半を占める世代」となっています。

プロ野球の代表的な人物で言うと新庄剛志や矢野燿大、楽天の監督である今江敏晃もいわゆるこの「Y世代」「ハッピー星人世代」にギリギリ引っかかる世代と言えるでしょう。

彼らの現役時代の監督は野村克也らの、いわゆる「X世代、勝つために戦術をとっていた世代」なんですが、いわゆるこの「Y世代」は思考を放棄することをむしろ美徳としている傾向にある世代のせいなのか、「何も考えず、ただ上の言う事や、良いとされてきた伝統に従い」「素晴らしい日本という国の伝統である盗塁・バント」を続けている、バントを取ると決めた意思決定へのプロセスが「戦争で生き死にを経験した」川上・野村らの世代に比べると非常に浅いのでは?と分析しています。

これらの「なんとなくのバント」の根底には「プロ野球で負けたところで、日本という国で食うに困ることはない」「追い込まれてるかもしれないけど、どうせなんとかなる」といった「Y世代特有の、時代のメンタリティ」が起因しており、危機感を全く持っていない、勝つためへの思考を放棄している戦術なのでは?と考えずにはいられません。

みんなにハッピーを届ける旅をしている新庄監督

勝ちへの思考を放棄しない 震災やコロナを経験した「シリアスでドライ」な世代 Z世代 2010年〜現在

この「Y世代の持つハッピー星人メンタリティ」に一石を投じたのが、いわゆるゆとり世代を含んだ現役世代である「Z世代」であると私は考えます。

現役選手の世代である彼らの多くは「生まれた時から不景気」であり、大なり小なり「この国にした上の世代」に疑問を持っており、社会人なら自分の価値を上げるために転職を繰り返し「稼ぐということに対して非常にシリアス」な特徴を持っているといえます。

この世代も30代くらいだと幼少期は「麻酔」にかけられていましたが、当時のダルビッシュのツイートにも見て取れるように2011年の「東日本大震災」で完全に目が覚めたとも言えるでしょう。

この頃からの作品は、進撃の巨人やモブサイコなど、「危機感を持つ」と意思を持った「馬鹿になる」麻酔型コンテンツが完全に淘汰された時代ともいえます。

2011年といえば奇しくもダルビッシュが「肉体改造」によって覚醒した年であり、「上からの伝統を守っているだけでは、何も変わらない」という、Z世代の覚醒が始まった元年だと私は考えます。

2014年頃に始まったトラックマンの分析や、スマホ普及から始まったインターネットの情報共有により、ゆとり〜Z世代に千賀滉大や平良海馬など次々と、独自に情報を仕入れることによって、肉体改造や動作改善をして覚醒した「勝ち残るための意思決定力をもった選手」が次々排出されるようになります。

こうした「勝ち残るための執着」や「意志決定力の強さ」「シリアスさ」を持ったZ世代の現役選手に対して「ハッピー星人であるY世代の指導者」とは明確な溝があり、今の指導者が「全く話を聞いてもらえない」と嘆くのは、当然であると筆者は考えております。

なぜなら、Y世代の指導者に「勝ち残るために海外から情報を仕入れる」ような「X世代、Z世代は当然持ち合わせているメンタリティ」をもった人物は皆無だからです。

ダルビッシュは、野村克也氏に「追悼メッセージ」を残していますが、野村克也のような「勝ちのこるための戦術」の研究を徹底したX世代の野球人のメンタリティには共感できるからなのかもしれません。

まとめ

以上が、私の考える「野球人・XYZ世代論」になります。

野村克也が生前から言っていた「監督になれる人材の不足」はこうした「Y世代の日本人の人材難」が根底にあると筆者は考えています。

Z世代の代表格であるダルビッシュを始め、現役野球人には見どころの多い人物がたくさんいるので、10年後、彼らが指導者世代になればまた野球界にも「名将」が現れる日が来るかもしれません。

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