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私のための哲学記1 〜大人になるってどういうこと? ⑤気遣いの雲を払う〜

こんにちは、じんです。

「大人になるってどういうこと?」の5回目です。ようやく半分を超えた気がしています。引き続き今日も”大人”の本質について考えていきます。

前回の記事はこちら。

前回は”抽象の雲”の一つである、責任の雲をはらいました。今日は、気遣いの雲についてはらっていきます。

他人や周囲に気遣いができるとはどういうこと?

小さいころからよく言われますよね。でも、なぜ私たちは他人や周囲を気遣わなくてはいけないのでしょうか?

実はこの問いに対しては私は確信を持って即答できます。

なぜなら、人は1人では生きられないからです。

1人ではどうやっても生きられないから、誰かに助けてもらう。そして自分がしてもらったことの代わりに、自分も他人や周囲の人に何かしてあげようと思う。そして自分がしてあげたことのお返しはまた誰かがやってくれる。そう、「情けは人の為ならず」ってやつですね。

他人や周囲に気遣いができない人は、他人や周囲から気遣ってもらえなくなる、当たり前ですよね。そんな人は1人で生きていかざるを得なくなる。1人で生きられるなら別にいいんです、でもこの社会においてそんなことは不可能です。

食べ物、来ている服、水、電気…全部誰かがやってくれていることですよね。私たちはいつの間にか誰かがしてくれた”情け”に囲まれて生きているのだと思います。

小さい頃は他人や周囲に気遣いができなくても、子供というだけで世の中が気遣ってくれますからね。別に”情け”を意識しなくとも生きていけます。

でも世の中が自分の事を子供として見てくれなくなったとき、自分で意識して自分からこの”情け”の輪に入っていかないと、誰も助けてくれません。”情け”の輪へ参加するための第一歩として「他人や周囲を気遣う」があるのだと思います。

どうでしょうか、ここまで考えるとなんとなく大人になることの必要条件に近づいた気がしませんか?ちょっと条件文っぽく言い直すとこんな感じ。

「人と人との"情け"の輪に自らの意思で参加できること」

「”大人”ならば、人と人との"情け"の輪に自らの意思で参加できる」うんうん、いい感じに必要条件っぽい。

”抽象の雲”もだいぶ晴れてきましたね。残すところあと1つです。次回は自立の雲を払っていきたいと思います。引き続きお付き合いください。

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