私のための哲学記1 〜大人になるってどういうこと? ③常識と良識の雲を払う〜
こんにちは、じんです。
前回に引き続き「大人になるってどういうこと?」をテーマに、”大人”の本質について考えていきます。
前回の記事はこちらから。
前回までに4つの"大人"の必要条件に繋がる抽象の雲を見つけました。今回はこのうち、”常識・良識”の雲を払って”大人”の必要条件を明らかにしていきたいと思います。
雲を払うってちょっとカッコよく言いましたけど、作業は地味です。ひたすら、なぜ?どういうこと?の繰り返しでこの雲を具体化していき、必要条件と言えるまでに精製していく作業になります。
常識・良識があるとは?
そもそも常識・良識があることが、なぜ”大人”に繋がるのでしょうか?
例えば、歴史上の偉人たちは常識外れの人や良識がない人が多いと思います。駅の広告には「常識を疑え」と言うさもありなんなフレーズがあふれています。それを思うと、"大人"ならば必ずしも常識・良識があるわけではなさそうです。
逆に常識・良識がなければどういう人間になるのでしょうか?
ぱっと思いつくのは、迷惑な人・不快感を与える人ではないでしょうか。朝の通勤中たくさんの歩行者に混ざって歩きたばこしている人、迷惑ですよね。行列に横入りする人、不快ですよね。
なぜ私たちはこういう人たちを迷惑・不快に感じるのでしょうか?
一昔前の日本では、歩きたばこなんて当たり前だったし、行列は並ばないのが常識という国もあるらしいです。でも、日常生活の中でこういう人たちに出会ってしまったら、少なくとも私は迷惑・不快に感じます。これはどうしてでしょうか?
私の個人的な意見ですが、それは「自分は社会のマナーを守っているのに守らない人がいるのはズルいと思うから」なのかなと思います。マナーとは社会の”暗黙的なルール”であり(対して明示的なルールは法律ですかね)、ルールを守っていない人がいたら、そりゃ守っている側からしたら迷惑だし不快になると思います。
明示的なルールを守らない人はただの犯罪者なのでこの場では置いておくとして、暗黙的なルールを守らない人はなぜ守らないのでしょうか?
暗黙的なルールを守らない人には2種類いると考えています。1つはそのルールを知らないから守っていない人、もう1つはそのルールを知ったうえであえて守らない人です。
後者に関しては、ルールを守らないことに対して納得できる理由があるならば、ズルいと思うことはなくなりそうな気がします。むしろ、なるほどって関心してしまいそうじゃないですか。歴史上の偉人とかはきっと後者なんでしょうね、知らんけど。
そう考えると常識・良識があるということの本当の姿は、
「自分が生きる社会の暗黙的なルールを知っている」
ということができるのかと思います。
あくまで守る守らない以前に、知っていることに主眼をおいたところがポイントです。
暗黙的なルールって、誰かが教えてくれるものではなくて自分で経験するしかないですよね。子供ではわからないルールも、色々経験した大人だからこそ分かるのではないでしょうか。
「”大人”ならば、自分が生きる社会の暗黙的なルールを知っている。」
なんかいい感じに必要条件を具体化できた気がします。
”抽象の雲”が1つ晴れました。あと雲は3つ。次回は”責任”の雲に取り掛かりたいと思います。引き続きお付き合いください。
あ、歩きたばこNGは最近明示的なルールになりつつありますね。たばこは喫煙所で。気を付けましょう。