声劇台本「眠りについて」
【補足と注意事項】
以前台本サイトにあげたものを声劇用に修正致しました(ほぼ会話劇なんで少しの修正にはなりますが)。
この台本については、セリフの改変等なるべくご遠慮ください。
金銭の発生する媒体及び場所での上演一切をNGとさせて頂きます。
著作権は作者に帰属します。そのことをよく心に刻んだ上でご使用されるときは自制的な行動をお願い致します。
音響の有無についてはお任せ致します(音響がある芝居を前提に書いてはいますが)。
皆様が演じてくださるのを、心よりお待ちしております。
サトウジン
登場人物:
木原京子(30歳・女性)
赤江美弥子(63歳・女性)
他、アナウンサー役(兼役可)
以下、台本(読まない括弧書き、ト書きは太文字)
ラジオの速報ニュースが流れる。北陸の「海辺のニュータウン」、富浜町を地震と津波が襲った。富浜原発2号機、3号機のメルトダウン発生が緊迫感をもって伝えられる。
アナ「速報です。富浜原発2号機と3号機においてメルトダウンが発生いたしました。富浜町沿岸を震源とするマグニチュード8相当の地震、および津波による影響と思われます。原発から半径30km圏内にいる方は、速やかに圏外まで避難をお願いいたします。繰り返しお伝えいたします。富浜・・・3号機・・・メル・・・発生・・・」
ラジオの音声に徐々にノイズが入る。やがて大きな爆発音が立て続けに起こる。
…舞台は打って変わって東京の一角にあるとあるスナック「都」。スナックの店主である赤江が一人、グラスなどを片付け閉店の準備をしている。そこに、酔っぱらった木原が押し掛けるように来店。赤江は目を丸くするが、やがて厳しい顔つきに変わる。
木原「ちわーっす!!」
赤江「なんだいあんた、いきなり。」
木原「ねえ、酒ある?」
赤江「帰りな。」
木原「酒あるの、って聞いてんだけど?」
赤江「小娘にやる酒はないよ、帰りな。」
木原「ひっどーい、私こう見えて30歳だよー!人生の盛りだよ!」
赤江「ふん、そんなもん見れば分かるよ。」
木原「じゃあなんで小娘なのさ?」
赤江「閉店間際に酒出せって押しかけてくる常識のないやつを、小娘以外になんて呼べばいいんだい?」
木原「あら、閉店するとこだったの?」
赤江「看板にある営業時間、見てなかったんだね?」
木原「うん!」
赤江「そう元気に答えられてもねえ・・・。」
木原「じゃあ・・・おばさん、閉店前にパーってやろうよ!酒出して!」
赤江「だから、なんでそうなるんだい。」
木原「パーってやりたいからだよ!」
赤江「そんなのが理由になるかい。第一、もうしこたま飲んでんだろう?いい加減帰りな。」
木原「や、でもさ・・・もう~聞いてよ~!」
赤江「あーめんどくさい話だね。」
木原「まだ何も話してないのに~。」
赤江「そういう入り方をする話はだいたい面倒くさい。」
木原「告白したらフラれたの・・・。」
赤江「無視して話をするな。で、なんだい失恋かい?」
木原「そう、失恋なの。」
赤江「そんなもんねえ、あんた酒でごまかしたってだめだよ。それこそ家に帰って泣くだけ泣いて、ちゃんと踏ん切りつけないと・・・」
木原「えーーっ、踏ん切りつけろっての!?」
赤江「いや、そうしなきゃあんた、そのままストーカーになるというのかい?」
木原「うちのお客さんなんだけど?」
赤江「はい??」
木原「うちのキャバクラのお客さんなんだよ、その人!」
赤江「ばっ・・・あんた、客にそのまま真剣交際申し込んだっていうのかい!?」
木原「いやあ、アフターで焼酎とかバンバン勧められてさあ、もう勢いだったね!」
赤江「なんだ、じゃあ大丈夫だ。」
木原「ちょ、なんでさ!軽く流さないでよ!」
赤江「酔ったうえでの告白だろう?まともにとってやしないさ。」
木原「店で顔合わせてなんか気まずい感じとかになったらどーすんのさ?」
赤江「なんとかしな。」
木原「うわあー、最悪だね、人の話さらっと流して、塩対応ったらありゃしない。」
赤江「そうさ、最悪ってわかったんならもう帰りな。」
木原「腹立ってきた、もうこうなりゃやけだ、酒出せ!」
赤江「なんでだよ、やけ酒ならほかの店でやりな。うちじゃはっきり言って迷惑なんだよ。」
木原「話聞いてくれるまで居座ってやる、酒を飲ませろ。」
赤江「だからなんの話をするっていうんだい。こちとらあんたと話すことは何もないよ。」
木原「そりゃあもう、恋愛無双百戦錬磨の女、この木原京子の戦いの記録をだね・・・」
赤江「(被せて)百戦百敗の間違いなんじゃないのかい?」
木原「くぅ~~ん・・・。」
赤江「あんた・・・ろくな恋愛してこなかったんだね・・・?」
木原「・・・あ~~そうですよ!ろくな恋愛してこなかったんですよ!ろくな女じゃありませんよ!絶賛安売りバーゲンセール並みに安い女ですよ、悪いか!」
赤江「別にそこまで言ってないけど・・・。」
木原「だいたい、日本男児もまあ軟弱なんですよ!私のストレートな愛の告白を受け止められずに逃げ口上ばっか!乙女の勝負なんだからちょっとは、ちょっとはさあ、真剣に考えて答えを出してくれよ、と思いません!?」
赤江「急に毒づくな。というか勝負と思っているのはあんただけだよ。」
木原「もうさ、日本男児のこれからを思うと私はぁ、悲しくなるってもんですよ!」
赤江「何目線なんだい、あんた・・・。」
木原「さあ、こんなぼろ負けで涙も枯れ果ててぼろ雑巾並みに干上がった私にどうか恵みの酒を下さい!」
赤江「・・・仕方ないね・・・ちょっと待ってな。」
赤江がいったん裏に下がる。木原はそれを見て目を輝かせうきうきしている様子。しばらくして赤江、日本酒の瓶と酒(?)の入ったグラスをカウンターに持ってくる。
赤江「ほら、好きなだけ飲むんだね。」
木原「うわあー、ありがとう!なんだあ、なんだかんだ言って優しいじゃん、もう~いけずぅ。」
赤江「そりゃどうも。」
木原「(一気にグラスをに飲み干し)っはぁ~~生き返るぅ!これよ、これを待っていたのよ!効くわぁ・・・。」
赤江「お気に召したようで良かったよ。」
木原「いやあしかし、ホントこの日本酒飲みやすいね!」
赤江「まあ、そうだろうね。」
木原「なんていうか、水みたいに後味がすっきりしているというか、クセもないしさ!」
赤江「そりゃもちろん、水だからね。」
木原「ブッ!!・・・ゲホッゲホッ・・・今なんて?」
赤江「だから、水を出したんだよ。」
木原「・・・この瓶の中身も?」
赤江「そう、水さ。」
木原「何してくれてんの・・・おばさん?」
赤江「涙も枯れて干上がってるんだろ?酒じゃあ水分が逃げちまうよ。」
木原「私、酒が飲みたいって言ったよね?」
赤江「あんたが来てから今まで、酒を出します、なんて一言も言ってないがね?」
木原「え、なに、思わせぶり?」
赤江「酒が出されるなんて期待してたんなら、それは単なるあんたの思い込みだよ。」
木原「え~~なにそれひっどい!!」
赤江「美味しかったんだろ?なら良かったじゃないか。」
木原「ちっともよくない!」
赤江「そうかい。まあ、うちは残念ながらこういう店なんだ。帰りな。」
木原「嫌だ。」
赤江「ずいぶん頑固だね、あんた。」
木原「というか、いい加減『あんた』呼びやめてくれない?」
赤江「ふん、常識を知らない小娘に『あんた』以外の呼び方があるかい?」
木原「私これでもこの界隈では、『恋狂いの京子』で通ってんだよね。」
赤江「へえ。」
木原「・・・それであちこち噂されたり出禁になったりしてるんだけどね。」
赤江「ああ、だから私の店に転がり込んだ訳か。」
木原「ねえ、行く当てのない私を可哀想だと思って、一杯だけでいいからさ。」
赤江「・・・京子ちゃん。」
木原「はいっ!」
赤江「帰りな。」
木原「なんでえ!」
赤江「単純な話さ、京子ちゃんは客じゃないからね。」
木原「距離感縮まったと思ったのに・・・。」
赤江「そんな作戦には乗らないよ。」
木原「でさ、おばさん・・・の名前は『ミヤコ』って言うの?」
赤江「無視かい・・・まあ、店の名前と漢字は違うけど、そうだよ。」
木原「可愛いじゃん。」
赤江「よしてくれよ。」
木原「じゃあミヤコさんって呼ぶね!おばさんって、なんかよそよそしくってさ。」
赤江「もうすぐ帰らせるってのによそよそしいも何もあるかい。」
木原「お酒飲めるまで帰りませーーん。」
赤江「・・・もうあんたには構わないことにするよ。言っとくけど、何も出さないからね。」
木原「へえ~。じゃあこのカウンターのウイスキーを・・・」
赤江「(被せて)警察の世話になりたいかい?」
木原「ひぃん・・・。」
木原、手持ち無沙汰になり、店内をうろつき始める。赤江はそれに構わず、食器を拭くなどの閉店準備を進める。木原、 ふとカウンターの内側にある写真に目を留める。そこには、今より少し若い頃の赤江ともう一人、男が並んで写っている。
木原「・・・ねえ?」
赤江「・・・構わないっていったはずだよ。」
木原「この写真の、ミヤコさんの隣に写ってる人って、旦那さん?」
赤江「ほんと、人の話を聞かないねえ・・・そうだよ、主人さ。」
木原「ふーん、いい男捕まえたじゃん。」
赤江「京子ちゃんに何が分かるのさ?」
木原「いや、体格もいいし、顔も・・・私好みだなあって・・・。」
赤江「おいおい、人の男を狙うんじゃないよ。」
木原「そんな、滅相もない・・・今はどうしてるの?」
赤江「・・・もう星になったよ。」
木原「・・・そっか・・・悪いね、聞いちゃって。」
赤江「(包丁を拭きながら)お望みなら今すぐ会わせてあげてもいいけど?」
木原「ちょ、包丁!怖い怖い!それは物騒だよ!だから悪かったって!」
赤江「ハハハっ、冗談だよ。」
木原「もう~ほんとやめて、包丁仕舞ってよ・・・。」
赤江「(包丁を仕舞いながら)何言ってるんだい、この写真のいわくを聞いたらそんな程度じゃすまないよ。」
木原「え、まさか怖い話ってやつ・・・?」
赤江「そうだねえ・・・それはそれは身も凍るほどの、逃げ出したくなるほどの話さ。」
木原「そういう系絶対聞きたくないんだけど!もう、最悪!」
赤江「なら帰ればいいじゃないか。」
木原「やだ!!」
赤江「とことん頑固だね、京子ちゃんは。」
木原「・・・全部聞いたら、お酒タダにしてくれる?」
赤江「そこまで飲みたいのかい・・・まあ、別に好きに飲んでくれたらいい。」
木原「ようし、決まり!じゃあミヤコさん、ドントこい。」
赤江「全く・・・。じゃあ始めるよ・・・人間の、怖い話を。」
赤江の顔つきが真剣になる。赤江は、木原にゆっくりと、自らの生い立ち、来し方を語り始めた。
赤江「私のふるさとは・・・かつて北陸きっての『海辺のニュータウン』と称された富浜町だった。分かるかい?」
木原「うん。」
赤江「原発が海岸のあちこちで建設されてね、その交付金もあって宅地開発が急速に進んだ。原発を誘致した有力者や議員や、原発で働く人には、みんなとにかく頭が上がらなかったね。」
木原「・・・。」
赤江「・・・赤江達夫。・・・私の主人の名前だよ。(写真を手に取り)この人も、原発作業員の一人だった。と言っても高校まで同級生だったんだけどね。・・・私が東京の大学から戻ったその日の、地元のスナックでばったり再会して・・・カティサークをゆったり飲むこの人の、無邪気な物知り顔がもっと見たくなって、それが馴れ初めだった。」
木原「素敵ね。」
赤江「ギターの話、旅の話、バイクの話・・・この人はほんと、多才で遊び心豊かな人だった・・・。何度か酒を酌み交わすうちに、この人の見ている景色をもっと知りたくなって・・・私から結婚を申し込んだんだ。」
木原「ミヤコさん、攻めるタイプだったんだね。」
赤江「そりゃどうも・・・それからの結婚生活は・・・良くも悪くも、まあ刺激に満ち溢れていたね。なにせ主人は旅が好きだったから、日本中を、時には海外も、一緒に旅をしたもんだ。・・・準備は大変だわ、現地の祭りに飛び入り参加するわ、野宿をしたこともあったかねえ・・・ハプニングもいろいろあったけれど、やっぱり主人が見せてくれる景色が・・・この人と一緒に見る景色が、一番綺麗で、にぎやかで、忘れられなかったよ。」
木原「うん・・・。」
赤江「シンガポールの旅で、現地のパブでしこたま酒を飲んだときに、主人がふっと、言葉をこぼしたんだ。『スナックをやってみたい』、『人を楽しませて、俺も楽しんで、地上の楽園をつくりたい』。・・・原発での作業は緊張の連続だったんだろうね、顔の見えない仕事より、対話のある、人間的な仕事をずっと望んでいたんだ。」
木原「そうなんだ・・・。」
赤江「この写真はちょうどその時、現地の人に混ざって写ったものなんだ・。・・いい顔してるだろう?私は直感したんだ、この旅が終わったら、主人はきっと仕事に踏ん切りをつけて、新たな人生を始めるんじゃないかって。そして性懲りもなく私は、主人の気まぐれに付き合い続けるんだろうと、そんなことを考えて、夢見ていた。・・・そしてこれが夫婦生活最後の旅になった。」
木原「・・・何があったの?」
赤江「シンガポールから帰国した後、主人はいつになく張り切って仕事に出かけて行った。いってらっしゃいと声をかけた、背の高い後ろ姿・・・私が最後に見た主人だった。もっと顔を見てやればよかったね・・・というのは後からしか言えないことだ。まだ残暑の厳しかった、10年前の9月8日、午後1時13分。」
木原「富浜町沖地震・・・。」
赤江「そう、地震だ。そう思う間もなく、全身を持っていかれるような強い揺れがまず襲った。家具も食器も、家のすべてが音を立てて崩れ落ちた。一瞬・・・とは思えないほどの、あれは長い長い時間だった・・・呼吸できないくらいだったね・・・。」
木原「・・・。」
赤江「・・・揺れが収まった時がむしろ地獄だった。津波と原発の危機を私は真っ先に予感した。家と呼べなくなったぐちゃぐちゃの足場を、両手両足を死に物狂いで動かして、幸いにもつぶれてなかった車に飛び乗った。カーラジオが流した現実は残酷だった。海岸沿いへの津波の到達と、富浜原発の相次ぐメルトダウン・・・主人は一体どうなるのか・・・頭がぐわんぐわんとなるなか車を走らせた。・・・同じように町を出ようとする車もあって、幸い私は命あって町を出られたけれど、逃げ遅れた車が津波に流された知らせを後に避難所で聞いたとき、手の震えが止まらなかった。」
木原「・・・。」
赤江「一夜明けた私を待っていたのは、主人が原発事故により死んだという知らせと、二度と顔を見ることも叶わない主人との別れだった。・・・主人は最期まで死地で働いた。いってらっしゃいと、私が笑顔で主人を死地に送った。他人ばかりの避難所が、人生の第二の出発点になった。」
木原「・・・。」
赤江「避難所の人間は、みんな余裕がないか、そうでなければ疲れ切っているかのどちらかだった。私を含めてね。レトルトのカレーを、何かイライラした顔つきで食べている人、子どもが泣いているのを、泣きそうな顔で諫めている親御さん、顔が白く、どこか生気がない高齢者たち・・・。避難所の高齢者の一人に話を聞いたら、『ここは夜が一番怖いから、明るいうちに笑わなきゃ』と・・・その人は心臓が悪くなって、後に病院で亡くなったけれど。」
木原「・・・。」
赤江「5カ月間の避難所生活は長く感じたが、いろんな環境に身を置いていたからか、2カ月くらいの間はどうにか不調なく乗り切ることができた。ただ・・・避難者もボランティアに来ていた人も、どこか無理をしていたようだったね。『疲れないかい』って私が聞くと、『大丈夫です』と即座に答えたボランティアのお兄ちゃんもいた。無理をしなきゃやってられない状況なのは、身体がわかっていたんだろう。」
木原「そっか・・・。」
赤江「それだけ本能が勝る環境だった。けど、そればかりではみんな疲れてしまう。そういうときの身体は実にやわでね、私も、一時期急な高熱に侵された・・・とにかく立つこともままならなかった・・・。全身の重さにうなされる夜、私は主人の言葉を、夢を思い出した。・・・地上の楽園を見るまで、倒れてはなるまい。」
木原「・・・。」
赤江「・・・私は避難所を・・・ふるさとを出ることにした。住んでいた家も処分して、残された主人の財産も崩して、ようやく東京で、この小さなスナックを始めることができた。一等地、とまではいかないけど、まあまあの場所を確保して・・・キャバクラやホストクラブを回っては店を売り込む日々もあったね・・・。」
木原「苦労したんだ・・・。」
赤江「その甲斐もあって、お客さんはたくさん来てくれた。若くてブイブイ言わせたホストやキャバ嬢、仕事帰りの、ネクタイの緩んだサラリーマン、どこかの企業の社長さんもいたねえ・・・とにかくいろんな客が来て、バイトを雇わなきゃ回らないほどだったよ。いつしか常連さんもできて、『ここが楽しい』と贔屓にしてくれる客も当時は多かった。」
木原「そうなんだ。」
赤江「とにかく話を聞くのが楽しかった。東京の景気もまだそれほど上がってなかった頃だったけど、ここに来る人はなぜだかみんな、活気があったね。『起業してネット販売事業を展開する』とか、『昇進して後輩の面倒を見るのが楽しみ』とか、そういう話で盛り上がって、励まし合ったものさ。」
木原「へえ、楽しそう。」
赤江「明日を恐れることがなかった。お客さんもまた、そういう顔をしていた。笑顔あり、泣き顔あり、泣き顔には薬あり、そうやって天下を回さんとする人間が集い、会話の絶えないスナックが出来上がった。(写真に目をやり)夢を継いだ時から、この人の魂を背負う覚悟だった。・・・この人にここからの景色を見せるのも、悪くなかったね。」
木原「(やや長い間の後)・・・ねえ。」
赤江「・・・言ってごらん。」
木原「そのお客さんたちは・・・もう来ないの?」
赤江「・・・スナックをやっていた間、自分の出身のことや、夫の死の詳細、職業は秘密にしていた。話すよりも聞くことのほうが多かったから、うっかり漏らすようなことも、決してなかった。・・・語らなかったことが仇になったのか、それさえ今は分からないが・・・4年前のある日、いつも通り開店の準備に来ると、スナックに大量の落書きや貼り紙がされていた。『原発ババア』、『原発ムラに帰れ』、『放射能がうつる』・・・。」
木原「・・・!」
赤江「・・・思い切ったことをしてくれたもんだよ。警察に連絡して、貼り紙を剥がしたり落書きを消すのにもだいぶ費用が掛かったけど、どうにかこうにか後始末はできた。落書きと貼り紙の犯人は、うちの店に来ていた駆け出しホストの兄ちゃんたちだった。うちがまあまあ繁盛していたことへの妬ましさからだったそうだけど、情報をどこで聞いたかは最後まで明かさずじまいだった。」
木原「・・・。」
赤江「それからだったね。『もう来ない』やら『被曝者』やら、ひっきりなしに電話がかかってきて、空き缶やら瓶やらのゴミが店の窓から投げられ・・・当然バイトの子たちも次々とトンズラしていった。こんな状態で客が来るわけもなく、贔屓にしていた常連さんの客足も次第に途絶えていった。」
木原「ひどい・・・。」
赤江「ハハッ、何のことはないさ。私が甘かっただけのことだ。」
木原「でも・・・」
赤江「もうこれ以上聞きたくないなら話を終いにするが・・・。」
木原「・・・聞く。」
赤江「・・・いい覚悟だ、京子ちゃん。・・・さて、夢破れた人間の行先っていうのは大体決まっているもんだ。・・・除染も進んだ富浜町の一部地域は、3年前に立ち入り規制が解除されていた。私はスナックを一時休業して・・・あの死地に戻ることにした。ボランティアでね。丁寧に張り紙もして・・・今更隠す理由もないから。」
木原「・・・戻る必要もないのに・・・。」
赤江「フフッ、それは最もだ。誰も好んで住むような町じゃない。けど、だから戻った。」
木原「・・・。」
赤江「・・・富浜町には私の他にも、まばらに人が戻っていた。瓦礫や家財道具があちこちに散乱しているありさまだ。崩れた家を見て立ち尽くす人や、念仏を繰り返す人もいた。・・・復興の一環だということで、みんなでその片付けから取り掛かった。『もう一度住みたい』と、私と同じくらいの年の男が汗を流す。・・・私は・・・生まれた町をこの手で葬るだけで、十分だった。」
木原「・・・。」
赤江「『今更どの面下げて戻ってきたんだ』・・・なんて、石を投げられたこともあった。(髪をかきあげ)ほら、ここ・・・五針くらいは縫ったかね・・・。」
木原「・・・。(顔つきが曇る)」
赤江「ボランティアの差配にいまだに戸惑う役人もいれば、諦めたんだか半分やけだか分からないボランティアの若者、お客様が来たかのようにそのボランティアや役人におにぎりを振る舞う主婦たち、そこに怒号を飛ばす地元のおじさん連中もいた・・・みんな、私たち夫婦が見なければならなかった、人間たちだったのかもしれないね。」
木原「・・・。」
赤江「再びスナックに戻って、あとはもう、たまに来る客を相手にするくらいの毎日だった。客が入る見込みがないときは、ほかのバイトでつないでいた日もあったね・・・。」
木原「・・・。」
赤江「(写真に目をやり)この人には・・・ずいぶん長く、寂しい景色を見せてしまったね。」
木原「・・・。」
赤江「・・・こういう話を、時々来る客に話すと、大体は『可哀想ですね』と同情する。そういう客が再びこの店に来たためしはない。」
木原「・・・。」
赤江「『嘘をつくな』と言う客も中にはいたね。嘘で結構。そいつがくだを巻きながら何を言おうが、議論する気も起きなかったよ。」
木原「・・・。」
赤江「・・・ここ最近は、街を歩いていても人間が・・・人間の息遣いや心の動きが、見えなくなってきているんだよ。今も、ずっと黙って話を聞いてくれているけど・・・京子ちゃんが何を考えているか、いまいち分からなくてね。」
木原「・・・。」
赤江「まあ衰えたね。勘が鈍ったらこの商売はお終いだよ。分かるだろ?・・・だから、今日をもってこの店を辞めることにしたんだ。9月8日・・・この人の命日に。」
木原「・・・そう。」
赤江「ずいぶんおとなしくなったじゃないか。」
木原「・・・怖いね、本当。」
赤江「・・・そういう話だからね。」
木原「・・・あーあ、なんで寄りにもよって、こんな店に来ちゃったんだろ・・・。」
赤江「そう思うんだったらとっとと帰る・・・」
木原「(被せて)私もさ、富浜町の出身なんだ。」
赤江「・・・。」
木原「まあ・・・私はそのふるさとを捨てたんだけどね。」
赤江「・・・。」
木原「・・・少しでいいから、話、付き合ってよ。」
赤江「・・・好きにしな。」
木原「・・・生まれた時からあの町は、コンクリートの匂いしかしなかった。北陸のニュータウンって、聞こえはいいけど、結局みんなハコモノじゃん。建物の重さで、終いに町が沈むんじゃないか・・・って・・・もう沈んだも同然か。」
赤江「・・・。」
木原「そんな町を、私の父はつくった。原発推進派だったの。町議会議員だったけど、国の役人や国会議員にまで顔が利いて、『富浜のオヤジ』だなんて呼ばれてたわ。会う人会う人、みんな父には頭を下げて、父も頭を深く下げて、お互いが沈みそうなくらい頭を下げる・・・そんな芝居の好きな人たちがこぞって集まった。」
赤江「・・・。」
木原「母は、スーパーのパートで働く兼業主婦だった。父と結婚して以降職場で色々言われてたみたいだけど、愚痴も文句も一言もこぼさなかった。私にも、父にも。普段から余りものを言わない人だった。何より母は優しかった・・・いえ、優しすぎた。」
赤江「・・・」。
木原「父は外面こそ、社交的で情に厚い人として見られていて、議員仲間からの信頼も厚かった。けれど、家では母に何度も暴力をふるっていた。卵焼きの味がいつもと違う、カーテンに小さなシミがついている・・・そんな些細な理由で。それでも、母は何も言わなかった。ただひたすら、頭を下げていた。」
赤江「・・・。」
木原「私が5歳の頃に、家で幼稚園のお遊戯の歌を母に披露しようとした時があったの。・・・それを見ていた父から突然拳が飛んできた。母がすかさず私を庇い、強く抱きしめた。両腕が締め付けられるほど痛く、強く。小動物のような目をつぶって、母はじっと耐えていた。・・・何も言わずに。暴力が止むまで、母の無言の抱擁は続いた。目の前が暗くなって、母の全体重が、私を押しつぶすかのようだった。」
赤江「・・・。」
木原「私が殴られそうになるたび、母が庇う。母は何も言わずに父の暴力を耐える、その繰り返し。学校に通うようになっても、家に友達の一人も呼べなかった。学校から帰るたびに、父が母を足蹴にしていた光景が嫌でも目に入った。成績のことや何かの粗相で私が撲たれそうになると、また母の無言の抱擁が始まる・・・。」
赤江「・・・。」
木原「・・・たぶん、母は父に依存していたんだと思う。母の稼ぎが少ないのもそうなんだけど、父と離婚をすることで私にあらぬ中傷やいじめを受けて欲しくないから・・・だから父の暴力を耐え続けていた・・・って、今は納得するしかないんだけどね。・・・富浜町という小さな町で、母はずっと、父に頭を下げていた。これだけが事実。」
赤江「・・・。」
木原「父の暴力は高校まで続いた。母は変わらず何も言わなかった。・・・高校2年の春、私は退学届を出して、その足で東京行きのバスに飛び乗った。父からの電話がうるさくて、着信拒否した。なけなしの金での逃避行だったけど、もう戻るつもりはなかった。」
赤江「・・・つらいね。」
木原「・・・ううん、むしろ東京についてからが大変だったよ。なにせ職も何もないから、手当たり次第キャバクラを当たって、働かせてくれないか猛アタックしたんだから。我ながらおかしな人だったと思うよ。それで、ようやく見つけた働き口が、『華恋(かれん)』っていうキャバクラで、今もお世話になっているわ。」
赤江「・・・。」
木原「運がよかった、というべきかしら・・・まあ、若い時は稼ぎが少なかったから、ぎりぎり食いつないでいたって感覚だけど、その分シフトはぎゅうぎゅうに入れてもらったわ。色々しくじったこともあったけど、仮にも富浜の人間だし、頭を下げるのは慣れたものよ。」
赤江「・・・。」
木原「・・・20歳になって、富浜町の震災のことをニュースで知った。コンクリートだらけだったふるさとを打ちのめして、そのうえ原発まで壊しちゃった・・・。『復興に全力を尽くします』、こういう時に限って富浜を背負う人間は、誰一人頭を下げなかった。」
赤江「・・・。」
木原「そのあと、元いた高校の先生から手紙が届いた。私の両親が、家屋の下敷きになって亡くなったという知らせだった。隣町で葬式をするから出席してほしい、ってあったけど、私はそうしなかった。・・・ふるさとに戻るくらいなら、人でなしになる方がマシだった。」
赤江「・・・。」
木原「20歳を超えてからは仕事もだんだん景気づいてきて、ちょっとずつだけど、自分の将来も考えるようになった。そんな折に、一人のお客さんと出会ったの。・・・私が初めて、真剣に恋をした人。」
赤江「ほう・・・。」
木原「21歳のころだったかな。相手は8歳年上の、商社勤めだった。デートって言っては、日光東照宮や厳島神社、日本中のいろんなところに連れて行ってくれて・・・体力あふれる人だったし、私の無茶も大体は聞いてくれたわ。」
赤江「そう・・・。」
木原「付き合って1年経ったころには同棲も始めたの。レシピだとか料理本で、彼のために一生懸命料理を覚えた。今では鮭の西京焼きとかの料理ができるのも、まあ、彼のおかげかしらね。彼もまた、洗濯や食器洗いの家事を協力してくれたり、お互いの仕事のスケジュール管理までしてた。二人で子どもが欲しいって話もして、私にとって・・・彼なしの将来はあり得なかった。」
赤江「・・・。」
木原「彼との結婚を考えた。だからある時、私は自分の出身や過去を、正直に打ち明けることにしたの。富浜町の生まれであること、高校を中退した経緯、両親の死のこと・・・彼は、ただ黙って聞いていた。」
赤江「・・・。」
木原「・・・翌朝に彼の姿はなかった。彼の衣服や持ち物は手つかずのまま。ただ、置き手紙が一枚。『ごめん、付き合えない。』・・・お腹には子どもが宿っていた。」
赤江「・・・その子どもは、どうしたんだい。」
木原「・・・産むことにしたわ。元々子どもは欲しかったし、いなかったら・・・結局私、独りでしょ。」
赤江「・・・。」
木原「・・・子どもを産むまでは仕事をセーブしなきゃだし、苦労はしたけれど、いざ出産って時になると、私には長いようで、意外と呆気なかった。・・・目の前にいる赤ちゃんの裸が、とっても眩しかったのを覚えてる。」
赤江「・・・。」
木原「出産から落ち着いた後に、赤ちゃんを抱かせてもらうことになった。・・・でも、抱けなかった。」
赤江「・・・?」
木原「抱きあげようとしたときに、全身が強張った。肩に痛みも走った。産婦人科の先生にそのことを伝えたら、『抱くことにまだ慣れないということもあるでしょうから』って、私を責めることはなかった。」
赤江「・・・。」
木原「・・・息子はすくすくと育っていった。仕事をしながらの育児は体力を使ったけど、料理を喜んで食べてくれる息子の姿を見ると、疲れも吹き飛んだ。こういう時に、習った料理が役に立つのね。人の親になって、人並みの幸せが手に入った・・・そう思ってた。」
赤江「・・・。」
木原「・・・息子からは、たびたび抱っこをせがまれた。目一杯、抱きしめてあげようとすると・・・身体が動かない。縛られたように、強張る。結局、その場では息子を撫でることしかできない・・・。」
赤江「・・・。」
木原「『どうして』という眼をして、息子がこちらを見つめてくる。息子は何も言わないし、私も・・・何も言えない。そんな無言の時間を、幾度となくつくってしまう。」
赤江「・・・。」
木原「頭の中で色んな事を考えた。けど思い浮かぶ全てが安っぽい言い訳だった。母親として未熟だから、仕事で疲れているから、父親の暴力がそうさせたから・・・そんな御託はどうでもよかった。」
赤江「・・・。」
木原「・・・抱きしめられるのが怖かったから、抱きしめるのが怖かった。」
赤江「・・・。」
木原「今、息子は6歳になる。」
赤江「・・・。」
木原「・・・ミヤコさん?」
赤江「・・・怖いね、本当。」
木原「ミヤコさんには負けるけどね。」
赤江「何を言うんだい。」
木原「・・・ふふ。」
赤江「・・・それで、いま子どもはどうしてるんだい?」
木原「家でぐっすり寝ているわ。寝かしつけたら、素直に眠ってくれる。・・・本当、良い子なのよ。」
赤江「・・・寂しそうだね。」
木原「仕方ないよ・・・働きに出なきゃ養えないから。」
赤江「そうじゃなくて、」
木原「ん?」
赤江「京子ちゃんのことさ。」
木原「ああ・・・私は別に・・・こうして働きに出て、ミヤコさんやいろんな人とお話しできるからさ・・・。」
赤江「・・・酒、出すかい?」
木原「小娘にやる酒はないんじゃなかった?」
赤江「そうだったね。」
木原「それに、今出されてももう飲まないよ。」
赤江「ほう、言うねえ。」
木原「ミヤコさんだって、一滴も飲んでないじゃん。」
赤江「はは、すっかり忘れてたよ。」
木原「ごめんね、ケチなお客さんで。」
赤江「構わないよ。京子ちゃんは客じゃないからね。」
木原「もう、ミヤコさんったら。」
二人、クスクスと笑いあう。
木原「・・・ここ、静かね。」
赤江「そりゃ、もうめったに客も来ないからね。」
木原「いえ、こういう静かな場所も、悪くないってこと。」
赤江「・・・そうかい。」
木原「今の私たちにはお似合いよ。・・・邪魔、されたくないでしょ?」
赤江「・・・。」
木原「・・・ねえ。」
赤江「何だい?」
木原「これから、どうするの。」
赤江「これから?」
木原「このお店、閉めちゃうんでしょ?」
赤江「・・・ふるさとに戻るよ。」
木原「えっ・・・。」
赤江「富浜町に戻って・・・趣味と奉仕活動に興じる老人の仲間入り、ってところさ。」
木原「・・・。」
赤江「東京って街も、まあまあ楽しかったよ。色々な経験ができたし、京子ちゃんとも会えた。それでも・・・戻らなきゃ。・・・この人の眠る場所へ。」
木原「・・・。」
赤江「・・・いつか、人の心が本当に見えなくなったとき、何も呪わずにこの人と、汚い土の中で眠れる気がするんだ。」
木原「そっか・・・。」
赤江「全く、誰に似たんだろうね、このわがままは・・・。」
木原「・・・あーあ!」
赤江「・・・?」
木原「ここが死に場所なら良かったのに・・・。」
赤江「おやおや。」
木原「ここに転がって、酒でもいっぱい飲んで、ぐっすり・・・死ねたらさあ・・・。」
赤江「・・・。」
木原「静かに・・・死ねたらさあ・・・。」
赤江「そう。・・・でもね京子ちゃん。」
木原「・・・?」
赤江「子どもはあんたのもとを、離れちゃくれないよ。」
木原「(やや長い間の後、息をつき)・・・そうだね。」
赤江「・・・。」
木原「・・・怖いね、本当。」
赤江「お互い様だよ。」
木原「・・・さ、帰ろっかな。・・・ミヤコさんありがとう、ごちそうさま。」
赤江「いやいや・・・ありがとうね。」
木原「本当・・・ありがとう。」
赤江「・・・。」
木原「じゃあ、そこら辺のタクシーをつかまえて・・・」
赤江「(被せて)送るよ。家まで。」
木原「え、でも・・・」
赤江「いいから。」
木原「・・・。」
赤江「・・・送るよ。」
木原、静かに泣き始める。赤江がそばに寄ると、木原はその場で崩れ落ちる。赤江はそれを受け止める。木原は赤江の服にしがみつき、声を殺して泣き続ける。赤江は泣き続ける木原を、そっと抱き寄せる。
終
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