2022/3/5 たつるつりーとの対話

1.わたしが事前にまとめた下書き

たつる氏の上記ツイートに関連して私が考えることがあり、発端の氏に共有して話を聞いたら面白いかなと思ったので、する。

私が上記ツイートから連想したことは、
①待つ場所
②通り過ぎる場所
③リミナルスペース
だ。
順に述べる。

①待つ場所

駅のホームで電車を待つこと、
エレベーターを待つこと、
空港のロビーで搭乗時間を待つこと。

たつる氏で電車と言えば「電車、~」のルーチン、

また、架空カンパニーあしもとの写真作品「recollection」から駅のホームの一枚。

私は自論(未公開)の方で「待つということ」について書いているので、
そこから以下、引用する。

待つ、ということ

生活の時間の様々な瞬間に、待ち時間は存在する。
電車を駅のホームで待つとき、
赤信号で止まるとき、
コンビニやスーパーのレジに並ぶとき、
キッチンでお湯が沸くのを待つとき、
電話をかけて相手が出るまでコール音を聞いている間も、
コピー機で書類が印刷されるまでの数秒も。

『わたしたちは急いでいる。わたしたちは速度を求めている。もっと速く、もっともっと速く、より多く、より豊かに、より意義深く。より豊穣な実りを。より膨大な成果を。だが哲学対話は「急ぐな」と言う。「立ち止まれ」とささやき「問い直せ」と命じる。
そして、哲学対話は「待て」とも言う。』p103 永井玲衣「水中の哲学者たち」(2021)

おそらく、ほとんど全ての人は待ち時間というものを嫌うだろう。
社会の流れは、「もっと速く」を求めている。
待ち時間が生じないように効率よく計画を立て、あるいは待ち時間を生産的に、結構、結構。

『灰色の紳士はにこりともせずに、ぞっとするほど抑揚のない、いうなれば灰色の声で言いました。「わたくしは時間貯蓄銀行から来ました。ナンバーXYQ/384/bという者です。あなたは、わたくしどもの銀行に口座を開きたいとお考えですね?」』p78  ミヒャエル・エンデ「モモ」(1976)

賃労働者にとって時間はお金にそのまま換算できるが、どんなにお金があっても時間そのものを生み出すことは出来ない。「時間資源」はお金と違って貯蔵も交換もできない。
このことから、むしろ「スローに」生きることが(金銭的に豊かな者にとって)良い趣味となっている風潮もある。
しかし、「世界をきちんとあじわうための本」が述べるように、『世界をきちんとあじわうこととは、自然を大切にしてスローに生きたり、知る人ぞ知る逸品にこだわるような洗練された生活を送ることとは違』うのである。

『「時間はある――それはいずれにしろたしかだわ。」と彼女は考えにしずんで、つぶやきました。「でも、さわることはできない。つかまえられもしない。においみたいなものかな? でも時間て、ちっともとまってないで、動いていくものだわ。そうすると、どこからかやってくるにちがいない。風みたいなものかしら? いや、ちがう! そうだ、わかったわ! 一種の音楽なのよ――いつでもひびいているから人間がとりたてて聞きもしない音楽なのよ。でもあたしは、しょっちゅう聞いていたような気がするわ、とってもしずかな音楽よ。」』p210 ミヒャエル・エンデ「モモ」(1976)

待ち時間は、世界に気づくタイミングなのだ。
待つとき、その時間の間は、私は世界をあじわっている。私は(私の生活圏内に限っても)世界を支配することはできない。世界は私に他者の顔をみせてくれる。
私の所有するモノが、機能を果たしていないときでもそこに存在していることを思い出してほしい。私は「意味ではないもの」に触れる。

以上、自論から引用。

『待つとき、その人は他者の時間を生きている』

『雨の降る(または、雨やみ)を待つとき、その人は自然の時間を生きている』

・新海誠「言の葉の庭」より「Rain」

・透明人間との会話
以前、たつる氏の作品批評で述べている


②通り過ぎる場所

たつる氏のツイートでは、『電車やエレベーターは世界と世界を繋いでいる』とのことだった。
私が重要だと考える点は、それらのもの/場所は、世界と世界を繋ぐ、その途中の場所だということだ。
駅のホームや、エレベーターの中、空港のロビーにずっと居続ける人はいない。何かを待つ彼らにとって、そこは通り過ぎる場所だ。

・途中の場所、何かのあいだ
映画「マトリックス」シリーズに駅のホームのシーンが出てくる。
https://www.youtube.com/watch?v=QGbrsj_odwU
https://www.youtube.com/watch?v=k9nX6tTjIhY
ハリーポッターシリーズにも。
(最後、駅のホームのような白い世界で、ハリーとダンブルドアが話すシーンがある。)
現実とマトリックスとの間、生と死の間、どちらも、世界と世界を繋ぐ、その間の場所だ、ということを暗喩している。

目的地だけが重要なのであれば、その途中の場所は必要ない。
どこでもドアのように、直接世界と世界を繋げてしまえばよい。(※「扉」も重要なモチーフ)
しかし、そうではない、ということが重要だ。

「道」・「路上」というのも、重要な通り過ぎる場所の一つである。
(私は目的地に着くことの他にも、道を歩いていく途中にも、意義があると考えている。cf.みちくさ、迷子、)

・「The world is yours.」
私は、直接世界を思いのままに変えてしまえるような、そういう意味で世界を手にしているのではない。
もっとも、私にとって世界は所与のものとしてただ与えられるものでなく、私は世界を創り-変えられるという点は重要。
(cf. THA BLUE HERB「未来は俺等の手の中」)

私が思いのままに支配できる世界であれば、そこには他者は現れず、私しかいない。
私が思うままに支配できない世界であるからこそ、私は待つ必要があり、途中の場所で、同じく途中にいる他者と出会う。(道行きの途中で乗り合わせること)

私の世界と、他者であるあなたの世界との間でしか、私とあなたは出会えない。(私の世界の中に取り込まれてしまえば、あなたはあなたではなくなってしまうし、逆も然り。他者と出会うためには、私とあなたは同一であってはいけない。)
そして、「私の世界と、他者であるあなたの世界との間」というのは、公共空間のような空間的な場所でさえない場合をも考えられる。地図が重なりあい、しかしお互いの認識が重なりあわない場所。身体が重なりあい、しかし触れられないバーチャルのアバター。

私が、私でなくなる途中、あなたが、あなたでなくなる途中で、私たちは出会う。それはどこ?

③リミナル・スペース

『リミナル(Liminal)、すなわち、境界、限界。建築タームとしてのリミナル・スペースは、人間をある場所から別の場所へ運ぶために設けられた人工的建造物を意味する。たとえばそれは、廊下、階段、道路、待合室、駐車場、空港ロビーといった、輸送や交通に関わるターミナル空間であり、通常、人はそこを通過もしくは一時的に滞在するためにその空間と関わり合う。二つの異なる場所を結びつける中間地帯(No man's land)としてのリミナル・スペース。』
「美学」としてのリミナル・スペースには、たとえば以下のようなものが見られる。真夜中のホテルの廊下や放課後の学校の廊下、真夜中の公園、閉店後の消灯されたフードコート、駅の地下通路、濃霧に包まれた道路、無人の室内プール、無人のコインランドリー、等々……。それらは大抵、閉店後の商業空間であったり、昼間とは別の顔を見せる真夜中の公共空間であったり、匿名の亡霊たちが取り憑いた親密(プライベート)な空間であったり、あるいは単に打ち捨てられた空間であったりする。』

マルク・オジェ『非‐場所―スーパーモダニティの人類学に向けて』
「非―場所」(Non-lieux)

『場所とは、アイデンティティを構築し、関係を結び、歴史をそなえるものであると定義できるならば、アイデンティティを構築するとも、関係を結ぶとも、歴史をそなえるとも定義することのできない空間が、非―場所ということになるだろう。ここで主張する仮説は、スーパーモダニティが数々の非―場所をうむということだ。[中略]贅沢な、あるいは非人間的な環境の中継地点や一時的な居住場所(ホテルチェーンと不法占拠された建物、リゾートクラブ、難民キャンプ、あるいはいまにも壊れそうで、朽ちながらも永続する運命にあるスラム街)が増える世界。居住スペースでもある交通手段の密なネットワークが発達する世界。大型スーパー、自動販売機、クレジットカードの常連が、無言の身振り手振りの商行為と通じ合う世界。こうした孤独な個人主義や、通りすがりの一時的なもの、はかないものを約束された世界は、他の学問と同様に、人類学にも新しい対象を提供する。』
 マルク・オジェ『非‐場所―スーパーモダニティの人類学に向けて (叢書人類学の転回)』中川真知子訳、水声社、2017、104~105頁

レベッカ・ソルニット『迷うことについて』
廃墟

『廃墟とはつまるところ何なのだろう。都市にある廃墟、すなわち自然に委ねられた人間の構築物は荒野(ウィルダネス)の誘惑を孕んでいる。それは未知の予感に満ちた場所、良いことも悪いことも何が起こるかわからない場所の魅惑だ。』
 レベッカ・ソルニット『迷うことについて』東辻賢治郎訳、左右社(2019)p98


めも
・空間論・地理思想、都市景観学
http://blog.livedoor.jp/naga_taro/archives/1077674469.html

・ブックオフ(チェーン店)を異化する


他人と出会える場所で一人でいること、
可能性に開かれたままで孤独でいること、が重要なのか?


あと考えたこと、思いついたこと

結局、それらはなんだか重要な場所っぽい(それは景観が、とかの他に、思想上も)ということですが、
なんか考えたこととか、思いついたことあります?

無ければ、あしもとの活動の話とか、最近の思想とか。



以上が私が事前にまとめていた下書きである。

2.「そちらの声が聞こえませんが ファム・ファタルを求めてる」

実際の対話のアーカイブが以下のツイキャスURLリンク。本編は15分頃~。
(最初私の音声が乗らずに手間取らせて申し訳ない。)

以下、重要な部分を書き出す。
じ)はじんの発話。た)はたつる氏の発話。

・じ)「電車とか、エレベーターとかっていいよね」とたつるつりーが思っているということが私にとっておもろい(批評しがいがある)。

・た)電車ってモチーフをたつる氏が良いなと思っている理由
 ・物語性にあこがれがある
 ・電車とかエレベーターって、物語にとって重要な場所
 ・移動って、物語じゃないですか。
  移動って必ず時間経過が伴う事象だから、物語的
 ・世界と世界(場所と場所)を繋ぐ

・じ)下書き②通り過ぎる場所 から
 ・単に世界を繋ぐだけでなく、途中ということが重要
 ・「扉」「道」も重要なモチーフだが
 ・なぜ途中ということが重要かと言うと、そこには他者が表れるから。

・た)物語の一番のインパクトって最初の出会い
・インパクトを得るためには、その前の時間が必要
 ・テレビ番組の例:街ロケのお店の前までの歩き時間
・これから世界がひらくためのワクワク感

・じ)旅行の話
 ・インスタグラムやVRじゃなく、実際に旅行に行く意味 という話?
 ・得るものにはコストを払わないといけない という話?

・た)世界がひらく瞬間ってめちゃくちゃいいよね
・世界がひらく瞬間
 ・虐げられた人の世界は暗いが、「ヒーロー」が登場することによって閉塞感が解放されて世界が明るくなる瞬間(これは因果が逆で、世界をひらく存在が「ヒーロー」と呼ばれる)
 ・旅も、目的地に着いたやったーという感動
・上記の瞬間の対比としての閉塞感のある現在の演出

・じ)人が「変わる」ってどういうことですか
・コストの話はちょっと違ったな
●世界がひらくということは、じんにとっては人が「変わる」ということ
・世界がひらく瞬間、その人はどう変わったの?
・ヒーローの登場はそんなに重要ではないっぽいが、世界がひらく瞬間の前の私と、後の私とは何が変わったのだろうか?

・た)偏見?というか、凝り固まった思考が壊れることでひらく世界、
世界は何も変わっていないけど、世界認識が変わる瞬間ってあるじゃないですか。
・じ)天才、その通りです。
・た)丹哲郎のツイート(以下参照)。これを見たい。

『「でも、ある種の感動って、なにか啓示のように感じることがあって、その先に広がる何かがあるのではないか、って思うことがあるんだけど、」
「希望に満ちて朝起きるみたいな、なんかそういう、今日から僕は幸せに生きるんだ、みたいなそういう気持ちにだけなって、結局現実は変わらない、みたいな」』

・た)移動の話に戻る(映画的、演出的な話にはなるが)
・世界がひらくためには、その前段が必要(前段があるからこそ、世界がひらく瞬間が輝く)
・世界がこの後にひらくって分かっている段階の移動って尊い
 ・ヒーローつながりで、「ヒロアカ」(『僕のヒーローアカデミア』
 ・最初、主人公は落ちこぼれだけど、でもこれからヒーローになるという目で見ると、ある種のワクワク

・た)CwC『ミス・ユー・オール』の衝撃
 ・たつる氏が見たのは2015年のもの。

 ・以下は、再演の動画(全編)。

 ・え、なにこれ、という戸惑いと、ジャグリングってそんなことしていいんだ、という世界認識の変化の瞬間の実体験
・それに近いと感じるのが、「ヒーロー」の例えと、目的地に着く前の移動の時間
・移動って物語だよなあ。

・じ)

・電車の話は、その世界(私の世界認識)が変わってしまう瞬間よりも前の段階の話だよね?
・た)そう。
・(一度経験した以上、)その瞬間が、もしかしたらこの移動の先に発生するのではないか、という予感、期待
・移動は上記の予感、期待を孕んでいる

・じ)そのような実体験の瞬間は、私はあんま思い出せない
・自分が変わったな、って明確に思える出来事はあって、多分考え方が変わったんだな、と思う。
・でも、その明確な瞬間は思い出せない、か、明確な瞬間としてはない?
・(red氏のコメントの一部「後からじわじわ来ました」を受けて、)
パフォーマンスを見ている瞬間に変わるというより、その後、自分が変わるのにその見ている時間は必要だった、というようなのがじんの実感。

・た)個人的には、舞台を見て認識が変わる瞬間はリアルタイムな感覚だった
・じ)「変わる」ということについて、①思想が変わることと②行動が変わることは違う
・「眼がひらく」ことと「違う振る舞いをするようになる」こととは時間的にも違うだろう。

・じ)下書き①待つ場所 から
・たつる氏は作品内に、待つ時間(透明人間の声を聞く時間)を入れている

・何かを待てない人は、私の世界しかない人。自分の世界に、他者をおく時間とか場所がない。
・逆に、待つ人は、自分の世界に自分がコントロールできないものの存在をおいている。

・た)最近の思想の話
・人間が複数人いるときに生まれる営みの話
・人の営みって尊い
・営みを表現するには、複数人必要
・自分と、他者(この他者を透明人間、物に変えている

・じ)人の営み肯定派ってことか。(●下記のツイートのこともあり、意外に思っている)

・た)人の営み肯定派だけど、人自体はあんまり要らないなと思っている。
・じ)そこが肝だよね。(●たつる氏の作家性の肝。特異な思想。)
・た)営みだけを抽出したい、純粋な営みを見せたい
・じ)どういうこと?

・た)その実践の例として、動画作品『6歳、僕たちは、』の前半部分。

・た)この動画が自分の中では究極
・人の営みって人がいなくてもできるんだよね。
・じ)おもろいことを考えてますね。

・た)最近、本の読み方のパフォーマンスをやってる
人が本を読む姿って美しいけど、それに人は要らない(「読む姿」だけを見てほしい)
・じ)人が要らないってのがどういう意味で言ってるのか
 ・誰か特定人じゃないってことなら、匿名性ということで透明人間を使っているのは分かる
 ・あるいは、人じゃなくて、人に操られる物の動きだけでいい(勝手にページが捲られればいいけど、技術的・現実的な制限がある)ってこと?
・た)後者が本音だけど、前者でもいいかな。
・一番嫌いなのが、特定人のキャラクターが出てるもの
 ・写真の例:顔がいい被写体の力であって、写真の力じゃない
 ・じ)それは(その写真家が)二流だから。

・た)劇団なかゆびの「から」という演劇作品がよかった
・じ)じんの批評:https://note.com/jin00_seiron/n/n7c7af93e40b3
 ●上記の批評でも述べているが、わたしからするとラストシーンが問題だった。不遜を承知で言えば、ラストシーンの運動は偽物だったと私は考える。

・じ)下書き③リミナルスペース から
・リミナルスペースっていうのが作品ジャンル(美的ジャンル)としてある。
・空間論とか地理学、都市論とかからも、この特殊な「場所」を考えることはできて、「なぜ人はそれを美しい(美的)と考えるの?」という問い
・リミナルスペースの良さ(誰かいるはずの場所に誰もいない、またはそこにいる全員が匿名の人間(都市における人の匿名性の話はあるある))が、たつる氏の言う「人の営みから人を排除する」話とつながる?つながらない?

・た)意外にリミナルスペースはピンとこない
 ・理由:時間経過が欲しい(物語性を欲していて物語には時間経過が必要)
 ・理由:そこに営みの実感が伴わない、(リミナルスペースの写真とかを見ても)自分と地続きの物語をあんまり見れない
・自分としては、駅とかエレベーターは自分事としてその空間を見れる
・じ)それは実体験として何かエピソードがあるから?
・た)具体的な実体験はないけど、自分のやっている営みはある(生活圏内だから)
・逆に、知らない街とかは好きだから、このピンとこなさにどこに境目があるのかは分からない

・た)エレベーターはどうすか
・じ)電車については、わかる
 ・電車内の実体験から cf.銀河鉄道の夜
・た)電車の移動時間自体でなく、その前の時間
・賛美しているのは、扉が開く瞬間、扉が開いて新しい世界に出会う瞬間
・じ)なんで違う世界だってことがわかるんですかね、いつもと変わらない車内ではなく、新しい世界だという予感は何によって?
・た)予感はしていない、変わったらいいなという期待、
・この扉がひらいたら変わるんだという、意思、かもしれないけど
・きっかけとして扉がひらくって分かりやすい

・じ)それ一人なんすか?
・(じんは、私の世界が変わるのは他者に起因すると考えているから、)それは誰が現れるっていうことではなく、?
・普通、人は(扉がひらくとき常に)「これから変わるかも」と思って生きているわけではないから、(他者が現れる前触れもなく)一人で、何が原因でそんな心持ちが可能になっているの?
・た)今への退屈感じゃないすか、(心持ちが)出来てると言うより、変わってほしいよねっていう希望
・じ)思ったより後ろ向きな答えだったな。

・た)エレベーター自体はしょうもない空間かもしれないけど、扉がひらいた瞬間の期待がある
 ・ディズニーの「ホーンテッドマンション」
・じ)他にある?日常的な扉だったら何でもよいのか?
・た)車の扉とか、廊下の扉とかは、移動が自分の意志だから、グッと来ない
・電車とかエレベーターは、乗っちゃえばあとは自動的に次のところに行く
自分の意志の介在しない何かしらがあって、そこに突然自分が放り込まれることで物語は始まる
・電車とかエレベーターはその放り込まれるシステム
現状への退屈感とかもあって、物語を欲している
物語に放り込んでくれる、かつ、移動(時間経過)を伴うものとして、電車やエレベーター
・じ)腑に落ちました。
・た)扉ってあくまで分かりやすいモチーフであって、扉は無くてもいい
・横断歩道もいい。渡らされているというか、システムとして成り立っている
・じ)?
・た)青になったら、そこを歩かなくては行けないという
・じ)やはり待ち時間というか、どこか人なのか物なのかにコントロールされる、他者含め世界に自分がどこかコントロールされるというのを、運命と紐づけて、ということなのかな。

・た)「ファム・ファタル」を求めてる
・School Food Punishment『RPG』の歌詞
https://www.uta-net.com/song/112694/
※たつる氏から訂正があり、『Y/N』のことを言いたかったとのこと。
https://www.uta-net.com/song/116027/

・今に退屈していて、誰かが新しい世界に引き連れていってくれないか
・「ファム・ファタル」

・じ)たつる評
たつる氏の思想を簡単にまとめちゃうと、ああそれね、となるが、それが作品化・具体化されると、そんな風になる!?という面白さがある。
ちゃんと考えていて、それと(直接)接続はしないものの作品も面白い。
・た)あしもとのABOUTより「物語はあしもとから始まる」
・じ)じんによる、あしもと評
https://note.com/jin00_seiron/n/n189ff14700e5

・じ)思想とブレてる、思想がない作品つくってるやつはだめだな(、という私の批評における偏り)
・作品と生き方が地続きであるHIPHOPな奴らと同じく、口から出す言葉は本物じゃなきゃいけない
・た)各位には、好きなものをやっていってほしい
・じ)その人が好きな場所、重要だと考える場所を聞いていくって面白いと思う
・た)場所に限らない →世界認識の方法は人それぞれだから
・何が好きかを語ってもらって、そのうえでその人の作品を見ると、どんな変換式してるかが分かっていいよね。
・じ)好きなものを語るということは私も重要視してる
・それは「ほんとのことば」であることが多いから
・その人のかたち(かたちというか、世界認識のうちのなにがしか)は、まさに何が好きかということでつくられている。(私が好きな何かではなく、何かが好きな私。)
・各位はやっていってほしい

3.あと語り

たつる氏、お付き合いありがとうございました。楽しかった。
(氏とは同期というのはあるが、数年?ぶりに普通に話した。普通に楽しかったな。)
対話の途中でも言っているが、当初私が予想していたのとは違う思想で、たつる氏は電車やエレベーターといったモチーフを考えているみたいだった。
私とたつる氏の着眼点・考え方の違いがみえる対話でもあったのではないか。

最後らへんに話した、作家・アーティストが思想(好きなもの)を語る話は、私の活動の一つとも関連していて、私が批評をやる理由の一つは、作家がやらないからだ。
(これは作家がただ悪いわけではなく、一つには、芸術家は言葉では表せないものを作品で表す人間だという理由がある。もう一つは、本当にその作家自身が言葉を持たないという理由。)
『ピンクの猫』のステートメントも参照。

今回のように、私は批評によって(他の鑑賞者だけでなく)作家自身にも言葉を持ち帰ってほしいと思っている。
フラトレスや、あしもとの批評を書いているのは、私がファンだから(良い作品には良い言葉が付けられるべき)ということもあるが、作家が批評を踏まえてより良い思想的基盤に立ち、より良い作品を作るというサイクルを狙ってのことでもある。そういう意味で、批評家は世界を創り-変える。

久々にちゃんと人と対話するジャグリング対談をやったが、定期的にやるといいと思った。
でも、オンラインで媒体を何にするかは問題だな。


以上、じんでした。
最近全然表に出ていないけど、書き続けているぞ。チェックしときな。

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