[ジャグリング全国懇談会]についてのメモ書き

2020/03/XX
Slackにどのくらいの長文打っていいものなのかわからなかったのでここに書く。
[ジャグリング全国懇談会]について。
※[全国ジャグリング懇談会]と名称がどっちかわからん。Slackのワークスペースは[全国ジャグリング懇談会]だからどこかのnoteにそう書いた気がするぞ。

ジャグリング全国懇談会

https://twitter.com/jin00_Seiron/status/1158538615254683648

ジャグリング全国懇談会」は、日本ジャグリング協会の取り組みの一つとして、2019年8月から発足した会で、『ジャグリング文化の発展のため、全国でのジャグリング活動について、情報交換を目的とする』(※会員規則より引用)集まりである。

僕が当初から注目していた理由は、僕の構想する「ジャグリングの情報拠点プロジェクト」とやるべき領域が被っている、ということもあるのだが、それは後で述べるとして、色々考えるところもあったので、ここにメモ書きする。
一つには、活動の記述、
二つには、活動を通しての取り組み方の気づき、
三つには、なぜこの活動が重要なのか、(「ジャグリングの情報拠点プロジェクト」との関連)
について書く。

1.活動の記述

入会手続き
会員応募フォームに必要事項(メールアドレス、氏名、公開用ニックネーム、住所、)を入力

会員の入会について協会理事会で承認後、メールでslackへの招待リンクをもらう

参加

活動実態
2019/8月 発足(協会理事の、にしのさんの声かけ)
(2019/08/13 じんがSlackチームに参加)
2019/09/28 19:00-,20:00- 第1回 Zoom(ズーム)にて
2019/10/13 16:30- 第2回 JJF2019@東京会場にて
2019/11/30 19:00- 第3回 Zoomにて
2020/01/25 20:00-,20:40- 第4回 Zoomにて

このように、一月に一度、あるいは隔月に一度くらいの頻度で会が開かれる。
基本的にはSlackチームにメンバーが入っていて、(メンバー人数はこの3月時点で16人だか18人だか。)日程調整等がなされる。
オンライン(音声通話)ではZoomというソフトを利用する(スマホでも利用可)。
オフライン(対面)での会はJJFのタイミングに一度だけ行われた。
懇談の参加者は毎度少し変わりながらも数人とか。

活動内容
「ジャグリング活動についての情報交換」という漠とした目的は置かれてはいるが、会の内容は、集まって、話す。というシンプルなものだ。


※ちょっと今手元にノートがないのと、どれだけ詳しく書いていいのか分からないので詳細内容は省く。

2.活動を通しての気づき

人の集まり度合い(団体について)

発足人であるにしの氏曰く、『全国各地方、団体、などからのべ100名程度で集まる会を目指します。』とのこと。
各都道府県から2人ずつでも94人だし、大学のジャグリングサークルだけでも120以上あるので(私調べ)、様々なバックグラウンドを持つ団体所属の、あるいは無所属の個人を集めるのに100人では足りないと思うが、最初は小さく始めるのが良いし、数が重要な取り組みではない(※後述)ので特に気にしていない。
現在の人数が18?人なのも気にしていない。そのうち大きくなるだろう。
ただ、この会の取り組みが重要なものだということを会に入っていない人にも発信すべきとも思うので今これを書いている。

人数の少なさよりも、それぞれのバックグラウンドや活動領域に偏りがある団体になってしまうことの方を僕は恐れる。

人の集まり度合い(懇談において)

人が集まらないと語りが始まらないので、「懇談に人が集まる」ということは必須である。なので、様々なバックグラウンドを持つ人たちがいつ・どこで集まるかというのは重要な問題だ。日程・時間帯・場所(ツール)をメンバーで調整して決めるのが妥当な線だと思うが、日程調整について思ったこと。
 当然ながらそれぞれの都合は合わないと理解しておくこと。また、開催日程をずらしていくのが良いかも。
 多様な人たちの語りが集まるから有意義なのであって、例えば土日が休みの会社勤めジャグラーの集まりやすい場設定であったら、土日が休みの会社勤めジャグラーの語りしか集まらず、土日が休みの会社勤めジャグラーが触れている情報しか集まらないことになる。
 現在は(僕が個人的に)試験的に隔月の最終週の土曜の夜に固定してやってみているが、おそらくこれは良くなくて、日程を少しずつずらしていくか、20人くらいなら、年間の中で各メンバー一人一人に参加できる日程を指定してもらって決めてもいいのかもしれない。年20回は多いか?
個人的には、隔月一回が参加する側としてはちょうどいいと思うが、100人でしゃべるわけにもいかないので、団体としては定期的頻度で開いていて、会は5~10人で行い、参加したりしなかったりというのが会員も普通のスタンスとなるのが良いかと思う。100人が一堂に会するのはそれこそJJFとかだけでいいのでは。

あるいは、日程調整の問題に関して、オンライン音声通話をやめて、テキストチャットの形式を取り入れると、時間帯のズレが問題なくなるが、全く違った取り組みになるだろう。(話しと書きの言葉の違い。また、誰もいないかもしれない聴衆に向けて語られる、そこでの語りがどうなるか?)

記録をどう残すか、公開するか

Zoomでは、音声通話ログが自動的に残る設定にできて、あえて文字化するのでなければ、ログを残すのは楽ではある。
記録を残すのは、その会に参加できなかったメンバーが後からアクセスできるように、という理由と、その記録(の集積)が後々(5年後とか)に有用なデータになるかもしれないという理由がある。
ただ、記録が残る、公表されるということになると、話すハードルが非常に高くなる(プライベートに踏み込んだ話ができなくなる)ので、会の前提として方針を共有しておくこと。ちなみに、会員規則では内容の公開がありうること、守秘義務は発生しないことが定められてはいる。

記録を残すかどうかは、どのような語りを集めたいのかという会全体の意義にも関わってくる。
先ほどの、オンライン通話方式とテキストチャット方式とで取り組み方が違ったものになる(そこでの語りのあり方は異なる)という話にも通じるが、
書き言葉(文字言語)による語りは固定性・永続性という性質を持つゆえにそこでの語りは反復して参照される可能性があり、それゆえに出力(確定)までに時間がかかり(言葉を選び、書いては消してを繰り返す)、負担が大きい。語り終わってからも(記録・)検索・参照によって長い間影響を及ぼす。
話し言葉(音声言語)による語りは一回性、主体性(身体性)という性質を持つ語りである。そこにおいては、話し手の思いつくままの直接的な出力がある程度できるという面はあるが、無言の時間やフィラー(「あのー/ええと」等の発話の間に挟まれる言葉)などの情報内容整理においては切り捨てられるべき部分を含むという面もある。
例えば公開を前提とする書き言葉の語りを集めるのであれば、それは新聞記事特集のような、形が整えられた有用な情報topicsの集まりのような会になるだろうし、
非公開を前提とする話し言葉の語りを集めるのであれば、それは日常生活でのおしゃべりのような、気軽だが終われば忘れ去られ思い出すことのできないような交歓の会になるだろう。

様々なハードルの高さ、特に多人数オンライン会話

現在、懇談に参加するには団体に入会しないといけないようになっていて(だよね?)、入会のハードル(氏名・住所の入力。ただ登録時以外はニックネームで参加できる)と、あとはツールの不慣れさ、普段使いしなさ(slack普段開かないとか)、オンラインでの多人数会話への不慣れさ(聞き専での参加もありではある)、(スマホを持ってないとかのハード面は一旦置いておく)、などが考えられて、特にオンラインでの多人数会話の問題をここでは取りあげる。

オンラインでの多人数間での音声通話、やったことある人はいますか?
僕はこの会で初めてやったんですけど、難しいですね。
一つには、オンラインだから身体がない(見えない)ことの問題があって、もう一つは多人数会話の問題があり、それらが混ざってると思う。
例えば、今喋ってる人が誰か分からない、誰に向けた発言か分からない(顔の向きがないためだが、これは名前を呼べばいい)、誰が話したそうなのか分からない(誰が次に喋るべき人なのかが分からない)、クロストークができない、といったことが挙げられる。
僕がうまく回せないだけ、という司会進行の問題(適任者がいるかどうか)は一つあるとは思うのだが、これはテーマが定まっている会議ではなく、進行の段取りの枠組みがない。
僕が前書いたnoteで言えば、 (A)一つのテーマにのって話をdriveさせる形のコミュニケーションではなく、(B)それぞれの個々の語りを集積する形のコミュニケーションなのである。そこにおいて、コミュニケーションのルールのようなものが全くないと、(少なくとも僕は)困る。5人ならまだ“空気”で何とかなるとしても、10人以上は無理だろう。

ここで特に、誰が次に喋るかという発言者の手番に関連して紹介しておきたいものに、「言いっぱなし聞きっぱなし」の手法(※)がある。
 ※参考文献
 浦野 茂「当事者研究の社会的秩序について」(2016)
 https://doi.org/10.18918/jshms.27.1_18
 浦野 茂「言いっぱなし聞きっぱなしのエスノメソドロジー」,熊谷 晋一郎編『みんなの当事者研究』(2017)p197-199
 市川 嘉裕, 田中 文英「言いっぱなし聞きっぱなしエージェントによる安定した語りの場の構築」(2016)
 https://doi.org/10.11517/pjsai.JSAI2016.0_2C31

この手法は、司会が語り手を順番に指定し、語り手は自分の話したいように語り(パスもできる)、その間、聞き手は意見や批判、質問などを含め口を挟むことなく聞き、語りが終われば次の順番の語り手に移る、というものである。
「言いっぱなし聞きっぱなし」の手法によって、発言者の手番については、通常の日常生活で行われている「順番の自己選択」(次に話す順番を取ることを望む者が、適切な状況において自ら話し始めることで順番への権利を得る方法)や、「順番の他者選択」(現在の話し手が質問や呼びかけといった行為を特定の者に行うことによって、後続する行為(応答)をすべき者を決定するという、次の順番を割り当てる方法)は行われないことになる。
誰もが平等に正当な語り手となる機会・時間が保障される手法であり、また語り手は反応を求めて語るのではなく、語ったことを否定される恐れもなく、自分の語ることに集中できる。
聞き手の反応に依存した、つまり聞き手との関係におけるポジショントークではなく、自分に焦点をおいた、自身に誠実な語りとなる。
この「語るためだけに語る、聞くためだけに聞く」ということが重要である。

何を喋ればいいんですか

次に誰が喋るか、に続いて問題なのが、何を喋るか、である。
明確なテーマが定められているわけではないため、語り手は自分の語りたいことを話せば良い。もっとも、団体の目的からすれば、自らの行っているジャグリング活動について話すのが良いと思われる。

〈話すテーマ例〉
・自己紹介
・会に入った経緯・理由
・自分が行っているジャグリング活動の内容(概要)
・最近の近況
 ・自分の興味関心が向いていること、
 ・ジャグリング界の(それ以外でも良い)気になるnews,topics、
 ・抱えている問題や苦労、
 ・自分の活動の成果や良かったこと、


団体の活動も発足時から模索中である現状、今はテーマ出しの段階であると思っている。というか、ジャグリング全国懇談会は、テーマ出しだけのための会といってもいいだろう。協同して何かの目的を持ってひとつのテーマを研究したり議論して成果を出すことを目指す団体ではない。
各々が立ち寄って、色んな人の見ているもの、考えていることを聞いて、テーマを新しく持ち帰ったり自分のテーマを再確認したりするための団体なのだ。
もちろん、語られたことについて詳しく聞く質問を投げかけたり、自分の理解が正しいか確認したりといったことが行われても良い。
また、単に人脈を広げたり、問題意識を同じくする者同士で新しくプロジェクトを立てることがこの会に付随する利益として考えられないではないし、してはいけないことでもない。

3.なぜこの活動が重要なのか

僕にとって、なぜジャグリング全国懇談会の活動が重要なのかということを書いておきたい。

自由研究
僕は、ジャグリングに関する活動をしている人たちの多くは、「ジャグリング」という"運動そのもの"以外に、「自由研究」をしているのだと思っている。

「自由研究」、小中学校の夏休みなどに課されるあの例のヤツ。テーマは自由、方法も自由。
みなさん何をしましたか?覚えてますか?
自分の興味関心のある分野から、あるいは身近にある物から、やるテーマを自分で決めて、探求する。調査や実験による研究だけでなく、工作・創作でもいい。
 参考:https://kids.gakken.co.jp/jiyuu/howto/theme/

ジャグリング活動をしている人達は、活動の指針を自分で決めて(あるいは部活やサークルの方針に従って、かもしれないが)、ジャグリングの「研究」を自分の身体を用いて行っている。
研究テーマは例えば、「どうすれば5ボールカスケードが投げられるようになるか」「出来るだけ多くの数のボールを投げるには」だったり、「多くの種類の道具での技の習得」だったり、「ポイで技を新しく開発する」だったり、「良いルーチンの創作」だったり、「効率的に痩せる」だったり、「格好いい写真・映像を撮る(その被写体になる)」だったりする。
例えばジャグリングの道具として何を選ぶか、ということも「あなたがどのようなジャグリング活動をするか」というテーマ選択の一環と考えられる。
そしてそのテーマに沿って、活動が行われる。
その活動の中身は、多くはジャグリング運動になるだろう。
だから、ジャグリング活動家は「ジャグラー」と自ら名乗り、「ジャグリング活動」と「ジャグリング運動」は混同されがちである。

しかし、ジャグリング活動の中身はジャグリング運動だけではない。
「どうすれば5ボールカスケードが投げられるようになるか」というテーマでジャグリング活動をしている者は、単に5ボールカスケードを投げ続けているだけではない。
先駆者が行っている方法、または適切であるとして広く知られている練習法(「先行研究」)を調べたり、自分で試行錯誤してみて方法を実践で試し(「実験」)、そのフィードバックから細かな部分のコツを見つけ、より良い習得方法を導き出したり(「検証・修正」)、それらを書き残すなどしてまとめたり(「記録・公表」)。この一連の流れの中で、ジャグリング運動を行っているのは「実験」の部分だけであるが、調べたり、仮説や問題点を頭の中で考え、思索したり、記録し、成果を公表したりといった時間も、ジャグリング活動をしている時間なのだ。

そのような、ジャグリング運動に限らない「ジャグリング活動」の過程の中で、言葉が重要になるタイミングがいくつもある。

なぜ「言葉」なのか
ジャグリング活動に関連して言葉が重要になる分かりやすい場面は、活動の発表(研究成果の公表)だ。「自由研究」も、夏休みが終わって学校が始まれば、先生やクラスのみんなに何らかの形で成果を見せる必要がある。
この発表によって、個人的な研究・学びは皆に共有され、皆の学びになる。
皆から研究についての反応(レスポンス)をもらい、さらに研究を進めることにも役立つかもしれない。

しかし、言葉が重要な理由は、「他者に伝達して反応をもらうため」「個々人の自由研究の成果が有用な情報として価値があり、共有することで他者にも役立つから」ということだけではない。
(有用な)情報を他者に伝達することに言葉の価値があるというのは、言葉の一つの側面である。
もう一つの側面について、いま私は話したい。そのもう一つの側面とは、言葉の生成自体に意義がある、という考え方だ。
クローズドな場でも一人ででもいいから、語りの情報価値を一切問わず、言葉を生み出す。そこでは、研究成果を形を整えて論として発表するようなものではなく、生成と発表が同時に行われるような「パフォーマンス」的な語りを想定している。語るという「パフォーマンス」、つまり、〈私〉が私であって私でないような場(※)で、言葉をかたちにする、というまさにそのときが、その時出てくる言葉が重要なのである。
 ※ここ参考文献とか挙げたい。パフォーマンスは、〈私〉が私でありながら(同一性を維持したまま)私でない何かになることのできる場である。(オン/オフといった言葉や、「演じる」ことと関連して。演劇のように何か役をやるのでなくても、私のままで場に上がるとしても。)
 したがって、そこでは〈私〉がゆらぎ、変化の可能性を生む。変化して違うものになっていくのも(別様がありうるという意味で)「豊かさ」と関係する。増える(ことで多様化)だけが「豊か」なのではない。

ジャグリング全国懇談会は、有用な情報交換の場になるという側面だけでなく、(むしろそれよりも)言葉の生成の場になるという側面を重視している。(と僕は勝手に思っている。)

ジャグリング全国懇談会では、〈私〉と関連した語り(自分のこと、自分の行っているジャグリング活動のこと、自分の問題意識や興味関心の向いていること、について)を行うことになる。
すると、そこでの語りは、自己を外部に出力した、外在化した自己記述となり、「自分」というものについて一定の離れた距離から捉えることが可能になる。
そこでの言葉の生み出しは、自分がこんなことを考えていたのかという気づきを与えるものとして自己の変革に役立つかもしれないし、自分が従来から考えていたことの確認として自己の塗り固めに役に立つかもしれない。いずれにせよ、また新しく自分が更新される(自己を変えるか自己の現状のあり方を再強化するかはさておき)ことに役に立つ。

整理すると、ジャグリング全国懇談会に参加する意義は二つある。
一つは、他者がどのようなジャグリング活動(自由研究)をやっているか、といった情報など、他者から有用な情報が入ってくるかもしれない、ということ。
もう一つは、普段はあまり行わないであろう自分についての語りをやることで、自己記述資源を得ることができる、ということ。

他者についての言葉と自己についての言葉(両者は表裏一体である。)が集まることで、参加者が〈私〉と〈あなた〉の違いを分かり合い、その上で、様々な点で違う部分を持つ私たちがそれでも同じくする部分はどこなのか、私たちは何を同じくする者同士なのか?を知るのに役立つ。


さて、これらジャグリング全国懇談会の活動の意義を踏まえたうえで、これが私の「ジャグリングの情報拠点プロジェクト」とどう位置づけられるのか、という個人的な話になるが、
私が行っている自由研究の一つに、『ピンクの猫』という名前のプロジェクトがある。
『ピンクの猫』は、最近は分析美学とかを下敷きにしようとしたりしているが、ジャグリング作品やジャグリング運動の価値を研究するのがそのテーマである。
ところで、活動者(アーティスト)がいてこそ、ジャグリング作品やジャグリング運動は生み出され、その後に学者(批評家)が続くことができる。『ピンクの猫』は本来的に活動者に追随するやり方でしか活動できない(cf.関連note)。活動家・アーティストの活動結果(創作品や言葉)を踏まえて、ジャグリングについて突き詰め、切り分け、何かを発見するような言葉たちを、議論によって探っていくことを行っている。
したがって、『ピンクの猫』が活動者の動向情報をキャッチアップするために、「ジャグリングの情報拠点」たるものが必要になる。
しかし現在、効率的に、広範囲のジャグリング活動の情報を得る方法は乏しい。(Twitterとか、人脈が広い組織に属するとかしかなく、それでは不十分のようだ。)

「ジャグリングの情報拠点」プロジェクトは、ジャグリングの情報拠点を作ることを目標にしている。
その情報拠点のあり方としてどのようなあり方があるかを模索中だが、
各情報が“一覧”できるようにカテゴリ・レイヤー分けしながらもマッピングしたいよね、という思いから、
活動者の情報を整理・編纂された形でまとめる(歴史記述とかよりも、時と共に編纂されていく方法(現在の活動の流れの積み重ねから体系づいていくのを記録する?)?)という『jagglin'mappin'(ジャグリングマッピング)』という名前の下位プロジェクト
と並行して、
『語り集積場』という名前のプロジェクトとして、ジャグリング全国懇談会のような活動を考えている。

『語り集積場』
そこでの語りの価値を一切問わず、語りをやりとりする。言葉を拾い集めるということだけを目的とする。
それが「役に立つ」(後に成果として発表できるような何かになる)かは置いといて、そのときその場があるということが、そこにいる人達(活動者)自身に返ってくるような意味のあることを存在意義とする。つまり、私がまた違った私になるとか、活動者がまた違った活動に生かしたり、自分の活動をバックアップし自己のあり方を塗り固めるような自身のための言葉を得る、という場になる、といいのか?

活動家・アーティストのそれぞれの生(なま)の語りを集積させる、言葉を拾い集める、そのためのネットワークを作る(「語り集積場」の設定)ことが、僕の構想するジャグリングの情報拠点プロジェクトの一つの柱になる、かもしれない。
それは遠回りだとしても、最終的には『ピンクの猫』の活動にもつながってくるはずなんだ。


ひとまずは、ここら辺で。
今年中に自身の声明をまとめた「声明;ステートメント2020」のnoteを書き上げたいが...。


メモ


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