立ち位置のはなし
世界はどこまでつながっているのか?
若いころは、普遍の絶対があると根拠もなく思っていた。
根拠もなく、というとやや語弊がある。
6歳からの学校教育では、普遍の絶対を根拠にした日々を過ごした。
これは誰でもそう。
道徳教育は別として、「これが正しい」という前提で日々学ぶ。
成績の良しあしに関係なく、理解できるできないに関わらず「普遍の絶対」というものがまずあって、それを少しずつかけらから身に着けていくことが学習だというスタンスを、こどもが疑うことはない。
というわけで、この世には普遍の絶対が存在し、学習や経験を積むことによって、いつか私は普遍の絶対を知るのだろう、と、そんな大仰な言葉で認識したわけではないが漠然とそのような印象をもっていた。
普遍、なのだから、この世界のどこでも、そしていつでも。
絶対、なのだから、一切妥協のない真理。
大学2回生だか3回生だか(お察しの通り関西人です)の頃、なんちゃってホームステイに行った。
長期休暇を利用した、サークル経由キリスト教団体主催のプログラム。
他大学の学生たちも一緒に、「日曜は教会に行く」ことだけ条件とした格安のもので、半分旅行・半分ホームステイの、まぁ有り体な海外体験。
当然主催者側はキリスト教信者で(多分プロテスタント)、参加者と同じような学生の子たちとおしゃべりなんかしながら過ごす。
そもそも私はキリスト教が嫌いだった。
苦手じゃなくて嫌い、「いけ好かない」というのが一番正確。
今でも八百万の神々が一番「しっくり来る」日本人ではあるけれども、このプログラムで少しだけ、「いけ好かない」原因に気づいた。そしてそこを端緒として現在、その「いけ好かなさ」はやや緩和している。
ある夜、学生の夜といえばどうでもいいことを熱弁するというあるあるに乗じ、私は主催者側の女の子とやりあった。
理想と現実が乖離している実態や、風土に合わないところにも押し掛ける強引さ(このへんは中学教科書かなんかに乗ってた和辻哲郎の文章の影響を多大に受けている)、キレイぶって澄ましたように見えるところ(下々のシステムや現実を知ろうとしない上流階級層に溢れるほどの嫌悪感を持っていた)、気に食わない点は山ほどあるけど、一番イヤだったのは
「全てを赦せというTHE GODは、
自分に反逆した天使を悪魔と称し地獄の主とした。
悪魔を赦す気はないのか」
という疑問に対する答えが見えなかったところ。
教義の根っこ、かつ一番わかりやすい矛盾。
このへんいまだによく知らないところなんで、よき解釈があれば知りたいんだけど、なんせ当時は解釈の余地なく理解不可能なことがたまらなくイヤだった。
で、彼女にここをぶつけたんだな。
彼女は答えられなかった。
ほらぁぁぁ信者すらうまく説明できない矛盾を孕んでるくせによくおススメなんぞできるよな!と、その慈善団体のおかげで海外体験できてる掌の上のサルのくせに当時の私は憤っていた。
で、だ。
1日か2日経過して、きっかけは忘れたけど、たぶんどっかのガス漏れ事故かなんかのニュースだったんだとおもう。
世界のどっかで、重油だかガスだかが大量に流出して大変だとか。
はて。
大変だな、と思うけども、今ここの私のいちにちには全く関わらない。
で、その日、思ったことをメモにしたため、同行していた日本人参加者に見てもらったわけです。メモ魔なもので。
「…こんなこと考えてんのかー」みたいな反応に終わったけど、
「それは違うで」的なものではなかったので、まぁ一解釈としてはアリだったのかもしれない。
曰く、
自分の住んでいる、自分が触れる、見える世界においてが安定ならば、その外部がどうなっていようが「どうでもいい」。
嫌いだから、無関心だから、じゃなくて、「わからないから」。
今ここにいる自分の周囲が安定するためのルールがとても役に立つのならば、ひとまずはそれでいいのだ。
ルールの成り立ちみたいなことなんて、知らなくても大丈夫なのだ。
そしてそのルールは役に立つので、できるだけ他者にも知ってほしいのだ。
自分のいる世界では役に立つはずだから。自分のいる世界が世界だから、
と。
…人間が、人間のちからだけで、地に足をつけて生活する世界ならそれでよかった。
世界は「私」に密着していたからだ。
私の立ち位置から世界を見る。
住んでいるまち、隣近所、同世代、興味の対象、所属する組織のメンバー。
本来はそれが私の「世界」。
知識を得ると「世界」は広がる。本、新聞、ネット、メディアに掲載されている様々なひとものばしょ。
ただそれは、今の私がこのからだで関わる世界じゃない。
今の私はこれまでの知識や経験で出来上がっている。知らないものは知らないし、それ以上のことは何をしても予測でしかない。思い込みでしかない。
ところ変わればひと変わる。郷に入れば郷に従え。
時間だって伸び縮みする。科学が立ち入れない領域だってある。
普遍などない。
絶対など存在しない。
私は私の立ち位置を理解して、それ以上のことに対しては謙虚でなければいけない。