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地元エナジー物語8 「アイツ」の俺

 俺とハルキは、生まれた瞬間から一緒だった。もちろん「アイツ」も。まあ当たり前なんだけどな。

 俺たちは最初、赤ん坊の「アイツ」にただブラブラと揺さぶられては、時々お互いにじゃれ合っているだけだった。退屈で死ぬかと思ったけど、半年もすると俺とハルキは「アイツ」を必死で支えたり運んだりすることになった。俺もハルキも、体が床にこすれて最初はつらかったけど、だんだんコツを掴んでいった。「アイツ」が大きくなるにつれて、色んな場所に移動していろんな景色を見れるようになって、気分がよかったな。

 でもまあ、「アイツ」がサッカーを始めてからは、マジで大変だった。「アイツ」は喜んで毎日のように俺達のことを痛めつけた。俺達をこき使って、泥だらけにするんだ。知らないやつとぶつかることだって日常茶飯事。「アイツ」は生き生きした顔をしやがって、たまったもんじゃないぜ。俺もハルキも毎日夜になるのが待ち遠しかった。アイツが風呂に入って横になってくれる時間が、俺達は一番ほっとするんだ。夜になると毎晩、俺とハルキはくだらない話をした。お前のほうがきっと長生きするとか、俺のほうが筋肉が立派だとか、電車でかわいい子と隣同士だったとか、そんな話だ。実際「アイツ」は右利きで、俺ばかり使ってボールを蹴っていたから、俺の方がハルキよりちょっとだけ筋肉が大きかった。ハルキは全然認めなかったけどな。

 「アイツ」は毎日朝早くから俺達を引っ張ったり曲げたりして、サッカーに駆り出した。でもな。本当言うと、俺とハルキはいつも一緒だったから、そんなこと苦じゃなかったし、むしろなんていうか、充実してたんだ。ここだけの話だけどな。まあ、足としては当たり前というか、足のプライドというか。そういうことだ。

 俺が本当につらかったのは、「アイツ」がサッカーをしなくなってからだ。「アイツ」はスマホでぼーっと何かを眺めたり、1日中ベッドから俺達を連れ出すことなくポテチばっかり食ってたり。俺は外に出たかったし前みたいに泥だらけになってハルキと遊びたかったけど、ハルキはなんだか思い詰めてるみたいだった。

 ハルキが反応しなくなったのは、それからしばらくしてからだ。前日まで、確かに俺達は話をしてたんだ。「おいシモン、お前なんか太ったな」ってハルキが久しぶりに軽口をたたいたから、俺も「なんだよハルキ、お前だって同じだろ」って返した。それで、俺達は力なく笑った。俺もハルキも待ってたんだ。「アイツ」が前みたいに外に出て俺達のことドロドロにすんのをさ。
 翌朝起きてハルキに声をかけたら、ハルキはうんともすんとも言わないんだ。ただ、苦しそうにぐったりしているみたいだった。ふと見ると、「アイツ」の額に汗が光っていた。

 病院で「アイツ」は、白衣を着た医者に「骨肉腫です」と言われていた。最初、なんのことかわかっていなかった「アイツ」も、「左足を切断する必要があります」と言われてからは、引きつった顔をしていた。「アイツ」も俺達も、18歳になっていた。

 しばらくして、俺と「アイツ」とハルキは、手術室に入った。麻酔をかけられて、俺はすぐに気を失った。ハルキもたぶん同じだと思う。次に気がついたときにはもう、ハルキはいなかった。

 窓の外には、雪が舞っていた。アイツは病院のベッドの上で、ほうけたように窓の外を眺めていた。俺はそれから、長い事じっと黙っていた。生まれたときから一緒だったハルキがもう、隣にいない。俺の中の骨の芯が、ジンジンと反応した。

 「アイツ」も黙ってベッドに寝ていたけど、何日かすると、「なあ」と言った。周りに人間はいないみたいだった。どうかしちゃったのかと思ったけど、アイツはもう一回「なあって」と言ってから、俺のことを両手でつかんで続けたんだ、「俺の右足」って。

 俺に話しかけているなんて、思いもしないじゃんか。「アイツ」がアイツの右足である俺のことを意識したのは、多分生まれて初めてだったんじゃないかな。だから気恥ずかしかったけど、「なんだよ」って答えたんだ。そしたら「アイツ」、「お前さ、ずっとここにいたの?」なんて言うんだ。「いたよ」俺は言って「ハルキもずっといた」と続けた。ハルキは「アイツ」の左足だった。「アイツ」はうなづいて、「お前さ、名前は?」と俺に聞いた。「俺はシモンだ」俺は言って、自分の言った言葉にびっくりするほど動揺した。

 俺はシモン、「アイツ」の右足だ。俺達を繋いでいた「アイツ」が今、俺を認識しているってのに、左足のハルキはもういない。俺とハルキは、生まれたときから一緒だった。俺は、胸をかきむしりたくなるような気持ちになった。無論、俺は足だから胸はないのだけれど。 

 「アイツ」は俺と一緒に生きた。外に出て、また俺を酷使して、それで、義肢装具士になった。「アイツ」がサッカーを辞めたあと、外に出るのをずっと待っていたのはハルキも一緒だったけど、ハルキと一緒に外に出ることは叶わなかった。

 「アイツ」は俺の横に、新しいハルキを作ってあてがった。新しいハルキは話はできないようだったけど、俺の横で前のハルキのように立派に「アイツ」を支えている。

 40歳になった「アイツ」は、ハルキが生きているうちにハルキと話せなかったことを、今でも悔やんでいる。「アイツ」は誰かの俺と、誰かのハルキを作り続けて、誰かの俺や誰かのハルキは、「誰か」を文字通り支えている。



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