布博とパタリーと私の、ほぼ10年間🪡
会社員時代の私は、すっかり忘れていた。
ジャスコの手芸屋で血眼でハギレをあさっていた小学生の自分を。
西日暮里トマトで上の階から下の会まで何時間も何時間も反物を追っていた中学生の自分を。
TOA渋谷店で店員さんに顔を覚えられるほど通い詰めていた高校生の自分を。
20歳の頃行ったフィンランドのマリメッコで、このまま永遠に時が止まればいいのにと天に祈った大学生の自分を。
お年玉を握り締め手芸屋さんに向かい、フェルトやボタンや布を真剣に選び服を作り続けた青春時代を。
「布」があんなに好きだった私は、いつのまにか合皮の大量生産の1万円のバッグを握り締め山手線に乗っていた。
何があんなに悲しかったんだか。
今となってはちょっと薄れてかけているけれど、会社員時代の私は本当に365日10年間毎日泣きながら山手線にいた。大音量で音楽を聴かないと足の裏にある栓が外れて、ヘナヘナと床に液状化してしまう。
BLANKEYJETCITYやZAZENBOYSや東京事変やゲス極の音楽をとにかく1秒でも長く長く脳に伝えないと、己が正常に保てなかった。村上春樹やよしもとばななや三浦しをんや伊坂幸太郎や湊かなえの小説の文字を目で追っていなくては発狂してしまうような日々だった。
本当は欲しいバッグがあったけど、買えるわけがないのでよく分からんA4サイズが入るトートバッグをルミネエスト新宿で買ってなあなあと過ごしていた。
一流ブランドからの模倣に模倣を重ね、もはやその残像も残っていないほどの「虚」を腕に抱え、肉体も精神も全てが己の「偽物」として新宿にいた。
マルイのサンシャインシティバーゲンで買った4,900円のペラペラのワンピースを着てなんとなく「社会人」ぽく過ごしていたけれど、その「なんとなく」と言う暴力が澱になって心の底に固まって悲しみとか悔しさとか怒りとかが腐敗し限界値に達していた。
私はファッションが好きだったのに、あんなに好きだったのに、何よりも好きだったのに、なんでこんなに「虚」になってしまったんだろう。
合皮も、大量生産も、1万円も、ルミネエストも、虚像も、サンシャインバーゲンも4,900円も、腐敗も実は何も何も悪くはないけれど、ただ「私の熱狂」がそこには微塵もなかったんだと思う。すべては、全ては自分のせいだった。
時折、学生時代の友人のりえさん西荻窪の家に遊びに行っていた。
講師業などを兼業しながら刺繍作家をしている時代のりえさんの一人暮らしの家。
外階段を登って扉を開ける。
りえさんは、年季が入った和室でミシンを踏んだり、ペンキを縫ったりしていた。
調味料がいっぱいの台所で小松菜を炒めて出してくれた。
自由でクリエイティブで本当にかっこよかった。
私のペラペラのワンピースは「偽物」だけど、りえさんの切っている布は「本物」だ。私が会社の飲み会で仕方なく胃袋に流し込んでいた発泡酒は「偽物」だけど、りえさんの炒めた小松菜は確かに「本物」の味がした。
折りたたみのアイロン台でじゅっと大きな布に熱をかけている。
小さな小さなビーズをとてもかわいい刺繍パーツに縫い付けている。
この空間は紛れもなく「本物」だ。そう思うと心底安心したし、憧れていた。
りえさんはずっと心底かっこよかった。
(当時のことをりえさんは「孤独で寂しかった」と言っていて、今になってはりえさんと自分を抱きしめにいきたくなる)
2013年に「布博」というイベントが始まった。
おそらく私が初めて行ったのはもうちょっと後だったと思うけれど、約10年間、このイベントに参加している。
初めて行った時の「ここは違う国なのだろうか」と言う衝撃はまだ薄れていない。
偽物がただ一つもない、本物の国だった。
一人一人のデザイナーさんが毎日チクチク刺繍をしたり、描いたりしているものがその空間に存在する。私が心底欲しかった「オリジナル」が存在している。
なぜわかるかというと、りえさんの西荻窪のアパートで実際に私が見てきたから。
大袈裟じゃなく、その「本当たち」を見ることで、私は救われていたんだと思う。
幼い頃に何度も何度も何度も通った手芸屋の興奮が、それ以上の「熱狂」が私の心を包んでいった。
すっかり忘れていた「布」の手触りを、その熱い空間は思い出させてくれた。
布博は私たちをいろいろなところに連れて行ってくれた。横浜にも、京都にも名古屋にも、時には、台湾にも。
中でも「町田パリオ」と言う会場は特に、幾度となく通った。
私たちにとってとても感慨深い場所になった。
窓側から町田の街並みを見ながら大きい大きいスタバのカップを握りしめ、スタッフみんなでチビチビ飲んだ。寒かったり暑かったりしたけれど、会場はいつもみんなが懸命で豊かなお祭りだった。りえさんの刺繍がメインビジュアルになった時は、嬉しくて嬉しくて泣いた。
多分きてくださっているお客さまたちもみんな「本物」が見たくて来ていた。それくらいの局地的な「熱」がそこにはあった。
私も会社を辞め、独立し、環境も状況も地球が反対周りになったかのように何もかも変わった。もう爆音で音楽を聴かなくても足の裏から水が漏れることが無くなった。逆に「虚像」では生きられなくなり、「本当」だけを注意深く握りしめる生活に変わった。
この約10年間、パタリーが出る全ての布博に私は参加させてもらっている。
りえさんが出産のタイミングの時は当たり前に「私がパタリーです」と言う顔でミーティングに出て「パタリーさん」と呼ばれると「はいっ!」と元気に立ち上がってきた。それは虚像ではなく、愛情だったり友情だった。
今やデザイナーとなったIBAMOTOHONTENのあやねちゃんと初めて会ったのも布博だ。約10年前のみんなはまだちょっとみんな若かったし、メラメラしていて、不安定で。それでいてすごく真剣で優しい人たちで。
まだどんなテキスタイルを作るかも未知数だった頃のあやねちゃんと、まだ一文字も字を書いていなかった私はそうやってパタリーで出会った。(そういえば、デザビレに入居するよ〜と聞いたのも布博だった)
どでかく、重く、布と呼ぶにはいささか巨大すぎる反物を肩に抱え、日本全国を飛び回るスーパーガールあやねちゃん。そんなあやねちゃんが作り出したすてきなすてきな織物が、2025年、布博のメインビジュアルになった。
生地の中でそれはそれは楽しそうに踊る女の子は、パタリーのイヤリングをしていた。
私たちのもがいた10年を思って、涙が溢れた。
布博は1月10日〜12日まで✨
あきやは10日(金)にパタリーにいます🙋♀️✨
IBAMOTOHONTENのブースとも近いので、アツい目線を交わせそうです。
これからの10年も面白い日々を作っていけますように。
〜おしまい〜
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