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〈仲間〉の思いを受け継ぐこと、について

 ソムドル・ヒャンリン教会(韓国基督教長老会/PROK)の主任牧師として、性的マイノリティや女性の人権などに尽力してきたイム・ボラさんが召天した。教会は今年(2023年)、設立10周年を迎える節目の年でもあった。
 さまざまな働きの中、異性愛者の女性として、闘いつづけたかのじょは、韓国でカミングアウトして活動することが困難な性的マイノリティたちと一緒に『神と出会った同性愛』という本の出版にも中心的に参与した一人でもある。(わたしもこのプロジェクトに参加させてもらったひとりである。拙文が掲載されている。)
 
 

シュム・プロジェクト編『神と出会った同性愛』(ハヌル出版、2010年)日本語訳未公刊

 まだ、信じられない思いでもあるのだけれど、追悼の思いを込めて、ハンギョレに掲載された追悼文を仮訳しておく。
*[ ]内は補足。

ハンギョレの記事

2023.2.5登録記事

いつも一足先に「抵抗の現場」に出かけていった
イム・ボラ牧師 他界

性的マイノリティ差別に反対・平和運動の先頭に立つ
「大きな寄る辺を失った」各地で哀悼

 性的マイノリティ差別への反対と女性の人権、平和運動の前線に立って社会的弱者たちと伴走したイム・ボラ牧師が4日に他界した。享年55歳[韓国では数え年なので54歳]。

 イム牧師の突然の他界の知らせに市民運動界や進歩的なプロテスタント界に衝撃が走った。特に性的マイノリティたちや差別撤廃運動家たちは「大きな丘[寄る辺]を失った」と嘆き悲しんでいる。悲しんでいる。

 故人は1987年に韓国神学大学英語英文科に入学して卒業した後、韓国神学大学大学院に進学し、1993年にヒャンリン教会[註1]が江南ヒャンリン教会に新規教会形成した当時、伝道師の立場で子どもの教会を担当し、牧会を始めた。その後、カナダ留学の途上で、韓国人教会で牧会し、2003年には帰国してヒャンリン教会の副牧師としての役割を担った。民主化運動においてはプロテスタント教会の代表格であるヒャンリン教会に勤務した故人は弱者のための仕事に身を投じたが、ほかでもないキリスト教徒によって最も迫害され、非難され、傷付けられたのである。

 故人は2010年に「差別なき世界のためのキリスト教連帯」[註2]の共同代表を引き受けた後、国会前の記者会見で「わたしたちを創ったのは神なのに、誰かが誰かを差別することなどできるのですか! 聖書が語る最も大きな戒めは「神を愛し、隣人を自分のように愛しなさい」ということであり、一部のキリスト教徒が聖書を同性愛を嫌悪する根拠にして暴力の道具に陥れたことを悔い改めなければならない」と叫んだ。 2012年に「虹の人権」賞[註3]を受賞した故人は受賞へのコメントで「『神様と会った同性愛』の出版を記念して、先に逝った友人たちを哀悼する儀式で一緒に声を上げて泣いた場を記憶し、ソウル市学生人権条例[註4]の座り込みでそこいら中に溢れていた10代のクィアたちの泣き声を記憶する」と述べ、「当時、学生の人権条例制定を妨害する先頭に立ったキリスト教徒たちが「兄弟姉妹」とお互いを呼びながらもわたしを押しのけ、「姉妹、汚れたから、早く手を洗ってきなさい」という言葉をなんの躊躇いもなく吐いていた、あの座り込みの場所で、わたしがこだわり続けなければならないのは何かを悟った」と述べた。

 10年前の2013年、ヒャンリン教会が60周年記念にソムドル・ヒャンリン教会をあたらしく立て、その担任牧師となった故人は、ソムドル・ヒャンリン教会を性的マイノリティのキリスト者をはじめとする社会的弱者の避難所とし、韓国教会の性的マイノリティに対する嫌悪[フォビア/差別]に対抗した。故人は何人かの牧師・神学者たちと一緒に、2017年に『クィア聖書註解』(ムジゲ[=虹]神学研究所)の翻訳本刊行のために出版委員会を設けた[註5]。それ以後、プロテスタント系の大きな教団はイム牧師を異端とし、プロテスタント系の最大教団の一つである大韓イエス教長老会[註6]のいくつかの会派(合同、高神、合信)などが2017年9月の総会で、イエス教長老派のいくつかの会派(統合、大神)はその翌年9月の総会でそれぞれ、イム牧師を「異端あるいは異端性がある」と決議した。故人は差別禁止法に反対し、自身を異端視する保守プロテスタント教会の弾圧にも討論会やセミナーなどで「性的マイノリティは聖書的にも罪人ではなく、社会でいかなる差別も受けてはならない」と反論してきた。

 故人は性的マイノリティだけでなく、神学校や教団内の性暴力の被害者のためにも解決と再発防止のために尽力し、済州島の江汀海軍基地反対運動などの平和運動や、動物の権利の運動にも尽力した。

 ヒャンリン教会の金ヒホン牧師は「積み重なってきた生の圧迫のなかでもたなかったようだ」として悲嘆している。数日前にハンベク教会で開催された集会に講師として来た故人と会ったハンベク教会の李サンチョル牧師は「いつも、この世の人ではないかと思うほど、この世のものとは違う感受性と共感能力を性的マイノリティと動物や障害者、生命全般に見せたひとだった」と述べ、「いつもひとあし先に苦痛を強いられている現場に立ち、その後に多くのキリスト者たちが隠れていてなんとか体面や威信を維持していたような感じだったが、大きな壁が崩れてしまった」と哀悼の気持ちを述べた。

 かのじょの他界の知らせに多くの人権団体の追悼が続いている。雨後の虹財団はフェイスブックで「性的マイノリティに祝福を惜しまなかったイム・ボラ牧師を追悼」とし、「虹をまとって明るく笑っていた故人の明るい笑顔と連帯の心を記憶し、讃えるために」と、インタビューを共有した。差別禁止法制定連帯も「連帯が必要なところにはどこでもわたしたちの心を読み取ってくれたあなたの笑顔がいまも懐しいです」と哀悼を伝えた。行動する性的マイノリティの人権連帯は「嫌悪と差別、不平等に抵抗する人びとがいるところにいつも真っ先にやってきてくれて、一緒にいてくれたおかげで、わたしたちの世界が少しでも温かかったです。だから、去られたのちにはずっと冷たくなってしまいそうです」と追悼した。

 遺族には夫と娘が2人いる。葬儀式場はソウル江東慶煕大学病院葬儀場22号室で、出棺は2月7日火曜日午前7時、葬儀場(火葬場)はソウル市立昇華院で実施される。5日(日)午後4時にはイム牧師が所属していた大韓基督教長老会ソウル老会の礼拝が、5時にはヒャンリン共同体協議会の主催する復活証言礼拝が、7時にはカンイル教会礼拝がある。

チョ・ヒョン宗教専門記者、チャン・スギョン記者
※「ハンギョレ」は遺族の要請によりこの記事のコメント欄を閉じています。


[註]

  1.  ヒャンリン教会(香隣教会)朝鮮戦争の惨禍のなか、1953年にソウルの中心部である中区に、信徒を中心とした教会形成が試みられた。中心となったのは後に民衆神学の代表的な研究者となる安炳茂ら12名。株分のような形で江南ヒャンリン教会が設立されたのは40周年、ソムドル・ヒャンリン教会が設立されたのは60周年のそれぞれの事業として。ヒャンリン教会の詳細は公式サイトによる。「民衆神学」の流れについては読みやすいものとして、崔亨黙の講演録がある(「韓国民衆神学の歴史と現在」『明治学院大学キリスト教研究所紀要』第54巻)。

  2.  韓国では「包括的差別禁止法」の制定が試行されてきたが、2007年に提案されて以降、そこに表現されている「性的指向」の項目に対し、削除要求が一部のキリスト教を中心に巻き起こった。2000年代は、保守的キリスト教が韓国キリスト教教会協議会(KNCC)に加盟し、政治にも関与していった時期。その後、韓国社会でのホモフォビアは激化する。このような流れを憂い、キリスト教の中で性的指向や「家族の多様性」に関わる差別問題への取り組みと、包括的差別禁止法の制定をめざす運動をはじめたのが「差別なき世界のためのキリスト教連帯」である。Facebookにもページがあるが、2018年で更新は止まっている。〈要・確認〉

  3.  「虹の人権賞」は、韓国のゲイ人権団体「チングサイ」(1994年2月に設立)が2006年に開始。性的マイノリティの人権に資する個人や団体などに授与されている。

  4.  「ソウル学生人権条例」は2012年に制定。小中学校・高校の児童・生徒に対する体罰の全面禁止、頭髪や服装の自由、校内集会の許容、持ち物検査や没収の禁止などの内容を含む。性的指向と性自認に関する差別禁止項目で議論となった。

  5.  虹神学研究所が手掛けたのは翻訳作業。原著はDeryn Guest, Robert Goss, Mona West,, eds., 2015, Queer Bible Commentary, SCM Press. 現在、第2版が出版されている。

  6.  大韓イエス教長老会(PCK)は、ここに記されている通り、韓国のプロテスタント教会の中で最大教派である。この教派の中に多くの諸派が存在する。全体が保守的キリスト教というわけではないことは強調しておく必要があるだろう。
     


 さて、標題の内容について。「異端」とは何か、ということを改めて考えてみたい。(後日。)

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