勉強をするとは
こんにちは!こんばんは!
かなり更新を出来ておりませんでしたが、今回のテーマについて書いて行きたいと思います。
勉強は資格を取得したり、主に中高生の方だと志望校に合格するために行うものだと思います。試験が終わるとしんどかったという印象しか残らないかもしれません。私自身も学生時代は試験が終わると、さっさと忘れて好きなことをしていました。しかし、社会人になり、仕事を行うようになると非常に勿体無い過ごし方をしたなということに気づくことが出来ました。
もちろん勉強の目標は資格試験でも受験でも合格することです。しかし、その目標達成(合格)までの経験を仕事に利用出来ている方は少ない印象です。
つまり、勉強をすることで仕事をする練習ができるということです。
この点について、そう感じた経緯を以下で述べて行きたいと思います。
勉強の題材には答えがある
私は大学院で研究を始めるまで、ほぼ仕事に使用できない知識を高校卒業までずっと学ばせる意味は何なのか疑問に思っていました。しかし、大学院での研究や就職して製品開発の仕事を行うようになり、勉強は世の中に答えがない課題を解決するための練習だったと気づきました。
読み書きができるようになることが義務教育の目的の一つと思いますが、それ以降の因数分解や確率計算はエンジニア以外の人にとって不要と言えます。では国は何を期待して私達にほとんど使用しない知識を学ばせ、問題を解き続けさせたのか。
要は答えのない問題でも解けるようになって欲しかったのだと今はわかります。
仕事とは答えのないことに取り組むこと
学校の出す課題は解いてもお金になりません。なぜならもう答えがあり解決済みだからです。しかし、その課題を解けるようになるプロセスは自分の中に蓄積すれば社会の未解決課題(仕事)を解決していく手助けになります。
私の仕事である製品開発で考えてみると、製品の仕様(どんな機能で何ができるか)を自分達で決めていかなければなりません。もちろん、社会のニーズを調査して仕様に反映させますが、市場ニーズはかなりぼやっとしたものでとても製品の確固たる仕様になりえません。
どうやってこれを決めていくかというとまずニーズから要求仕様を決めて、その要求仕様を満たすにはどのような技術が必要かや懸念点を洗い出し、ほぼ出揃ったところで開発を開始します。
実は勉強で問題を解くときにも同じようなことをしています。問題文の中に要求が与えられて、その要求を満たすにはどの情報が必要か、どの情報が足りないのかを把握して、計算なり文章から読み取るなりを行い、問題を解きます。
まとめ
以上のように、勉強とは実際に仕事を行う前に練習ができる場であったということが伝われば嬉しいです。
今回も拙い文章ですが、お読みいただきありがとうございました。
この記事で書いた考え方が少しでも皆様の助けとなれば幸いです。