哲学とは
ちょっとツイッターで見かけた引っかかった投稿があったので
久しぶりにnoteを書きます。
「それは哲学じゃないよ」という一言。
あなたは哲学について何を知っているのだろうか。
もちろん僕は無知であるし哲学なんてまだまだわかっていない。
どうして地球に引っ張られてりんごが落ちるかなんてよくわかんない。
なぜスマホがインターネットに繋がるかなんて知らない。
でもそれでも哲学のこと語っても良くない?というのが僕の哲学の態度。
知らないやつは黙ってみてろ、俺が言うとおりにしろ、証明してやる!なんてのは哲学でもなくただの暴力じゃないかというのが僕の思考。
要するに他人より上の立場に立ってマウント取って気持ちよくなりたいだけでしょ。でもその思考すらあなたにとっては正しくて正解なのだと思う。
でもそれはあなたにとってであり、私にとっての哲学ではない。
本来の哲学とは何もない無の世界の中であっても、物が溢れる社会でも、宇宙空間に飛び出したとしても通用するような万物普遍の原理を見つけ出すことが目的だと思う。
だけど、残念ながら今のところ真理と言われるものは見つかっていない。
全ては経験の上に成り立つ理論であって結局良くわかってないが確かに何度やってもそうなるらしいという実験や事実の積み重ねでしかない。
とすれば誰かに何かを押し付け自分が気持ちよくなることが真理なのか?
よくよく考えてほしい。
きっと哲学を語ると難しいと思われたりするけど、絶対の答えがないからこそ絶対の答えを求めないことが、今のところ僕にとっての多分正しいだろう答えであって絶対の答えが見つかるのならばもちろんそれに従う。
というより絶対なので従わざるを得ない。つまり哲学を語り押し付ける時点で哲学を語る事はできない、となってしまう。
本来絶対であれば押し付けることもなく強制的に従わされるのだから。
だが逆説的に僕の説も絶対ではなくただの個人の見解。
これが真理であると言うつもりもなければ論破する気にもならない。
ただこの違和感を言葉にするのならば、手段と目的を勘違いして論破することこそ哲学だと言うのならばそれが絶対に正しいものであると完璧に証明してほしい。そうでなければ絶対とは言えない。
みんな違ってみんな良くて人それぞれ考え方は違うのだから否定せずに仲良く楽しくやっていこうよ。
僕自身はこれからずっとこの考えが本当に正しいのか問い続けていく。
それが僕にとっての哲学だから。
最後に僕が学生時代に思ったことを少々。
「〇〇は絶対に正しい」という質問は世の中に絶対がない以上、たぶん間違いなのではないかということ。誰かが一ミリの隙間もなく完璧な回答を出しているということならばそれは絶対なのだが、全ての質問にきっと隙間はあると思っていてそれが何かは知らないけれど完璧でない以上、完璧ではないし絶対でもないだろう。
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