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カンボジアで命名されました

去る5月の中旬の話になりますが、名古屋セントレア空港からホーチミンを経由すること約6時間かけ初めて訪れる国カンボジアに、なぜ僕はいるのかを説明しましょう。

皆さんは東南アジア地域限定のオリンピック、SEA Gamesを知っていますでしょうか。僕は今回のお話を頂くまで全く知らなかったのですが、今年でもう32回を重ねる大規模なスポーツの祭典でして、その第32回目は初のカンボジア開催なのだそうです。
ASEANの国々オンリーな訳ですから当然ながら日本は参加国ではありません。なのになんで僕が関係あるのかといいますと
今年から新たにSports Danceという所謂Breaking、ブレイクダンスが新種目として開催されることになり、そのオープニングイベントのための音楽を光栄なことに私が担当させて頂くことに相成りまして、この目でその一部始終を見届けることになりました。しかも今年はカンボジアと日本の国交70周年を記念したJapan Fesなるものが開催されるそうで、せっかくなのでライブもさせてくださいということで、光栄にも出演させて頂く運びとなり、この地に降り立ったという次第です。
で、そのブレイキンのカンボジア代表を、日本のブレイクダンス界のトップを走るMortal Combatの方々がコーチとして鍛え上げており、いわば日本のバックアップチームが一丸となってカンボジアのブレイクダンスシーンをモリモリにしよう、という今回のプロジェクトの中に入れて頂くことに相成った訳で、何度も言いますがこの地に降り立ったという次第です。

空港に着いて迎えの車に乗った途端のスコールにも我関せずと言わんばかりに行き交う、おびただしい数のバイクとひしめく屋台が東南アジアに来た感を惹き立たせます。国の平均年齢が27.8歳という、日本からすれば羨ましいほどの若い血潮が雨の道路に満ち溢れています。

写真では伝わらないがこれでも猛烈な雨が降っている

ホテルに到着して早速カンボジアダンサーと日本チームと共に決起集会のバイキング会場へ。ここから連日のビールオンリーの5daysが始まります。とにかく何か飲むといえばビールビール、タイガービール。誇張なく日中の気温は38〜9°。最初はビールに氷を入れるなんてビールに失礼すぎてとてもじゃないが無理、と思っていたのも初日だけ、外で飲んでいるとみるみるうちにビールはぬるくなり、気がつくと氷を入れないビールなんてビールじゃない、と思っている自分がいるのでした。

決戦前夜のカンボジアダンスチーム

翌日、ブレイクダンス競技開催の会場での本戦を見届けます。車から降りるとまるで火星に舞い降りたかのような気温と日差し、まだここで数日間を過ごしていく自信がありません。しかし立派な会場建物を入ると当然ながら空調は完備、決勝トーナメントに向けてワラワラと準備が進んでいます。またその進行がいい感じでユルい。

冷房の効いた会場内手前の豪華なVIP席は結局キッズが占拠していた

しばらくするといよいよスタートなのか、カンボジア国歌斉唱と共に来賓が紹介され、そこで初めて知ったのですがカンボジアのプリンセスが来ているそうで、終始メディアに囲まれておりました。

ひとしきりのアナウンスが終わったと思ったら、いよいよ僕が作った曲でのダンスパフォーマンスが始まりました。今回僕が作ったのは3曲構成、4つ打ち主体の曲にも関わらず、ブレイクダンスの大会なのになぜか社交ダンスから始まります。そしてヒップホップダンサーが登場、最後にカンボジアダンサーズを昨年からコーチしていた日本のダンスチームMortal Combatのメンバーが加わってオーディエンスからも大きな声援で盛り上がります。自分の曲がこのような大きなイベントでかかり、それに合わせて現地そして日本のダンサーが踊り、それを多くの観客とカンボジアの王族が見ているという、なかなかない機会に恵まれて感慨もひとしお、盛り上がって終わったのを見届けた時には思わずおぉ、と小さく声を漏らしてしまいました。

しかし今カンボジアでは社交ダンスが本当に流行っているのではと思うほど、その後も社交ダンスのパフォーマンスが続きます。もしかしたら次回大会以降に向けてのPR的な布石なのかもしれません。

そしていよいよ本戦が開始、審査員ダンサーチームのパフォーマンスで盛り上がった後、各国の代表が一人づつダンスを披露し決勝トーナメントに進む選手が選ばれます。日本がサポートするカンボジアチームのダンサーも男子女子共に決勝に残り、いよいよメダルを目指して1対1での勝ち抜き戦の始まりです。
東南アジアのブレイクダンスシーンでは特にベトナムとタイが強いそうで、確かに男子も女子もこの2国の選手が安定している様に見えます。対して我らがカンボジアチームダンサーのターンの際には観客も割れんばかりの応援、さすがホームでの戦いっぷりで本当に健闘していましたが、残念ながらメダルゲットはなりませんでした。

現地取材を受けるカンボジアダンサー
優勝選手を取り囲むメディア

面白いものでいわゆる僕の様なブレイキン素人がリングサイドから見ていると、勝つだろうなと思っていた選手が5-0で負けたり、意外と地味なダンスだなと思っていた方が圧勝したりで、加点基準がこちらの計り知れないところに置かれている気がしたので、その晩Mortal Combatの方に飲みの席で聞いてみたら、確かに我々が目を惹きがちな派手でアクロバティックな動きよりも遥かに勝敗を左右するポイントがあるそうで、話を聞くと納得した限りです。例えば同じ技を1ターン内に二度やると減点対象になるそうで、キビシい世界ですね

その翌日の閉会式は大雨に見舞われ、そしてその翌日Japan Fesの日は、滞在中いや僕の人生で一番暑い日だったかもしれません。身の危険を感じる暑さです。会場は王宮の南側に位置するワットボム公園内にある広大な広場、僕の出番は夜8時過ぎではありますがなんとサウンドチェックが昼12時、日差しを避ける屋根など皆無で日光がレーザー光線のように照射され続けるステージの上でドラムセットをセッティングし、3cm厚のステーキくらいなら簡単に焼ける温度に達しているMacを立ち上げ、なかなか回線が繋がらないPAの作業を待ちます。滝の様に流れる汗を拭きながらアチ〜、アチ〜、と心の底から何度もつぶやいていると周囲の現地スタッフが僕のことを「アチー」と呼ぶようになり、なんだかカンボジアの人にやっと受け入れられた気がしたので、海外ではやはり思ったことはちゃんと口に出して言った方がいいんだな、と改めて思いました。ふと気がついたのですがその現地スタッフの多くは汗もほとんどかいていないように見え、人によってはこの炎天下になんと長袖のシャツをも着こなしていたりして、あぁ、やはりこの気温に長い間慣れている人と我々では体内のノウハウが違うんだなと、僕に向かってアチー、と声かけてくれる青年の涼しい笑顔を見て思いました。

写真では伝わらないがドラムセットの上にビーチパラソルが

意識朦朧の中なんとかサウンドチェックは終わり、ホテルで体を冷やすべく屋上プールで束の間のオフを味わい、スコールもあって幾分か涼しくなった夕方頃に会場に戻ると、同じくイベントに出演するHumanBeatVoxアーティストSO-SOくんとDJのA-1さんともご挨拶、イベントが始まるとトップバッターのSO-SO-くんのめっちゃかっこいいTrapなチューンとボイパ、A-1さんのサムライブレイクビーツに飛び入りするMortal Combatのダンスで皆ブチあがり、僕はといえば先日のオープニングイベントのために作った曲のドラムバージョンからオリジナル、そしてラストはモーコンのみなさんとの生ドラムとブレイキンのセッションで、なんとか盛り上がりに貢献できた気がします。

SO-SO-くんやA-1さん、そしてMortal Combatの皆さんなど、言わずもがな素晴らしい面々と何よりここ東南アジアでご一緒するという世界線もあるんだなと、これからの活動のもう一つのコンパスのようなものを発見した気がした次第です。
しかし到着から毎晩何かしらの打ち上げに参加し、水よりもビールを飲んだのに飲んだそばから酔いが抜けていくような楽しい5日間でした。

打ち上がる
その翌日も
その翌日も

そして帰国の翌日は久しぶりのThe Space Baaでの飛騨Jazz Festival、今までの灼熱で打たれた鉄が急速冷凍されたかの様な体温の変化に内臓もびっくりしています。そして飛騨高山は食事もお酒も人も最高でした。またそれは別の機会で

夜に行ったプノンペンのクラブの突き抜け感がすごかったです。


関係者の皆様、お疲れ様でした。

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