オランダ在住3年目の私が、 オランダの選挙を通じて「教育」について考えてみた。
オランダでは本日、4年に一度の下院選挙です(2021/3/17)。
実際にはコロナの影響で2日前から高齢者やリスクグループ向けに事前投票が始まっているのですが、山場は今日ということで、選挙権も持たないのに一人で朝からワクワクしています。
今回の選挙では戦後最大の37政党が参加し、候補者は1,579名に上るそうです。 28の政党と1,116人の候補者が参加した前回2017年の選挙と比べても大幅な増加で、これだけでも盛り上がりを感じられます。総議席150を争う激しい戦いが予想され、”間違いなく歴史的な選挙になる”、とか。オランダ在住3年目の私にとっては今回の選挙がそもそも初めてですし、未だなく「オランダ人にとってのオランダの話(問題)」を知るよい機会になっています。
どんな国でも多かれ少なかれ社会問題を抱えているのは当たり前で、光があるところに影ありとでも言いますか、オランダとてそれは同じであります。複雑に絡み合った社会の問題をちょっと見聞きしたぐらいで語れる訳もありませんが、自分の関心領域である「教育」に的を絞って少し書いてみたいと思います。
”世界一子どもが幸せな国”にある「教育の不平等」
さて、オランダと言えば、”世界一子どもが幸せな国”や”ワークライフバランスの満足度が高い国”と言うポジティブイメージがないでしょうか。この「オランダの教育」に惹かれてオランダへ教育移住する日本人も昨今多いです。わが家も半分はこれ(教育)を目当てにオランダに引越してきたので、よそ者ながらに一番気になると言うか、呑気に構えてもいられない分野です。今回の選挙でも、「教育」は争点の一つであり、政党のリーダー達は「教育の大切さ」を主張しています。
そんな訳ですから、友人から「オランダは教育の不平等が深刻だ」と聞かされた時には、「”世界一子どもが幸せな国” オランダで教育の不平等?」と、持っていたイメージとのギャップに面食らいました。「幸せ」とか「平等」とか、すごい情緒的なワードで、麺食らう程度に私の認識が浅いことがここでバレますが(苦笑)それは置いておいて、友人から教えてもらったドキュメンタリシリーズを観たり、ニュースなんかに目を光らせると、これが昨今広く認識されつつあるオランダの社会問題だ知るに至ります。
そこで分かったのは、「教育の不平等」として問題にされているものは、「教育における”機会”の不平等」だということでした。
家庭背景と子どもの学力が相関する
要するに、子どもの家庭背景が受ける教育水準に相関してしまっている、と言う状況があります。家庭背景とは、端的に言えば一つに親の「経済力」で、家庭の社会的・経済的な格差が子どもの進路に影響を与えているというデータが出ています。
具体的な例をあげれば、大学の学位を持つ親を持つ子どもほど学力レベルが高く、更には小学校以降の進路を決める”超大事な”学校からの評価についてすら(例えその時点での能力が同程度だとしても)先の学位を持つ親の子どもの方が良い評価をもらい、そうでない子どもは「ハードな中高教育課程をやり遂げられる可能性が低い(親からのサポートなしでは難しい)」などの理由で、先生の方が意図的にレベルを下げてしまうと言うことがあるそうです。
教育の役割ってなんだろう?
これは差別!とかいう単純な話でもなく、子どもに「無理はさせない」「自己肯定感を阻害しない」という、オランダらしい配慮から来ている部分もない訳ではないみたいなんですよ。(そうは言っても、私だったらそんな早々に可能性を見切られては、たまったもんじゃないなとは思いますけど・・)
オランダは日本みたいに誰もが大学に行く国ではありませんし、勉強ができないからと言って競争に負けたみたいな考えは一般的にないと思います。「教育の平等」を、誰もが大学に行くことだとは思っていないはずです。そうではなく、全ての子ども達が社会の中で適切な場所を見つけだすための手助けをするのがオランダの教育が目指すことなのかなと個人的には見てて思います。そのためには、やはり機会の不平等は更正される必要はあると思う。適切な場所を見つけるには、見つけるための機会が必要だと思うから。
いずれにせよ、教育のその根底にはその国の「文化」があって、オランダ在住3年目の私には正直言ってよく分からないことばかりです。
解決策は更なる「予算投下」と「システム調整」
ところで現実は、オランダの小学校は教員不足が深刻で、いくら理想を語ってはみても、「いや、無理だし。人、いないし」というちょっと笑えない状況があります。問題解決には、初等教育に携わる教員の賃金改善により教員の数を増やし、教員あたりの児童数を減らし、教育の質を向上を図ることだと政治家の多くも訴えています。
あとは、賛否両論あるみたいですが、「中等教育における学生の早期分離を15才へと先伸ばしする」と言うシステム変更も提案されています。要は日本の公立学校と同じ15歳で進路選択をするということです。高等教育への進路の早期分離は、移民の背景を持つ子供たちのチャンスを制限するとも言われていて、長い目で見ると社会の分断にも繋がる恐れがあるそうです。「教育」だけでなく社会のコストもふまえた現実的な選択の一つなのかもしれません。
*現在は小学生最終学年の12才でその後の進路がほぼ確定してしまいます
まとめ:子どもの教育の前に、まずは自分が変わること。
しかし今更ですけど、子育てにおける親の責任は大きいのですね(当たり前か)。もちろん教育システムの見直しは必要だと思いますし(日本・オランダに限らず)、子どもの教育に国はもっとお金を使うべきだと強く思いますが、なんだかんだ言っても教育って「社会(システム)」と「家庭」の掛け合わせなんだなぁと。
*「家庭」や「保護者」任せにしない、そこに頼り切らない社会福祉システムやサポートは絶対とした上で。
オランダで子育てしていて感じることの一つに、日本に比べると先生への依存度がオランダはだいぶ低いな、と。平たく言うと、先生があれこれ世話してくれない。そもそも文化的に家庭や保護者に求められる責任や役割が日本より大きいのかなと思うのですが、先生が見てくれているから大丈夫だろう、と思ってたら全然当てが外れます。親の経済力もさることながら、親が精神的に自立してないとならんのだなぁと思うことは度々。
こうして考えると、「教育移住」とか言って、場所を日本からオランダに変えてもあんまり意味がないというか、そのインパクトは半分(以下)で、「家庭」というか「親の自分」が変わらないと、結局はあまり変わらんという結末に至る訳だなと、恐ろしい事実を突きつけられました。
まぁ、自分は変わろうともせずに、子どもに変化を期待することが、そもそも甘えなんでしょう。これからも子どもと手を繋ぎつつ、「自分の自立」をオランダで頑張って行こうと思ってます。