見出し画像

宮崎市はなぜ県庁所在地になったのか

県庁所在地といえば、たいていは古くからその地方の中心で、城や港や政府の機関などがあった場所が多いです。
ただ、宮崎市にはそういった歴史的な史跡がありません。
宮崎神宮はありますが、そこを中心に街が発展していた様子もありません。
なのに、なぜ宮崎市は県庁所在地になったのか? と、先日宮崎に行った際に、ふと気になったのです。

元々はただの農村だった

宮崎県がかつては日向国と呼ばれていたことはご存知の方も多いと思いますが、日向国は廃藩置県とその後の府県統合を経て、美々津県都城県に分割されます。
ざっくり当てはめると、美々津県は大淀川の北側、都城県は大淀川の南側にあたります。
大淀川は今の宮崎市の中心部に流れているので、つまり今の宮崎市は、ちょうど美々津県と都城県の境目にあることになります。

ただ、現在の宮崎市中心部にあたるエリアは当時はただの農村地帯で、特に何もありませんでした。

宮崎県の誕生

その後さらなる府県統合があり、美々津県と都城県の一部(東側)が合併し、宮崎県が誕生します。
その際、県の中央に県庁を置く必要があり、前述のように二県の境目にあった大淀川周辺の宮崎郡上別府村という地域がその場所に選ばれました。

県庁が置かれたのが宮崎郡だったから宮崎県という県名になり、さらに県庁のある上別府村がやがて発展し、宮崎町を経て宮崎市を名乗るようになったのが今のはじまりです。

つまり、なぜ宮崎市が県庁所在地になったのか?という問いに対しては、「ちょうど中間地点だったから」が答えとなります。
そして、それが行われたのが明治時代と割と最近のことだったため、歴史的な史跡がないというわけです。

同じような経緯で誕生した街は他にあるのだろうか、なんて考えながら旅をすると、見識がさらに広がって楽しみが増えるかもしれません。

いいなと思ったら応援しよう!