DEAR FRIENDS_自叙伝1999年_「Departure!」
1999年_スケジュール
11月03日 インスト『Acoustic Mini Live』
名古屋のTOWER RECORDS(近鉄パッセ店)
11月03日 名城大学学園祭飛び入り出演
11月13日 インストア『Acoustic Mini Live』横浜のH.M.V
【Departure! TOUR】3公演
12月06日 名古屋BOTTOM LINE
12月07日 大阪BANANA HALL
12月13日 新宿LOFT
1999年の背景
1998年7月に出産して、瞬く間に半年が過ぎ、1999年。
まるでSFのような、そしてプリンスの曲のような、
1999XANADUの世紀末がやって来ました。
私はその世紀末の最中、まる半年はお子さまとベッタリの日々。
仕事に戻る気は全くないほど、育児は初めての世界でしたが、楽しくて楽しくて。一方、PERSONZとしては昨年末に事務所から独立して、FCも含めて運営を一から担わなければなりませんでした。
公私共に初めてづくしの1999年。
そんな1999年の幕開けは、まずは子どもを連れての初の両家の里帰り。
これは私的にはかなり責任重大。初の子連れの旅ですから。
時代的には世界にインターネットが広っがって、それなりのトラブルもあったような時代。今はもうSNSだけど、掲示板みたいなやつのトラブルとかね。
ちなみに参考になるかなぁ。
1999年、日本におけるインターネットの人口普及率は 21.4%。
ADSLが登場。携帯電話のインターネット接続サービスを開始。
携帯電話・PHSの電話番号が11桁になり、「2ちゃんねる」開設。
iモード。
2023年と比較すると、現在の日本国内インターネット光回線の普及率は86.9%。普及してきたことに伴って、光回線以前に主に使用されていたADSL回線が2023年1月31日に廃止。
そーなんですね。
ADSLがスタートして終わったという24年。
私の発信は、当時はブログ主体。写真はデジカメを使用。
今やブログは、このnoteに変わったし、日々の発信はSNSのインスタ主体。
写真もiPhoneでちょちょいと出来ちゃうから、時代ってほんと変わりますね。
しかし、この年の半ばまでは育児だけの生活。
ある種、バンドを始めてからは経験し得なかった生活です。
のんびりとしてたし、ツアーもないし、家に居られることが嬉しかったなぁ。
前年に知り合った出島関の活躍をテレビで応援したりね。
この年のあたまの1月には、阪神大震災から4年とブログに書いてます。
まだ生々しい時期だったですね。
子育ては離乳食が加わって、娘がアトピーっぽくなり、ほっぺがカサカサでいろいろな病院に連れていったりね。
今思えば初、子育てで毎日飛ぶように過ぎて行ったわけです。
私もこの年は30代最後の年。
アラフォーです。
ひゃぁ。
今思えば若いんだけど、当時は40代!ですかぁ!と慄いていました。
だけど、来る40代にはそろそろ大人になって、着物を買いたいなんぞ言っておりまして。そんな感じの40代。笑笑
結局、この時は子育てに追われて着物どころではなく、着物は購入しませんでしたが、今、60代になり三味線JILL屋を通じて、着物を着ることがあり、なかなか感慨深いですね。
PtoP業務スタート!
さて、昨年末、事務所から独立して、さぁ、会報をどーするか。
この当時には、いろいろありまして、FC担当の横田さんは以前の事務所サイドに残ったので、私たちはジャケットのビジュアルを担当していたデザイナーの根布谷さんと一緒に一からスタート。
そうそう、バジェットを考えたのも初めてのこと。
年間を通じての会報のプラン練りや、じゃ、写真どうするか、など、企画を渡邉くんと根布谷さんと私とで話し合って、ようやくロケに出かけました。
ロケは横浜の湾岸地帯中心に。
1年分の会報の写真を撮るので、羽田に行ったり、中華街に行ったり、たっぷり時間をかけて撮影。
この時、専任のFCのスタッフは不在。
そんな状況でしたが、独立後のFC業務は子育ての中、とにかくスタートしました。
産後初の仕事
会報の写真を撮る日が、私にとっても久々のPERSONZの仕事となり、さぁ、子どもをどーするか。私か渡邉くんのどちらかがいないお留守番はあったにせよ、ふたりしていない状況は娘にとっては初めてのこと。
両親に来て貰って、1日見てて〜と頼んで、初仕事に出かける日。
娘を預けて外出することが悲しくて涙したなぁ…
まさに後ろ髪…状態。
今思えば初々しい。
娘も私が出かけるのがわかったらしく、大泣き。
しかも初の子守の大役で、私の父母、ジ〜ジとバ〜バはパニック!!
出かける前に、ちゃんと1日の予定表を書いたメニュー&離乳食を作っておいていったので、その通りに行動しようとするんだけど、娘はママとパパ…、いわゆるいつも一緒の人たちがいないので泣き続け、ミルクもご飯も食べずストライキ。
まあ、結局、夕方には好物の赤ちゃん用ポカリとリンゴを絞ってもらって、やっとこさ飲んで寝たという訳です。ミルクは断固拒否らしかった。笑
夜、仕事を終えて急いでおうちに戻ると意外に元気。
だけど、泣き腫らした顔がせつなかった。
そして、その横には憔悴しきったジ〜ジ&バ〜バ。完全にグロッキー。
まあ、1歳までは外には預けたくはないと両親の手も借りながら頑張っていた時期ですね。
会報制作
会報のコンセプトは12枚目のアルバム「Departure!」からプランニング。
年6回の会報をブレずに出すために写真は撮り溜めました。
なにせ、この年は前半は子育てのため、スケジュールがなく、後半はツアーなどがある予定だったので、コンスタントに写真撮影などできないため、年頭に写真を撮り溜められる方法を考えました。
「旅」をモチーフに、まずはポストカードと会報を2パターン発行しようというアイデアが通り、使用する写真撮影の構図を組み立てました。
ポストカードの方は6枚揃って1999年の終わりには裏側の写真を並べるとひとつの写真としてコンプリートになる!という仕組みも考えました。
ポストカードではない方のテキストの会報の内容は、私が企画を考えて、メンバーにQ&Aなどで協力してもらいながら書いたものを、毎回毎にデザイナーさんに送って編集して貰っていました。
オフィシャルのホームページと連動したメール紹介や、メンバーQ&A。
インフォメーション。アンケート。
A4サイズを折る形の会報。
とにかく何もかも初!
年6回と言えども、2ヶ月に一度の制作と発送作業。
それと育児とで1年が瞬く間に過ぎて行きました。
懐かしの会報内容
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