DEAR FRIENDS_自叙伝1987年03_full power!01
1987年「POWER PASSION」
1987年になり、完売したインディーズミニアルバムをもう一枚制作という運びになりました。確か年明け早々にレコーディングしたはず。曲はそれまでライブでやってきた曲の中からチョイス。
めでたく3月にはインディーズレーベルHEADS-Uからミニアルバム第二弾の「POWER-PASSION」をリリース。
1987年アーカイブ
運命のLIVE INN
「POWER-PASSION」をリリースした日にレコ発ライブを渋谷LIVE INNにて行いました。
そこに、運命の出会いとなるテイチクレコードのディレクターである真田氏が観に来たことによって、私たちのメジャーデビューが決定するきっかけになるのです。
当時のライブでのPERSONZはスロースターターで、慎重過ぎたのか、ようやくアンコールから吹っ切れてエンジンがかかりパワー炸裂!みたいな(笑) まぁ、まだライブ慣れしていなかったのかな。後半のライブの爆発力はすごかったんですけどね。
その渋谷LIVE INNのライブ後、真田氏とメンバーで確か居酒屋へ行った記憶が...あるんですが、日にちが違うかもしれません...
だけど、とにかく初対面の真田氏はサンバーストのサングラス、髪は裕次郎的なノリ、セーターを首に巻き、持っているのはセカンドバッグ!という、見るからに業界系のルックスで、かなり警戒していた事を覚えています(笑 )
私は調子のいい大人が大嫌い。(だった。)
警戒心剥き出しで対峙します。
いくら相手が良い話をしても絶対騙されないぞ!みたいな。
常に業界的な大人に対しては猜疑心が強くなっていたし、真田氏はそれなりに大人発言の連続で、最初はまったく噛み合わない会話でした。
確か、メンバーはそれなりに真田さんに調子を合わせほろ酔いになり、真田さんも後半は酔っていたように思います。私は猜疑心バリバリだから全然お酒飲めなくて、しっかりその場の雰囲気を把握しておかなきゃいけないと思い最後まで馴染めませんでしたが。
でも、結局、そのライブがきっかけで、私たちのテイチクからのメジャーデビューが本決まりになりました。
当時、テイチクのレーベルは演歌中心。それは私たちにとっても不安材料でしたが、テイチクサイドからは、うちと契約をしてくれるなら新たなロックレーベルを作るというプランを提示されました。そのレーベルの第一弾としてのPERSONZのデビューを約束するという話になり、承諾。
それがBAIDIS(バイディス)レーベルでした。
新しいレーベルを作ってくれるという条件は良いにせよ、デビューする際は、まだこのバンドが先行きどうなるかわからない状況。レコード会社側も最初のレコーディングバジェットはかなりの低予算だったと思います。
そこで真田さんがプランしてくれたのは、良いスタジオでレコーディングはさせたいけど、予算からして正当な使用では無理。スタジオに通常なら絶対空いている時間帯を使うから安くしてくれない?と掛け合ってくれて超一流の銀座の音響スタジオでのレコーディングが実現しました。
今現在の真田さんとPERSONZ
追記となります:
2022年現在、今でも事あるごとにPERSONZと真田氏の親交はずっと続いています。
テイチク時代を共に過ごし、移籍した東芝EMIでも、数々の現場を分かち合い、真田さんはPERSONZの一番の理解者となりました。
真田さん自身も東芝EMIに移ってから、絶妙なタイミングで宇多田ヒカルさんを見出し、最終的には東芝EMIのTOPに昇り詰め、めくるめく時代が過ぎていきました。
真田さんは、数年前にお仕事をリタイアされ、東京を出て、好きなトランペットを吹きながら、今はゆったりとした生活の中にいらっしゃいます。
もちろん、PERSONZのライブも観に来て下さいます。
縁とは不思議なものですね。
1stアルバムは真夜中のレコーディング
しかし、なんと!まぁ、真夜中24時からスタートというすごいスケジュール。
エンジニアはインディーズミニアルバムの時に渡邉くんと藤田くんから提案があり組んだ牧野英司氏。彼はパンタ率いる頭脳警察をミキシングしていて渡邉くんと藤田くんはその音が大好きだったということでARBオフィスから依頼。
最初にあったのは27歳くらい。
私と同じ年だったと気づいたのはだいぶ後のこと。
出会った時にはすでにキャリアがあったので年上に見えました。
ブルージーンズとジージャンの袖を切った服でツンツンヘアの牧野氏。
なかなかロックな方でした。
レコーディングエンジニアの前はロフトのP.A.だったことものちに知りました。
縁は続き、1stアルバムも、もちろん彼。
そうして始まった昼夜逆転の異例のレコーディングは今でも思い出話に花が咲きます。
アシスタントはポパイに似てるからとポパイさんと命名したのは本田くん。
とにかく、皆、若かった。
24時から機材のセッティングをして、真夜中2時、3時からトラッキング。
朝になり通勤客と逆行して帰宅する5日間。
今と違って24時間コンビニもなく、近くにニコマートというマーケットが普通の時間までやってるだけの銀座の深夜枠。もちろんUber Eatsもなく、ケータリングもない1987年。
最初の頃は、そのことにさえ気づかず、夜食を買いにマネージャーの山村さんの車で私も出動。確か、六本木のフライドチキンは24時までだったとか、四谷三丁目のスーパーは真夜中まで空いていたとか思いながら買い出しに行ったけど、全部やっていなくて、一体、どーしてたんだろう....翌日からはちゃんと買い出ししてからスタジオ入りしたと思うけど。そんな時代です。
そこは、当時、なぜかスタジオに大学ノートが置かれ、みんなで何気にレコーディング日誌をつけていたので、その中からエピソードを拾いつつ、時間経過と共に、どんなレコーディングだったのか探ってみましょう。
これは初公開。
かなり貴重な記録です。
笑っちゃうけど。
6月3日_銀座音響スタジオ_Rec.1日目スタート!
書き出し当時は私がひとりで書いていました。
23:00_銀座音響スタジオ着。機材搬入。
23:30_藤田セッティング開始。ひとり黙々と作業に打ち込む。他のメンバーはコンソールでだらっと世間話。
24:30_ドラム音決め開始。藤田安いスネアに手こずる💦
2:00_1曲目「LUCKY STAR」リズム録りスタート!藤田の申告ミスでドンカマのスピードが遅く3人ともやけに上達したような錯覚に陥る。情けなし…
3:30_5テイクで終了。デジタル録音はパンチが楽なことを知り楽器チーム一同落ち着く。ホっ。
4:00_2曲目「GIRLS,WILL BE GIRLS」に取りかかる。これまた3〜4テイクでだいたいOKが出る。すごい...のかな?
7:00_渡邉、パンチの魅力に取り憑かれてひとりで取り組みまくる。藤田はリム入れ。(※パンチはパンチインの事です)
8:40_今日はおしまい。
9:00_新富町から地下鉄で帰宅。ディレクター真田氏、有楽町で降りるのに失敗。苦笑い。
初日は私だけがきっちりと書き込み。
6月4日_銀座音響スタジオ_Rec.2日目
※2日目からメンバーも徐々に書き込んでいるので、
(J)(B)(T)(M)→(J)=JILL、(B)=藤田勉、(T)=本田毅、(M)=渡邉貢とします。
24:00_全員集合!
24:20_ARBオフィスの藤井社長到着。派手なシャツを着用。
もう疲れた。きのうエアーサロンパスしたけど筋肉がパンパンだよ〜(B)
1:20_本田くんがスタジオのドアが自動であることに気づきたまげる。つーか、1日目でそんなの気づくよ〜(J)
1:30_1曲目「FREEDOM」開始!JILL仮歌。(B)
2:25_藤田くんがヘッドフォンを壊す!(J)
2:45_「そろそろ」って藤田くんが夜食の要求。JILLとマネージャー山村さんとで買い出し。(J)
2:50_タイコだけチェックしたらとってもGOOD!!実は他のやつが悪かったのかもしれない。本田くんパンチ開始。(B)
3:10_パンチ終了。FREEDOMベーシック完了。8月のLOFTの話やリアクションのヤスの話で和む。音響のスタッフの人はポパイに似てる気がする。(T)
※本田くんがイラストを描いてからアシスタントの笠原くんは以降、ポパイと呼ばれます。
3:10_パンチ終了。じる山、いまだ来ズ。なんでこんなにおせーんだ!?ふたりで寿司とか食べてたらブツぜ。こっちの流れを考えていいタイミングで夜食を差し入れてほしい(B)
↑
藤田のために食べ物を探し回っていたのにひどい!(J)
いや、楽しんでたな(B)
4:30_食べ物を探しまわって新宿、渋谷、青山と…ぜんーぜん店が開いてなくて…やっとフライドチキンを買った!21ピースにしようと思ったのに13ピースしかなくてさ。寿司屋で持ち帰りを握って貰い埋め合わせして、遅くなってしまった。ゴメンなさい。近所のニコマートに行けばよかったねぇ。明日から良き方法で。みんなは「MIDNIGHT」頑張ってる!(J)
5:00_夜食?朝食を食べ「MIDNIGHT」の録りが続く。かなり苦戦。ナベのBASS弦がどうやらハズレらしく張り替える。(B)
5:30_フジタのスネアのピッチがどんどん高くなる。さすがはディレクター真田氏は食後寝こけていたのが、いきなり起床してメンフ(※譜面ね)をながめる。アドバイスが楽しみ!(T)
5:30_午前5時。藤田、歯を磨いてピッチをあげる。「MIDNIGHT」再スタート!(M)チリバツ(※ばっちり)なテイクの途中でスティックが折れてフジタ泣く。(T)
6:30_「MIDNIGHT」一応アガリ! 1テイク2テイクを比較検討。ややもめる。(T)
7:00_明日タイコ以外差し替えとの決定。みつぐ、たけさん浮かぬ顔(B)
6月5日_銀座音響スタジオ_Rec.3日目
24:00_全員集合(B)
24:50_ドラムセッティング終了(セッティングだけで1ヶ月の家賃がとんだ!)G、B試し録りに入る(B)
1:00_真田さん、差し入れを山村さんと持って登場。うれしい!渡邉、本田もヘッドホンと頭の大きさが合わず苦しむ(JILLがして伸びたのであろう)(B)
合わないのは当たり前フジタ用のヘッドホンを使ったから(T)
1:50_真田氏の差し入れのバナナを食べる。藤田みたいでイヤ!(おいしかったけど)(J)
2:10_本田、ギターの弦が死ぬ(B)
2:25~40_ギター完了!
3:45_「BURNIN'」スタート!いきなり藤田ヘッドホンまた壊す(M)
4:10_「BURNIN'」一回やったらなぁ〜んか変!久々だからかなぁ。藤田、スネアのマイクも壊す(J)
4:30_カップヌードルでひとときの団欒。和みつつ給食のメニューで盛り上がる。世代の差をあらわにするジル…肝油(T)
5:00_「BURNIN'」再スタート!
5:15_藤田スティックをバシビシと飛ばし始める…バテたか(J)
6:00_JILLいなくなる。藤田、テイクのOKでる(T)
6:20_ギター本田がんばる。貢おいてけぼり(?
7:00_本田終わるが藤田間奏に再チャレンジ(T)
なべわたパンチはじめる。長い旅になりそうな予感~思いのほか早かった〜
いつの間にか[白クマ]が入り込んでねてた。とてもびっくりしたよーん。白クマは北極へかえれ〜(B)
ベース、ノイズに悩まされる。白クマのタタリか。
ノイズが消えて、さぁ、パンチというときになべはヘッドホンしないでやろうとした(B)
7:35_「BURNIN'」終了
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