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DEAR FRIENDS_自叙伝1990年01_MAGIC MOMENTSダイアリー全箇所掲載:その1

90年代に入り、PERSONZは更に飛躍します。

1989年の終わりから1990年のスケジュール

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー[MAGIC MOMENTS TOUR]41公演

1989年↓
11月29日 山梨県立県民文化ホール 
12月02日 大阪厚生年金会館 
12月04日 徳島市文化センター 
12月06日 愛媛県文化会館 
12 月07日高知県民会館オレンジホール
12月12日 旭川市公会堂 
12月13日 札幌市民会館 
12月18日 大阪厚生年金会館 
12月20日 水戸市民会館 
12月21日 千葉県文化会館 
12月23日 新潟市体育館 

1990年ーーーーーーーーーーーーーーーーー
1990年↓
01月08日 岡山市民会館
01月09日 広島郵便貯金会館
01月11日 福岡サンパレス
01月12日 下関市民会館
01月17日 青森市文化会館
01月18日 秋田市文化会館
01月20日 酒田市民会館
01月21日  山形県民会館
01月21日 ライブビデオ『11,111 DEAR FRIENDS』をリリース
01月30日 浦和市民会館 
02月01日 藤沢市民会館
02月04日 静岡市民文化会館
02月08日 名古屋市民会館
02月09日 名古屋市民会館
02月15日 香川県民会館
02月16日 神戸国際会館
02月26日 宮城県民会館
02月28日 岩手県民会館
03月01日 郡山市民文化センター
03月08日 宇都宮市文化会館
03月10日 群馬県民会館
03月13日 熊本市民会館
03月15日 鹿児島市民文化ホール
03月16日 宮崎市民会館
03月19日 東京厚生年金会館
03月20日 東京厚生年金会館
03月25日 長野市民会館
03月27日 長岡市立劇場
03月28日 富山県民会館
03月30日 金沢市観光会館
03月31日 福井フェニックスプラザ

アリーナツアー
【DREAMERS ONLY SPECIAL “DREAMERS ONLY SPECIAL”】

ツアースタート日本武道館2DAYS
04月23日 日本武道館
04月24日 日本武道館
05月02日 大阪城ホール
05月10日 名古屋レインボーホール 
05月11日 名古屋E.L.L.(DREAMERS ONLY SECRET GIG)


【DREAMERS ONLY SPECIAL 2“】
DREAMERS ONLY SPECIAL II~GOLDEN AGE OF OURS~”ツアー
10月30日 豊橋勤労福祉会館
10月31日 静岡市民文化会館
11月04日 福岡市民会館
11月06日 弘前市民会館
11月12日 札幌市民会館
11月15日 群馬県民会館
11月16日 長野市民会館
11月24日 京都会館第1ホール
11月27日 九州厚生年金会館
11月28日 メルパルクホール広島
11月30日 岡山市民会館 
12月08日 5thアルバム『PRECIOUS?』リリース

【PRECIOUS? TOUR】
50公演  
東京ベイNKホールを皮切りに“PRECIOUS?”ツアースタート 
12月26日 東京ベイNKホール
12月27日 東京ベイNKホール


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1989〜1990_MAGIC MOMENTS TOUR

のちに角川書店から刊行される「DREAMERS」のために、このツアーでは1stアルバムの時のように大学ノートダイアリーが復活。

角川書店刊行『DREAMERS」

ツアーの時は他のメンバーと違って、私は早くホテルに帰ってひとりになりたいって思う。部屋にはいってひとりでぼ〜っとしているとそれが一番の安らぎになる。移動、リハーサル、ライブってずっと途中は人といるわけだから、ひとりっきりってそんな時しかない、ジュースかなんか飲みながらライブのビデオ見て反省して寝るってパターンが一番。

「DREAMERS」角川書店より

角川の「DREAMERS」にはこのツアーの時の間におこなったインタビューも4人それぞれに掲載されています。この当時の自分と今もあまり今も変わらずひとりになりたいと思います。ただジュースは飲まないなぁ(笑)

右が元になった大学ノートダイアリー

2冊にわたり、ライブ前、ライブ後のメンバーの心情を書き綴ったもの。
今、見返してみるととにかく「若い!」40本のツアーも初めてのことで未体験。今まで20数本つながるツアーしかしてないのに倍!そして長い。
2年またぎで4ヶ月のツアー。
メンバー全員コンディションの調整も下手だし、観る側のお客さんも初ライブの少年少女たちが大半。
しかしメンバー20代とはいえ、日程を見るとかなり過酷なスケジュール。
今のように土日進行ではなく、平日も含め

毎週2連チャンみたいな。

1990年でいえば、
1/8(月)岡山市民会館
1/9(火)広島郵便貯金会館
1/10(水)移動日
1/11(木)福岡サンパレス
1/12(金)下関市民会館
わぁ!

わりと几帳面な私が全てのツアースケジュールを
2冊の大学ノートのいずれも最初のページに書いています。


しかも、12/6の四国の愛媛県民まで「DREAMERS ONLY」がリリースされていない中なのに下記のソングリスト。
リリース後に曲を変えるのは良くないと最初の山梨、大阪、徳島、リリース当日の愛媛まで、まだ聴いたことない曲をライブでやるわけですからねぇ。当時はほんとうにリリースしてから皆さんがアルバムを聴き込んでライブに来るということがノーマルだったから、それはお客さまも初めて聞く曲は聴いちゃいますよね。

最初のソングリスト(黒太字がリリース前の新曲)
01. 7COLORS
02. Rock My Heart 
03. PlasticBeauty
04. Inside Storm
05.  Special Sparklin’ Hearts
06. TO THE 1999:XANADU
07. Love Is Mystery
08.Lonesome Paradise
09.Deja-vu 
10.One More Dream
11.Fallin’ Angel
12.Mighty Boys-Mighty Girls
13.TOKIO’S GLORIOUS
14.Magic Moments 
15.Dreamers
16.BE HAPPY 
17.Freedom World
18.Singin’ In The Rain
19.Dear Friends

後半戦は下記のソングリストに変わった様です。

01.7COLORS
02.TOKIO'S GLORIOUS
03.PlasticBeauty
04. Inside Storm
05.  Special Sparklin’ Hearts
06.TO THE 1999:XANADU
07. Love Is Mystery
08.Rock My Heart
09.Lonesome Paradise
10.Deja-vu
11.One More Dream
12.Fallin’ Angel
13.Mighty Boys-Mighty Girls
14.Dreamers
15.Magic Moments
16.BE HAPPY  
17.Freedom World
18.Singin’ In The Rain
19.Dear Friends

当時のダイアリーを見ると、かなりお客さまの反応であれこれメンバーが悩んでいたり、4ヶ月間、心身ともにコンディションを整えるのが大変だったんだなぁと。
もちろん各自演奏についてのことも細かく書いてあってねぇ。

MAGIC MOMENTS TOURダイアリー全箇所掲載スタート!!


長いツアーの日記。
最後は奪い合う様にみんなで書いてましたね〜
(ドキュメント「MOMENTS」の最後の福井のシーンで
日記を書いている様子が見れます)
メンバー全員、ライブでうまくいったことも
失敗したことも、ここに書くことですっきりしたのかな。

1989年11月29日(水)山梨県立県民ホール

まず、1989年のツアースタートは何も書かれていません。
前日11月28日がゲネプロで翌日のツアースタートと同じホールで同じ時間から通しゲネをしましたがダイアリーにはなにもない。
山梨は【DREAMERS ONLY SPECIAL II~GOLDEN AGE OF OURS~】のビデオは奇跡的に残っていたけど、MAGIC初日はなかったです。

この2日間を書いたのはマネージャーの山村さんかな。

ちなみに角川の「DREAMERS」には…

山梨ツアーレポート
いよいよ、”マジックモーメンツツアー”の初日です。公演直前、楽屋をのぞいてみると、やっぱり皆いくぶん緊張しているみたいです。JILLはメイクのチェックを入念に、藤田はドラムのスティックを、貢はベースを、本田君はギターをそれぞれ手に、カセットから流れるQUEENの「NOW I'M HERE」に合わせて軽くウォーミングアップ。
まだ、やっぱり1本目ということでメンバーそれぞれ不本意な部分もあったかもしれないけど、JILLの、
「やっと、久しぶりにここ(ステージ)に立ててすごく嬉しいです」
という言葉につきると思います。
本当にクサイ表現だけど水を得た魚のように4人は、嬉しそうにイキイキとプレイしてました。
この時点ではまだ「ドリーマーズオンリー」は発売されていないのですが、
「だからといって、メニューを他と変えちゃうのは、かえって失礼」
と、ほとんど「ドリーマーズオンリー」の曲から。
「やっぱり聴いてないとノレないのかな?」と終わった後、JILLは心配そうでしたけど、そんなことなかったですよ。
さて、これから40本以上に及ぶ長いツアーが始まるのです。

「DREAMERS」角川書店より


この本を編集してくれた石原くんは渡邉くんと藤田くんの同郷で親友。

ある部分、渡邉、藤田に限定すると、編集者が身近過ぎて、なんだかグダグダのダイアリーにもなっちゃったんだけど、石原くんでさえ、こんな感じのレポートなので微笑ましいというか。今や幻冬社のエライ方だが、みんな20代だったのね〜と今読み直すとヒシヒシと感じます。

ただ、この時代、怒涛のツアーが押し寄せ、急に生活も変化していくPERSONZをリアルに伝えている大学ノートです。
角川に掲載されたものはチョイスしてのものだけど、まぁ、全て見返すと初々しいし、大変と言いながらツアーが続く中、男子チームは全然平気で飲みに出掛けていたり、私はね、この頃はライブ終わると結構ストイックにホテルですぐ休むという人だったからねぇ。他のメンバーはタフだなと思いました。
それぞれになんだかんだと体調悪い日もあったり、時には自分達の演奏が未熟で反省したり、観る側のお客さんも今とは違い、若い。しかもロックコンサートなんて観たことない!という状況で、とにかくバンドブームで観に来たぞっ!というような時代。とにかく、いろいろありました。

山梨はコメントなしだけど、大阪からはダイアリーがスタートします。

つらっと抜粋してみましょうか。
って言いながら、ほとんど掲載かなぁ。
面白いんだもの。

私はこのnoteのために大学ノート2冊を全て読み返しながら、パソコンに自らタイピングしてデータ化しました。そしたらね、特にツアー後半のみんなのバンドや自分の演奏に対する心境の変化や、最後の福井での感謝の言葉がよくてね〜。
だからなるべくお伝えしようかと思います。
あ、一応全箇所掲載します。

長いよ、きっと。

(当時のダイアリーにほぼ忠実なので漢字、誤字脱字もそのままですのでご了承くださいませ〜)
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1989年12月2日(土)大阪厚生年金大ホール

(キャパ2300 SOLD OUT!)
(このキャパ数と動員数も結構箇所箇所に書かれていましたので表記)

10:24分のひかりで大阪へ。
JILL、わたなべ遅刻。
フジタ嬉しそう。
15:00シュート終わらず舞台も組めない。
ヒマをもてあましている。
16:00おしおし
17:00リハーサルいまだに始まらず。
もっと遅れてきてもよかったと思う。
17:45リハーサル終了。
みんな浮き足だっているよね、いやな予感。
曲順を変えたのは正解だったんじゃないのん。
レコードが発売されていないのでやはり新曲は少しきつい。でも山梨よりリアクションがあったのでえかった。フレンズの最後で弦が切れてしゃみせんみたいになってしまった。(TAKESHI)

レコーディング日誌と違い、
この大学ノートにはあまりイラストとかないのよ…
本番前、本番終了後に書いているので、圧倒的に時間がない。
唯一描き込んでいるのが本田毅画伯でございました。

遅刻したのでいろいろとゴチャゴチャ。いちベルがなったとき、ああ無情と思ったのにLIVEはよかったみたい。お客さんはどうだったかな?(JILL)

リハも開演前も時間がなくてキリキリしたまま始まっちゃって、やっぱり体がほぐれてなくて悩んでるうちに新曲シリーズになってますますキリキリしてしまって本編の長かったこと長かったこと、そのせいでアンコールが荒くなったかもしれないけど、まあ、曲順もよくなったしお客さんもいい反応だったし良しとしよう(BEN)

※この日は渡邉のコメントはなし。山梨とは曲順を変えたりして努力のあとが見える。このツアーの舞台はかなり大変なセットで、斜面があり、会場によってサイズが違う場所に合わせて設置するので斜面前の動けるスペースが会場によって違って前面3人演者は行く先々であれこれ言っていました。でも会場は事前にサイズはわかっていたはずなので舞台制作サイドもまだ若く未熟だったのねぇ。設置がこれほどの時間となるとは。しかもリハ、1時間もやってない、驚きます。
遅刻したの、全然覚えてないわぁ〜

幕が開く前のステージ側


写真だとよくわからないけど
ドラムの左右はスロープになってるのです。




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1989年12月4日(月)徳島文化センター

(キャパ1600 動員1350)
BASSをスーパーアクティブに変える。BMW-300GTに変える。
会場とのマッチングもよかったのか低音がひきしまってとても気持ちよかった。会場に左右されるのはプロとしてゆるされぬ事ではあるのだろーがやはりやりやすいホールの時は演奏に入りこめる。新曲もだんだん演りなれてきたし今日は安心してテープを聞けるよーな気がする。ライブとは関係ないがプレーヤーの原稿の〆切がせまってきててその事が私をうつ(TMのうつじゃないよ)にさせる。明日の移動日までにはかたづけなきゃぁ。(MITSUGU)

演奏はまとまってきた気がする。しかし、あのスローな曲のあとのシーーーーーンという静寂はなんだ!思わずワ〜〜〜〜〜って」大声をだしたくなったもの。P.S.今日はステージで滑ってコロンだ。ガーーーーン、ショック、ツルっ。(TAKESHI)

プラスティックのマネキン作りが大変だったわ。ライブは中ぐらいまで自分自身のりきれず、なんでかなっと思ったらお客さんとの距離が近いのよ。一列目がすぐそこだもの。お客さんは想像通り静かめだったけど新曲はどこへ行ってもちゃんと聞いてくれてるようなので、これでい〜んだ!い〜んだ!とみずからをはげます。早く「DREAMERS ONLY」でてくれよぉ〜!あさっては発売日だけど、どうですかねぇ〜〜〜〜
MCのyeahを少なくしよーとしたらなんか変になっちゃった。まだまだだな。(JILL)

※「DREAMERS ONLY」がリリースされる前でソングリスト的に悩みがあったのね〜。お客さんはきっと聞こうというスタンスだったのだと思いますが、メンバーはなかなか盛り上がらないと思って焦ってたみたいですね。

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1989年12月6日(水)愛媛県民文化会館

 (キャパ1000 動員800)
中盤ぐらいまでは自分のペースだった。出来は良かったと思うの…でも、アンコールの時にあまりに、はきがない感じがしてプツンしてしまいステージで説教してしまった。p.s…夜、ビデオでライブのチェックをしてるといろいろ考えさせられる。PERSONZのライブ、こんな風で良いのでしょうか。横浜アリーナサブホール、あまりの差に(ホール、ステージ、人)なんとなくしっくりこない日々。LIVEって大変だな。やはり大きいホールと小さいホール、人数の多さ少なさ、見せるお客さんにどうみせるかを考えさせられる。(JILL)

松山は3回きてるけど1度もよかったためしがなく、とても不安です。ライブの前半は集中できず、汗をかくだけだった。ベースはめちゃくちゃにトラブってひさびさに頭にくる。たいていこの手の怒りは、いつも最後までひきずるけど(ベースをぶん投げて帰りたくなるけど)今日はあきらめの境地にはいってしまった。その後は自分に向かってベースを弾いた。(MITSUGU)

情けない。こんなんじゃいかんてずーっと思ってたんだけど。JILLのおしかりMCのあとようやく盛り上がった時でも情けなかった。DFでお客さんが警備を押しのけてつめかけた時、みつぐさんがさらにそれをあおりに前へ行ったのを見てなんか嬉しかったね。正直イスの5〜6個も壊れりゃいいって思ったもん。みつぐも同じ気持ちだったのかもしれない。
こんなこと書くことでもないけど、このままだと明日からのライブもひきずりそうなんで軽くぶちまけておかないと。100倍くらい情けないんだけどね。日記があって助かったよ、少しさっぱりした。
(BEN)

※当時は私たちも経験不足。見ている観客もどう反応していいのかわからないという双方の関係性で進むライブではそれぞれメンバーには毎回大なり小なりの葛藤がありました。これより前はLOFT等でスタンディングでぎゅうぎゅう満員で盛り上がっていた状態から、横浜アリーナなどに一気に飛んでパフォーマンスや演者の精神力のコントロールが難しかったんでしょう。
機材等のトラブルもまだまだすぐ処理できず、特にそれが自分の対応ではなくスタッフが対応しないとならない場合、憤るわけです。スタッフもベテランさんは対応できてもバイト的なまだ経験の少ないポジションの人は対応できないわけです。
それから何度もライブを重ね、経験を重ね、私たちもお客さんの反応はこちら側で盛り上げられるようになりましたし、お客さん側も成熟して素晴らしいスタンスでライブ参加してくれます。
今は機材トラブルも突発的なことがなければ回避できるようにメンバー、スタッフ共に成長しています。
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1989年12月7日(木)高知県民会館オレンジホール

(キャパ1500 動員1250)
俺自身はかなり気合もはいって充実した気分で最後までやれたです。ほっとしました。(BEN)

コンディションはさすがにちょっと疲れが残っててあまり良くなかったけど、お客さんのフンイキで元気になれて良かった。トラブルは相変わらずでまたも弦が切れた、なんかついてるのかな〜そして、そして、またもコロンでしまった。くそ〜。(TAKESHI)

ノドはどうにかもった。終わった後も元気!よかった。四国では一番よかったみたい、全体的に。毎日ビデオで研究しているのでいろいろ考えさせられる。そろそろおうちに帰りたぁ〜い。(JILL)

※高知はデビュー前で東京もまだライブハウスの頃このオレンジホールをやった経緯のある場所。お客さんは盛り上がったんだと思いますよ。
この日のビデオはこの高知だけ奇跡的に残っています。
いやぁ、盛り上がってました。

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1989年12月12日(火)旭川市民会館


 (キャパ820  SOLD OUT)
(12月11日前乗り談)
昨日は旭川行きのJASの飛行機が雪のため?飛ばなかったので、急遽サッポロ行きに変更しました。そして列車で旭川入りした。夜9:30過ぎに到着。やっと着きました。お疲れさま。駅に着いて雪景色をみるとフジタが無性にデートしたくなると体をよじって喜んでいた。(MITSUGU)

祝!!オリコン1位!だそうです!

喜びの書き込み〜
本田くんですね。


なんでもテイチク社員全員にいくらかパーソンズ賞が出るらしい?ここは当然メンバーにも出るでしょう。ねぇ、真田さん?(TAKESHI)

札幌から旭川の列車の中でむしょうに「DREAMERS ONLY」が聴きたくなり貢からウォークマン借りて聴いた。うーん雪景色によく似合うアルバムだなぁ。デジャブはもうピッタシの感じがしたので景色におぼれて何度も聞きかえしてしまいました。1位嬉しい。(JILL)

久しぶりに雪を見た。いいですね雪は。気持ちがおちつきます。こっちの雪はサラサラしてていわゆる粉雪。新潟のはもっとべしゃべしゃしててきたない。


開演前、こうれいPERSONZとく名度チェ〜ック!
ねぇねぇケータさん、Voのひとの名前知ってる?
えー、ジルさんですか?
そうそう、じゃ、このひとは(たけしを指さす)
えーすみませーん、知らないんです。
いいよいいよ、じゃ、この人は?(みつぐを指さす)
すみませーん、知らないんです。
いいよいいよ、気にしないでね、ありがとう
というわけでやはりパーソンズは75%ものとく名度を誇るバンドであった。
やはりBIGバンドになるととく名性は大事だよね、よーし今日もがんばるぞ!!(べん)

出番前にスティックがないとナオ(*ローディー)のせいにするフジタくん。
(JILL)

旭川のお客さんはとてもPUREピュアーなノリをしていて良かった。新曲も少しづつしんとうしているようで、みんな楽しそうに体を動かしているのが印象的だった。気分の良いライブでした。p.s…旭川東急イン前の西山軒は☆☆☆☆であった。蜂屋と同じタイプのだしを使いながらイヤ味を感じさせないようにソフィスティケートされたスープ。そして定評のある西山ラーメンのめんとかなり高度のバランスをかもし出していた。Good.  ¥450(本田)

前日イベンターの(ウエス)若林君の話では旭川のお客さんはコンサートなれしてないんでちょっとね〜という事でしたが…
なんのなんのとても自然に楽しんでくれててすげ〜よかったです。とりあえずこのツアーでではいちばんでしたね。東京もこんなだといいんだけどと思いつつ演ってました。
俺はといいますとのぼせすぎたのか1曲目から息は切れるは右手も左手もうごかないわで(たいていどちらかはちゃんとしてるのだが)前半苦しみました。「インサイド」ではくじけてダウンで通せませんでした…新曲のリアクションもよくなってきたようですしテイチクの真田さんも来たし、明日のサッポロ期待しております。(MITSUGU)

リサーチの結果でかなり気持ちは萎えかかってたんだけどSEで出てった時にメンバーの名前をCallしたファンが若干いたことに気を良くしてけっこうはりきってしまった。単純バカと言われようとけっこうそれがプレイヤー心理だったりするものなのだよ。で、調子はというとけっこうBADだったりした。むちゃくちゃ汗かいたし最後までスティックが手になじまなくて難儀しました。リズムも突っ込んでたし。でも、今日はお客さんに助けられた。反応がすごく素直だし、みんな喜んでいたのでやっていても気持ちよかった。打ち上げでテイチク真田氏にメンバーのとく名性と真のBIG BANDの相関性を問うたところ、やはり真田氏も同様の考えを持っておられたらしくオリコン1位に自念に対する更なる確信を深められたご様子。(フジタ)

※北海道、旭川。藤田のとく名度リサーチがおかしかった。

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1989年12月13日(水)札幌市民会館


(キャパ1600  SOLD OUT)
今朝、旭川ー札幌間のJRで列車脱線事故だって、まいったよ。不通なんだもん。急遽レンタカーで札幌へ。3時間かかった。雪道はやっぱり恐ろしかった。つかれた。(BEN)
※さぁ、オリコン1位の知らせもあり絶好調。だけど冬の北海道〜これからどうなるか、あとは有料にてお楽しみくださいませ〜

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