最近思ったこと
最近思ったことを箇条書きにしていく。
○「学校社会など、集団社会の中では個が育つことはない気がする」
社会の中に出て、孤独になって、自分しか頼れるものがなくなったときに、
はじめて人間は自分と向き合い始める。
少なくとも僕はそうだった気がする。
大学の入学式で黒スーツだらけの写真がツイッターで話題になって思ったこと。
多分、彼らは入学式前にオリエンテーションや同じ高校から入学してきた
数少ない知人から入学式にどんな格好で行くのとか、ネットで調べたりして、
一生懸命周りから浮かないようにすることに尽力したのだろう。
そこに「個」はない。
あと、なかやまきんに君のYouTube動画を今日初めて見たが、
そこでも同じことを感じた。
結構言い回しもたどたどで、よく噛むのだが、誰もツッコミがいないので、
特に何事もなく、言い直したりテロップで訂正したりして進んでいく。
テレビのバラエティだったらいじられキャラとして、そういうところが
ツッコまれてきんにくんというキャラを作っていくと思うのだが、
一人で居る分には相当印象が違う。
結構前に見たあばれるくんのYouTubeでも同じだった。
他の芸人などもいる集団の中でしか作られないキャラと、
一人しかいないYouTubeでは全くキャラが違う。
どっちが本当の自分かと言われると疑問だが、少なくとも学生の間は
ずっと集団の中での自分しか形作られない、
というのは少し問題かもなあと思った。
そんなところで個性を磨けというのも難しい話だ。
それも生まれて数年のときからそういう中にぶち込まれるんだから、
ずっと周りに合わせるとか、夢を持てないとか、
そういう人間ばっかり作られていくよなあ、、、など。考えていた。
見た投稿:https://twitter.com/ysakmyzk/status/1645316648356970498?s=20
なかやまきんに君のチャンネル:https://www.youtube.com/@themuscletv29/featured
○進撃の巨人アニメ、ドイツ語版のライナー声優が、
各国のエレン声優の演技を見るという動画を見て思ったこと。
「芸術における保守と革新のバランス」
日本人だとアニメを見慣れているからなのか、保守的な国民性からなのか、
それとも海外の声優はキャラを演じようとするつもりが薄いからなのか、
日本語のエレンだけがやはり「エレン」というキャラクターを表現できている
感じがする、と自分も直感的に思ったし、日本語で書かれたコメント欄も
そういう意見が多くの評価を集めていた。
ただ、ドイツ人の声優は各国の演技を真摯に内容で良し悪しを評価し、
一見エレンには全く似つかわしくないような野太い声でも、その演技の迫力を
しっかり評価していた。
それを見て、あぁ自分はダメだな、受け入れがたいとしている自分が頑固で
保守的なこだわりを持っていたなと思ったのだが、一方で同時に、
保守的だからこそ芸術性は磨かれるとも思った。
新しいものを何でも受け入れるということには、上下の差は生まれない。
何でも並列に同価値だが、優劣を語るときには必ず何かの基準に沿って
じゃないと語ることができない。
その点、保守的であるというのはそういう感性を磨く土台にもなる。
つまり、革新的であるときにもただ無批判に受け入れるのではなくて、
その新しいものの優劣を決める基準を理解して、それを保守的に
受け入れなくては何も語ることができないのだなと思う。
点で受け入れるのではなくて、上下に延長を持つ線で受け入れる、ということ。
ここから先は余談だが、
やはり芸術の優劣というのは難しい。
どんな音も等しく音楽だ、と言う割にリズムが狂っていたり
音がぶつかっていると気持ち悪いと言われるし、日々上達だ!とか言って
練習したりする。
プロの音楽家、役者、画家、物書きがいたりする。
と、考えると、やはり芸術は保守的なものだと思う。
特定の欲求を満たすためのものであって、それをどのくらい満たせるかという点
で芸術にはやはり優劣がある。
人間の感情を満たすための道具と考えれば、芸術と高尚に言ったって
どうということはない。切れるハサミと切れないハサミの違いと同じだ。
見た動画:https://www.youtube.com/watch?v=c-b6srL46Fg
○「自分は地図に固執しすぎている=全体像の把握に躍起すぎる」
マイクラのJava版を初めてやったが、統合版にはあった初期に地図を
持つという選択肢がない。
地図を持たないでウロウロするのが気持ち悪くてしょうがない。
何が気持ち悪いのかというと、要するに整理欲なのかなと思う。
全体像をつかんで、その中のどこに自分がいるのか把握したい。
そう考えると、数個前に書いた土地感覚の話も、
結局は自分の整理欲なのかなあと思う。
幼少のときに自分の記憶でやったことを今は常にグーグルマップに頼って
整理している。
その違いは確かにあろうが、どちらにしても結局は整理ができている。
マイクラも地図を持たずに記憶できたらいいのだが、いかんせん特徴のある
建築物が少なすぎて覚えられもしない。結局クリエイティブモードで
空を飛びつつ全体像を把握したり、地図を作ってからじゃないと満足できない。
そこから出てくる町を作りたい欲がすごい。地図を作りたいのかもしれない。
どちらにせよ、地図に依存しすぎている。
考えてみれば大人になってからなのか、何にしても全体像を把握したがる。
音楽も何のジャンルか把握してからとか、
酒もウイスキーでシングルモルトなのか、ブレンドなのかとか、
目の前のものを素直な感性だけで堪能する能力が欠けてきている気がする。
最も素直だったのはもちろん幼少期のときなのだが、
今となっては何か前知識を入れてからじゃないと何事も入りにくい。
ウイスキーの入門!とか言って、
まずウイスキーの分類から解説するのがいけないんだ。
そんな知識は本来はいらない。
エレンの声だって、「進撃の巨人のエレン」だという前提知識があるから、
外人声優の迫力ある声を聞いても、「これはエレンじゃないよ」とか言って
素直に楽しめない。
色々といらんことを書いて長文化してしまった。
書き記しておかないと忘れそうで、でも忘れたくない感覚だったので、
メモ書き程度に。