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『シン・ゴジラ』はファンタジーじゃない

この前思ったこと。

食べ物と同じように、「金が腐る」世界なら…。

金をいくら稼いでも腐ってしまう。だから、必要な時に必要なだけ稼ぐようになる。
スーパーに行くように。「明日の金がないから、ちょっと仕事するか」
そんなふうに、金と仕事が我々にとって軽いものになるかもしれない。

とは言っても、そもそも食べ物が腐ってしまうから、腐らない交換の素材として金が使われるようになったのだ。
ならば、この「金が腐る」というアイディアを何かしらの物語にするなら、説明を加えなければならない。
この世界では、こうこうこういう理由で腐る金を使う世界なのだ…と。

そこまで考えて、これでは「金が腐る」というアイディアを思いついた時の独特のワクワク感がなぜだか失われてしまう気がした。
それが、理解不能な設定を理解できるように説明してしまうことで、ファンタジーである「金が腐る」世界をファンタジーではなくしてしまうことになってしまうからではないかと考えた。

「金が腐る」というのが理解できないのは、我々が「この世界」に生きているためだ。
「金が腐る」世界に生きている人にとって、それは当然のことだし、その世界の理屈に従ってそうなっている。
それがファンタジーなのだ。だからこそ、「この世界」に生きる我々にとって不思議で、故に魅力的に映るのだ。どうなるんだ、というワクワク感がある。

最初私は「金が腐る」世界というアイディアがいかにもショートショートの物語のように感じられた。
なんだか不思議で、アイロニーチック。

これを理解できない人に向けて説明することで、なんだか説教臭くなる。「シン・ゴジラ」みたいになる、と思った。

「シン・ゴジラ」は理解不能なゴジラという事象を、「この世界」に生きる我々に理解できるように説明してくれた。
非日常のゴジラという脅威を、「この世界」の日本が対処する。我々の世界の理屈でゴジラを理解可能な「災害」として片付ける。

私はそれが説教臭く感じた。ゴジラが出てきたシーンはとてもワクワクしたが、後半日本政府がそれを対処していくところは正直に言ってしまうと寝てしまった。「ハイハイ、わかりました。」というような感じで。

シン・エヴァにもそれを感じた。私の思春期を形作ったアニメ版から追ってきた一人として、映画の最後、唐突に裏切られた感覚があった。
ファンタジーだと思って見ていた作品、だからこそ現実で生きる希望を見出すことができたのに、エヴァはファンタジーではなかったとネタばらしをされた。
それがとても説教臭かった。「ハイハイ、もういいよ。」と。
いくら宇多田ヒカルで盛り上げても、シンジの幸せな表情を見ても、ただの説教にしか感じられなかった。
「この世界で生きろよ」と。
アイロニーの反対、真面目で説教臭い。
それが庵野が到達した大人の領域だと言うのなら、ぼくはまだ大人になんてなりたくない。

別にファンタジーじゃないこと、説教臭いことが作品としてダメだと批判しているわけではない。世の中には有意義な説教もある。
「この世界」の知らない一面を教えてくれる説教なら、それは非常に興味深い。
事実、傑作な説教映画はたくさんあると思う。
(説教映画というと、とても皮肉っぽい表現になってしまっているが、新しく呼称をつけるのも面倒なので、ファンタジーじゃない作品のことをここでは説教作品と呼ぶことにする。
これより以下にある説教という言葉に批判の意図は含んでいない。
シン・ゴジラとシン・エヴァで使った説教には批判の意図が含んでいると捉えてもらって構わないが。)

ファンタジーと説教の違いは、一言で言うならその作品の理屈が「この世界」のものかどうか、である。
「この世界」の理屈に則る作品はファンタジーではない。
そこにいくらデカい怪獣が出てきても、単なる「災害」なのだ。


なんて、一人で勝手にファンタジーの棲み分けをしてしまっているが、あくまでも個人の意見であって、私一人がファンタジーとはこういうことではないか、と解釈しているだけなので言葉としての定義をしているわけではない。
ただ、シン・ゴジラやシン・エヴァの独特の説教臭さはこれである程度は説明できるのではないか、と思って書いている。

まだまだファンタジー世界と現実世界の違いについてはここに書いていないことや、さらに考察すべきことが多い奥深いテーマだと思う。
ただ、そこまで多く書いたり深く考えることが面倒なので、自分で理解できていればいいやと、ここに書いた程度のメモにしておく。

ともあれ、仮に「金が腐る」をショートショートではなく一定の長さの物語で書いたなら、「いや、腐らないものを金にすればいいだろ」と「この世界」の理屈でもって批判されてしまうことは目に見えるので、そういう突っ込まられる余地がありすぎるということで、駄アイディアになった。

みんなはファンタジーをファンタジーとして楽しんでほしい。

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