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人生初めての消費者金融からお金を借りました。#10

絶賛自己破産申請中です。

いつも記事を見ていただき、ありがとうございます。

日々記事を書くたびに、「今日は何を書こうか」と悩むことはなく、「どのような順番で記事を書いていこうか」ということを考えることが多くなりました。

この記事は、「正しいお金の知識を身に着けて、わたしのようにならないでね」ということを分かっていただくために、自分の経験談をお話させていただいております。

ですので、「お金の失敗が多い私は、常に書いても書いても書き足らないほどの失敗談が多く、今日はどのことを話そうか?」と、ワクワクしながら記事の更新をしております。

今日も皆さんに私の失敗を笑っていただきながら、為になる記事を書いていこうと思います。

前回に「大腸癌になって、派遣止めに遭った話」をさせていただきましたが、今日は、「大腸癌が見つかってから、大腸癌の手術」に至るまでの、私の「お金事情」について書いていきます。

身の丈に合わない生活をしていました。

私は、車の工場のライン工の仕事を終了した後、転職をし、派遣の事務員となりました。

車の工場の期間工のころは、会社が提供する古びた集合アパートに無料で食事つきで住んでいたため、余計な出費は一切ありませんでした。

ですが、転職をした途端、自分で住まいも見つける必要があるので、どうしようか悩んでいました。

「できる限り、初期費用にお金をかけることなく、家具などもあり、すぐに入れるところ」を探したところ、ちょうど自分が求めている物件がヒットしたのです。

それは、市内中心にあった「いろいろな方が同じ屋根の下で暮らすことができる」物件でした。

すぐに内見も行ったのですが、出来て間もない物件で、中のインテリアもすごくきれいで、直感的に「ここに住みたい」と思うようになりました。

ただ、家賃が月¥75000(共益費や、水道・光熱など込み)でした。
一人で暮らすならまだしも、こういった共同で生活する場所としては、まあまあ高かったと今思えば反省点でした。

でも私は安月給にも関わらず、「ここに住めば、毎日が楽しくなりそう」というだけの安易な考え方で、即決で契約することにしたのです。

あのときは、まだ、リボ払いも完済していないのに。。でした。

手取り15万ほどでは、都会の市内生活では、生活が、なりたたなくなる。

私が所属していた派遣元では、

  • 時給:¥1500

  • 交通費:無し

でした。(入社が決まってから、交通費なしということを教えられた)

最初に聞かなかった自分に問題があったのですが、交通費が自腹というのが結構きつかった。

月の手取り15万ほどで、そこから交通費が13000円ほどになるわけなので、実際そこから家賃を引いても、7万ほどしか手元には残りません。
そして、

  • 食費

  • 日用品

  • 交際費

などの基本的な支出を差し引いて、そのうえ、「残っているリボ払いの返済」があるわけです。

これではいつまで経っても、お金がたまるわけがありませんでした。

このとき、「何で、生活レベルを落とすことができなかったのか?なんで、自分はこんなに見栄っ張りなのか?」と後悔したことを、はっきりと覚えています。

生活が成り立たなくなり、とうとう、消費者金融デビューをしてしまいました。

ある日、「このままでは生活が成り立たなくなる」と思い、ついに、某銀行でカードローンを申し込むことにしました。

審査自体は意外と簡単で、とんとん拍子で進んでいくのですが、銀行ではこういった対応は「窓口ではなく、銀行内に設置されている備え付けのボックス内の電話で担当者とやりとりをする」のが一般的だということらしいです。

そして、その担当者に言われたのは、「あなたがその職場できちんと働いているかを確認するため、職場にお電話をします。もしそれが確認できれば、審査はクリアとなります」と言われました。

一瞬、「え?職場に電話するの?」と思いましたが、承諾するしか道はないので、しかたなく、承諾し、その場はそれで終わりました。

ただ、会社に電話をかかってくるのは、一言話をしておく必要があるため、後日、直属の上司には、「クレジットカードを作成し、本人在籍確認のため、職場に電話がかかってくるので、おねがいします」という設定にし、嘘の報告だけはしておくことにしました。

まさか、このことがきっかけで、さらに首をしめることになるとは、そのときは考えもしませんでした。

まずはリボの返済をしよう!そして多額の住民税も払ってしまおう!

さて、無事に消費者金融の審査が通り、上限50万円をお借りすることができました。

そこから、なかなか減らないクレジットカードで買い物時に選択したリボの残債と、前の会社を辞めたために発生した住民税の支払いもまだまだ返済が必要だったため、一気に支払うことにしたのです。

結果、「リボの残債」も、「住民税」もすべてすっきりし、とりあえず、肩の荷が軽くなりました。

一方で、消費者金融で借りたお金の返済が次月から発生します。

これは後に知ったことでしたが、この返済は結構大変で、ここでもリボの返済同様、「利息」のことを理解していなかったため、月に10000円の返済額に設定していても、一向に元本が減る気配がありませんでした。

生活費は一向に楽にはならなかった

会社へ出勤する際、お昼ご飯を行きのコンビニで買っていました。買うときはいつもクレジットカードで支払っていました。

ですので、次月には、その使った分のクレジットカードの支払い明細がやってきます。

そして、交際費の支出が半端なく多かった。

当時住んでいた仲間と、カラオケに行ったり、どこかに遊びに行ったりと、とにかくお金を使っていました。

カードローンを借りている人間がなにやっているんだ?

こう思われた方もいたことでしょう。はい。私は本当にバカでした。
それに加え、女性とデートするときも、「見栄」が先行して、すべて自分が払っていました。

それも、カードローンからのお金で。。ですよ。

もう救いようのない馬鹿としか言いようがありませんでした。

それに加え、大腸癌が発見されてから、手術まで毎月病院で検査をしていたのですが、そのときの費用の支出も半端なかった。

なかには、「保険適応外」の検査もありましたし、先生の指示で、なぜか、県外の病院で検査をするよう、言われたこともありました。

もちろん、安月給の身で、給与からそんなお金を工面できるはずもなく、病院にかかるすべてのお金も、カードローンから工面していました。

2014年年末、カードローンの残高は残り10万円を切っていた。

そんな「見栄」と「物欲」、そして「病気」により、支出が半端なかったため、結果、カードローンも残り10万円を切るぐらい、お金を借りることになっていました。

そんななか、すでに更新した記事で書いたとおり、2014年の年末に「派遣止め」に遭ったのです。

2015年から大腸癌の手術が決まっていた自分にとって、「無収入+カードローンの返済」はきつくて仕方がありませんでした。

「これからどうしよう」

それしか頭の中にはありませんでした。

以上です。

本日は2800文字越えの長文になりましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

もしよろしければ、フォローをしていただけますと幸いです。

次回は、「手術後のお話と家族の支え」について、書いていこうと思います。

では、また!



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