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よく在り方が大切というけど・・・

こんにちは!
自己分析理論協会の尾畑です!
今日はタイトルにあるように「在り方」についてお話をしていきます。
お仕事の中で、特にビジネスや事業、コミュニティなどに関わっていらっしゃる方々が学んでいるという時によく聞く言葉です。
「在り方を学んでいるんです」
確かに!
在り方って大事ですよね。
でも学んでいる方々は果たしてその言葉の意味や学んでいる教育者が発信している意図や背景を理解したうえで納得して学んでいるんでしょうか?
まず、「在り方」を辞書で調べてみると
当然こうでなくてはならないという物事の状態
と検索すると出てきます。
いろいろネットで検索していくといろんな意味が出てきます。
例えば別の意味合いでは
在り方とはその人の存在そのものである。
その人がどんなスキルや資格を持っているのか、何ができないのか、と言った機能面ではなくその人の仕事や生き方への想いを何よりも重視する
と書いてありました。
ちょっと情報量多くなりましたよね?
このままいくと抽象的でしか終わらないので突き詰めないですが、要するに人によって違ってくるものだと言うことは前提としてありますよね。
なぜ違ってくるのかというと人によって価値観や性格や生きてきた人生が違うのは当たり前ですよね。
人格をどのように形成してきたかも一つだって一緒のものはありません。
よく、「十人十色」とか「千差万別」とか言い表したりしますが、そもそも当たり前ですが、人と人は違うものなんですね。
在り方を違う他人から学ぶのって結構リスクが伴います。
なぜなら、教育者の方がそもそも自分の軸を持っていなければどんだけ教えてもらおうと理解できるわけありません。
在り方を教わるうえで、教育者側が自分の器の領域をいかに明確に言語化して可視化しているかによって、学んでいる側に入ってくる内容に誤差が生じてしまいます。
在り方を発信している人が経験してきたことの範囲は教えることが出来ますが、逆を言えば、その人が経験してきたこと以外で発信し始めたらその時点で教育者の感覚の世界になってくるため必ず固定概念が発生します。
これは感覚で物事を発信する事が悪い訳ではなく、教育者としてそんな発信の仕方をするのは良くないことだということです。
どう、よくないのか?
例えば、
ある経験談を話すときに盛って話をする方がいますよね。
この人はベテランの経験者の方だと思って本人が先入観を持ってしまっていたらその人の仰ることを鵜呑みにしてしまう可能性が大きいですよね。
結局どうしたらいいのか、ここで大切なのが分析です。
在り方を学ぶ上でその人が主観だけで話しているのか、主観と客観を織り交ぜて話しているのかは結構重要な視点です。
在り方とは、その人の物事の見方・解釈であると捉えることもできます。
在り方とは決して崇高なレベルの高いかただけがしっかり持っているものでもなくもっとシンプルに考えていくと良いかもしれません。
皆さんも一緒に分析力を鍛えていきましょう!
本日もここまで読んで頂きありがとうございました。

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