「きのう“誰と”食べた?ケアを可視化する『共食』のレジリエンス」浅井直子#WORKandFES2021
きのう“誰と”食べた? ケアを可視化する「共食」のレジリエンス
確かに昨日は、納会だからと久々に集まり、やはり納会だからともう1軒だけ立ち寄り帰路についた。コロナ禍1年目の2020年末。はしご酒のメッカ、天下の品川区某地域といえども時短営業に伴い夜10時にはどこも店じまいで、それほど酔った覚えはない。しかし、バッグのなかにはなぜか、へにゃりとひしゃげたビニール袋入りのロールパンが5個......。ああ、そうかと記憶が蘇る。
1軒目の大衆酒場で「明日の朝ごはんに」と、大将から帰り際に手渡されたのだ。いわゆる「名店」とされるコの字カウンターの酒場は、オープンするやいなや、日々、多様な客で埋め尽くされる。
独特の雰囲気に気圧されながらもはじめて暖簾をくぐった20代の勇者につかず離れずのアドバイスをする女性客。ワンオペの店主を見かねて、いつの間にかカウンター内で皿洗いをはじめる高齢客。カウンターから見渡せる勝手口には、店への差し入れを手にした地元民と思しき中年夫婦。もつ焼きを頬張りながら、彼らの自発的(かつ恐らく無意識)な行動は、束の間「肩を並べて食べる他者」へのいたわり、ささやかなケアの表れ(大将がくれたロールパンしかり)であることに気づく。
コロナ前、「共食」の場に見出していた心地よさの正体は、この「ケアの可視化」ではなかったか。
人類学者で食文化研究の大家、石毛直道は、「人間は共食する動物である」と人間と動物の境界を説いた。
「家族以外の誰かと共に食べること」が制限されるコロナ禍において、「共食とは何か?」という問いは、「共食の何が人を人たらしめるのか?」と思考を巡らせる絶好の機会でもある。
歴史学者の藤原辰史は、著書『縁食論—孤食と共食のあいだ』(ミシマ社)で、「縁食(えんしょく)」という概念を掲げ、こう述べている。
「縁食とは、孤食ではない。複数の人間がその場所にいるからである。ただし、共食でもない。食べる場所にいる複数の人間が共同体意識を醸し出す効能が、それほど期待されていないからである」。
先の酒場で紡がれるゆるやかな関係性は「共食」よりも「縁食」のそれに近いのかもしれない。いずれにせよ、これまで、飲食店における「共食」のシーンではとりわけ「何を食べるか」に重きが置かれてきた。しかし、コロナ禍の今、共食がもたらす弾力性と包括性に富んだ「いたわり」を、「誰」と交わし合うのかが問われるように思う。
その舞台が市井の酒場でも、ガストロノミー・レストランでも。
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