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心のヤンキー


朝、蝉の鳴き声で目が覚めた。

例年とは比べものにもならない涼しい夏がやっと終わり、まだかまだかと待ちくたびれた蝉たちが季節の訪れを知らせるように、一斉に飛び出す。


じめっとした梅雨の空気に包み隠されるように、
私たちは時間の流れを忘れてしまう。

そんな雨の日が続いた、最近の話をしよう。



「誰とでも器用に、上手くやっていける人」って
身の回りに少なからず居ると思う。

私は寧ろ真逆のタイプで、昔から誰に対しても
等しく上手く接するのが苦手だった。

変に柄にもなく丁寧に接してみたら
パワーを使って疲れてしまった経験もあった。

無意識のうちに「みんなと接する」ことを避けて
自分で自分の世界を狭くしていた。

ところが近頃、人生で最もそんな自分を嫌悪する時期が訪れた。

というか、誰とでも上手くやっていける
「器用な人」がとてつもなく羨ましくなった。

でも自分は、そことは程遠い場所にいるわけで。

とにかく見様見真似のように、実験的に、
人との接し方を変えてみることにした。
(具体的にどうと言うと、少し難しいのだが)

まぁこのやり方はおそらく自分には合っていない
ということも承知の上で、だ。

そうしていくうちに、出会う人の幅も
広がってきたような気がする。

"表面上の関係"というものに今まですごく
抵抗があったけれど、案外それも大切なのだ
ということに気づいた。

様々なポジションの人と関わって、
その人たちの価値観を良くも悪くも吸い上げる。

そうして、自分の幅を広げるためのインプットにする。


自分を好いてくれる人に対しては、
あえてブレずに接することにした。

かた苦しい意味ではなく、"自身"のアウトプットをし合う。

それもまた勉強。


もう、私の 夏休み は限られている。


「真面目ちゃん」で居ている余裕はない。

真面目さは、捨てる。


少し、心に「不良」を育てる。


「好きにやらせておくれよ」
って。

「正直」でいること。

あえて、自由でいること。


多少の自由さがあっても、ちゃんと関係性を
築いてさえいれば、みんな「ついて行きたい」と
味方してくれる。(はず)



脱・真面目


「守り」でなく、「攻め」の姿勢に切り替える
必要がある。

多少トガっていても良い。


心にヤンキーを置いて。


やり残したこと全部やってやる。

忘れものも、ぜんぶ拾い上げていく。


そんなひと夏にしたい。

もう二度と来ない夏。

蝉の命ほどではないけど、一瞬で終わる夏。


みなさん、わたしと悪友になりませんか


























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